陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。

A Flash of Memory ─三宅一生、原爆を語る─

2017-08-11 | 芸術・文化・趣味・歴史
今から72年前の夏。
広島市民のある7歳の少年は、あのおぞましい光りの破裂を浴びた。目も眩む赤い閃光と直後の黒い雲。いっせいに逃げ惑う人びとの悲鳴。丸木位里・俊の原爆絵図が示すような阿鼻叫喚の地獄があったに違いない。

さいわいなことに、彼は後遺症を発症しなかった。彼は比較的、被害の軽い地域にいたのかもしれない。しかし、放射能障害を発病した母親は、三年と持たなかった。

重度の被爆者のなかには、皮膚が焼けただれて窒息死した者もいた。伸ばした指先から火が点いて、炭になっていく者もいた。川はふくれた水死体でいっぱいだったはずだ。倒壊した家の下敷きになった家族が炎に包まれたのを、生涯、悔やんでいる人もいた。
原爆を語る生き証人は、年々、少なくなっていく。

少年は、その後、世界的なファッションデザイナーになった。
その多感な十代を、焦土と化した広島が復活する様子を眺めながら過ごした。広島の平和記念公園の建設、そしてイサム・ノグチのデザインした平和大橋。破壊された都市がふたたびデザインされていく様に感銘を受け、彼は創造活動に没頭し、あの破壊を忘却の底に沈めてきた。

2009年7月14日付の『ニューヨークタイムズ』誌に、古希を過ぎたかつての少年・三宅一生はすべてを告白した。彼の決意を促したのは、バラク・オバマ合衆国大統領のその年4月のプラハでの演説だった。

cf. ISSEY MIYAKE "A Flash of Memory" The New York Times, July 13, 2009

もし彼が原爆を浴びたことを告白していたら、黒澤明とならぶ、世界的に影響力のある芸術家として、認められなかったかもしれない。米国は、いまだ、原爆がパールハーバーの意趣返しであり、それが一億玉砕火の玉で特攻してくる日本兵の蛮行を止める、ゆいいつ最良の手立てであったと考えている。とくに冷戦時代のアメリカは、けっして評価しなかっただろう。だから、今さらになっての告白はずるいかもしれない。反戦のオピニオンリーダーに担がれるのを彼は恐れた。それでも、保身に走ったと罵られるのを覚悟しても、倫理的な義務感に駆られて、彼は告白した。彼のように、原爆症であることを秘した者は少なくなかったという。井伏鱒二はその小説『黒い雨』で、親族の家に疎開し、原爆後の現地を歩き回ったがために、命が脅かされていく若い女性とその叔父たちの苦悩を淡々とした筆致で描いているが、結婚や就職をかんがえて、あるいは国の保障もなくもだえ死んでいった患者に対する後ろめたさもあって、被爆を隠さざるを得なかった、生まれてくる子や孫も知らなかったというケースは多い。生まれながらに戦傷の刻印を遺伝子にもつ人々の哀しみを、当事者でない者がうかつに文字にすることはできない。不幸を出世の糸口にしたという素気無い評判も付きまとう一方で、しかし、それでもよくぞ重い口を割ってくれた、と手を合わせたくなる気持ちもあるのである。

三宅一生の作品を、高松市だったと記憶するが、かつて美術館で見かけたことがある。
イサム・ノグチの和紙を用いたオブジェとのコラボレーションだった。ノグチの作品が目当てであって、当時このファッションデザイナーのことを微塵も知らなかった私は、セレブ御用達のお高い衣裳仕立屋が売名のためにノグチ作品を利用している。そう感じていた。
イサム・ノグチは敗戦国を父に、戦勝国を母にもつ日系人である。彼の日本的なオブジェ作品には民芸品のような素朴さがあって、三宅一生のようなセンセショーナルなデザインとは相容れないだろうと思っていた。展示場で天井から吊るされたプリーツには圧倒されたが、それでも、当時の若き日の私は三宅一生にこれといった思い入れはなかった。

今回の寄稿を読んでみて、なぜ彼が、イサム・ノグチと組みたがったのか、わかった気がした。
西洋のものとも東洋のものとも違う、肌にゆったりとまとわりつく彼の独特のデザインは、ひょっとしたら被爆者の焼けただれた皮膚に貼り付いたぼろ継ぎの衣裳への恐れ、だったのかもしれない。だが逆にあの脱がせやすそうなだらんとしたつくりは、被災者の来ていたであろう服を思わせるといえなくもない。彼の制作に、原爆体験は大きな影を落としていたのではないだろうか。

原爆を生き延びたがゆえに、原爆を語る力をもてたデザイナーとして三宅一生が、ふたたび被爆都市に希望の架橋をつくったデザイナーと共演する展示会があれば、その時こそ私はこころから楽しむだろう。

以上は今から8年前のその2009年に書いた拙文に加筆修正したもの。
三宅一生が願ったように、昨年には合衆国のバラク・オバマ前大統領が広島の記念式典に参加し、折鶴を贈った。大統領がご老年の被爆者と抱擁する報道写真は、いまだに記憶に新しい。オバマ氏への土産として、三宅デザインの万年筆と腕時計が選ばれたという。広島の原爆ドームは、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所と並ぶ、人類史上の負の遺産として、世界遺産にも登録された。

その一方で、米国や中国をはじめとした大国で自国第一主義を掲げるリーダーが誕生し、民衆の支持を得ている。あおられて、日本も都民ファースト、国民ファーストの気風がある。よもや、うかつに核兵器のボタンを押す愚行はすまいと思うが、最近の北朝鮮の精度のあがったミサイル発射による威嚇には、油断のならない危惧がある。

戦争を描いた物語にひかれて、杓子定規な正義感を貫いてみたくなるもの、そもそもそれが平和で退屈な日常の向こう側にある、刺激だという自覚がある。子供の頃の教科書に載っていた、原爆によって影のみが石段に残された衝撃的なあの写真のように、何気なく暮らしているというこの日々がある日脆くも崩れていく危険が常にあることを思えば、経文のごとく平和が大事と唱えつづけたくなる。子どもでもわかる道理を、平気でやぶってしまうのが大人なのだから。



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