認知症になった姑だが、内臓に悪いところはなく、至って健康そのものだ。
足腰も丈夫で長い距離も難なく歩く。
....が、認知症状は顕著な時もあれば、治った?と思えるほど話がスムーズな時もあって、それが私達夫婦を煩わせる。
外に出ることが昔から好きな姑は、今でもお誘いがあれば行く気満々なのだが、周りが姑の認知症状に気付き出してあまり誘わなくなった。
近所の仲良しには姑のことを正直に話してあるので、声掛けなど気軽にしてくれるのだが、これが遠出となり長時間となると同伴する人も疲れるらしい。
同じことを何度も何度も繰り返されれば相手になる人も疲れてしまう。
加えて、反論めいた応え方をすると本気で怒ったり、泣いたりすることもあるので、それを知ってる介護者の私が、「お願いします」の一言だけでお供をして貰うのも忍びないのである。
先日は、長く恒例になっている地域の仲間の会が新年会を兼ねて温泉に出掛けた。
昨年までずっと出席していた姑だが、今年は正式な案内が無かった。
人づてに、「来年一月もあるよ」..と聞いていたようだが、まとめ役さんからの直接の連絡や、出欠を問われないまま年を越した。
結局、行く前日になって、別の知り合いが我が家にやってきて、「ばあさん、行くんだろ?」と聞かれ、「行くよ、行きたいよ」となったのだ。
行くのはいいが、迎えにまで来るというホテルの車や、食事(お膳)などを前もって手配してあるのに、前日になっての飛び込み出席は大丈夫なのだろうか..と私は心配になり、慌てて世話役の方に連絡を入れた。
すると、行けなくなった人が出て、一人キャンセルしようかというところだったと喜んでくれたが、姑の参加を聞いて驚いていたような印象を受けた。
このように、周囲は姑に対して遠慮というか、どう取り扱って良いのか迷っているような空気が流れ始めているのが分かり、それらは、私や夫が十分に精査した上で参加を決めなければならなくなっている。
本人の意思を尊重したいのはヤマヤマだが、人様に迷惑や負担が掛かることは避けなければならないということである。
私達夫婦の思いが、そのまま外の人に伝わらず、認知症になった姑を邪見にして外に出そうとしてると思われたり、あまりに放任していると思われたり、とにもかくにも、特に嫁というものは悪者呼ばわりされるのである。
亭主を丸め込み自分の味方につけて、姑を排除しようとしているとか、何をやっても良く思われないのが嫁というものなのである。
夫の男兄弟は義嫁に対して遠慮がちだが、姉や妹というのは同姓である義嫁には冷ややかな目で見ることが多い。
親を看て貰う立場になってもアレコレと指図をして来るようで、「だったら引き取って貴女が看なさいよ」..と喧嘩になった例が幾つもある。
そういうことで実家の敷居が高くなり出入り出来なくなったという話も聞いた。
義姉に親と同居して貰っている兄弟姉妹(息子や娘)は、出来ることは協力し、義姉の負担を少しでも軽くしようという心構えが必要だろう。
それもせずに、いろいろ口は出すが、金も手も出さない、というのは言語道断である。
自分が看てもいない日常の世話を軽く見て、「嫁だから当然だ」の顔をするのは許せない。
自分の親を看てもらっている..という感謝は絶対に忘れてはいけないはずだ。
姑はいま、やっと朝食が終わってリビングで寛ぎ中だ。
「今日の私の予定は?」と私に聞く。
まるで私は姑の秘書である。(笑)
いわゆる「まだら呆け」の状態は、本人の気持ちが掴み辛い。
何度も繰り返す、気分の浮き沈み、探し物と徘徊、そういう状態がこの先いつまで続くのか見当もつかない。
足腰も丈夫で長い距離も難なく歩く。
....が、認知症状は顕著な時もあれば、治った?と思えるほど話がスムーズな時もあって、それが私達夫婦を煩わせる。
外に出ることが昔から好きな姑は、今でもお誘いがあれば行く気満々なのだが、周りが姑の認知症状に気付き出してあまり誘わなくなった。
近所の仲良しには姑のことを正直に話してあるので、声掛けなど気軽にしてくれるのだが、これが遠出となり長時間となると同伴する人も疲れるらしい。
同じことを何度も何度も繰り返されれば相手になる人も疲れてしまう。
加えて、反論めいた応え方をすると本気で怒ったり、泣いたりすることもあるので、それを知ってる介護者の私が、「お願いします」の一言だけでお供をして貰うのも忍びないのである。
先日は、長く恒例になっている地域の仲間の会が新年会を兼ねて温泉に出掛けた。
昨年までずっと出席していた姑だが、今年は正式な案内が無かった。
人づてに、「来年一月もあるよ」..と聞いていたようだが、まとめ役さんからの直接の連絡や、出欠を問われないまま年を越した。
結局、行く前日になって、別の知り合いが我が家にやってきて、「ばあさん、行くんだろ?」と聞かれ、「行くよ、行きたいよ」となったのだ。
行くのはいいが、迎えにまで来るというホテルの車や、食事(お膳)などを前もって手配してあるのに、前日になっての飛び込み出席は大丈夫なのだろうか..と私は心配になり、慌てて世話役の方に連絡を入れた。
すると、行けなくなった人が出て、一人キャンセルしようかというところだったと喜んでくれたが、姑の参加を聞いて驚いていたような印象を受けた。
このように、周囲は姑に対して遠慮というか、どう取り扱って良いのか迷っているような空気が流れ始めているのが分かり、それらは、私や夫が十分に精査した上で参加を決めなければならなくなっている。
本人の意思を尊重したいのはヤマヤマだが、人様に迷惑や負担が掛かることは避けなければならないということである。
私達夫婦の思いが、そのまま外の人に伝わらず、認知症になった姑を邪見にして外に出そうとしてると思われたり、あまりに放任していると思われたり、とにもかくにも、特に嫁というものは悪者呼ばわりされるのである。
亭主を丸め込み自分の味方につけて、姑を排除しようとしているとか、何をやっても良く思われないのが嫁というものなのである。
夫の男兄弟は義嫁に対して遠慮がちだが、姉や妹というのは同姓である義嫁には冷ややかな目で見ることが多い。
親を看て貰う立場になってもアレコレと指図をして来るようで、「だったら引き取って貴女が看なさいよ」..と喧嘩になった例が幾つもある。
そういうことで実家の敷居が高くなり出入り出来なくなったという話も聞いた。
義姉に親と同居して貰っている兄弟姉妹(息子や娘)は、出来ることは協力し、義姉の負担を少しでも軽くしようという心構えが必要だろう。
それもせずに、いろいろ口は出すが、金も手も出さない、というのは言語道断である。
自分が看てもいない日常の世話を軽く見て、「嫁だから当然だ」の顔をするのは許せない。
自分の親を看てもらっている..という感謝は絶対に忘れてはいけないはずだ。
姑はいま、やっと朝食が終わってリビングで寛ぎ中だ。
「今日の私の予定は?」と私に聞く。
まるで私は姑の秘書である。(笑)
いわゆる「まだら呆け」の状態は、本人の気持ちが掴み辛い。
何度も繰り返す、気分の浮き沈み、探し物と徘徊、そういう状態がこの先いつまで続くのか見当もつかない。