公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

続・アドバイザーに聞く

2006-02-25 00:01:04 | 競輪

ところで「寺澤部屋」(松戸ならば「山口国男部屋」みたいなもの。)には厳格な「ルール」がある。

「静かにすること。」

「酒、たばこは部屋の中では厳禁。」

「車券を取ったからと言って大声上げて自慢しないこと。」

など7箇条ぐらいあった。

ま、学校の規則みたいなものだが。

ところが、寺澤部屋に来る客はまずそうしたことを守るという。

昔から競輪客というのは「暴れる」イメージが強かったわけだが、寺澤さんは逆に客のことを信頼しているからこそ、こうしたルールを作ったんだろうね。

この日、寺澤「先生」は、各レースが終わるとすぐ次のレースの展望に入り、それを終わらせてから私の「インタビュー」に答える形を取ってくれた。

まず今の選手たちがなぜ「ダメ」なのかという話が寺澤さんのほうから出てきた。

「今の選手たちの大半は、一つずつのレースをどうやって組み立てていけばいいのかが分かっていない。だからレースが終わった後言い訳めいた話ばっかり出てくる。勝った選手もそうだが、負けた選手も、「このレースはどこどこにポイントがあった。」というような話が出てこない。」

「言い訳めいた話しか出てこないと、客は果たして狙った選手が次以降のレースにおいてやる気があるのかないのかが分からなくなってしまう。分からなければ買えないだろう。」

「今落車レースがあまりにも多いが、絶対に完走しないとダメだ。」

「事前に紹介されている並びさえきっちりとやらない選手が中にはいる。とんでもない話で、客はそれを参考に車券を買っているのに、初手から違う並びとなると裏切られた気持ちになるんではないか。」

今回のシリーズの目玉は北津留翼であった。私はこの北津留に対して以前から、北京五輪までは競輪は適当に頑張る程度でいいと述べてきた。なぜなら北津留の当面の目標は五輪でメダルを取ることだから。すると、寺澤さんから意外と肯定的な答えが返ってきた。

「もしそうならば、関係団体がしっかりとバックアップしてやらねばならない。」

「世界選手権やオリンピックで使用されるバンクはカントがきつく、ハンガー下がり(自転車のフレームの一番下の部分)をそれに合わせて上げてやらないといけない。つまり、使う筋力が違ってくるわけで、とても競輪と両立できるものではなかろう。」

と明快な答えが返ってきた。なるほど。

使う筋力が違うということもあるし、ハンガー下がりの位置が上がると回転負荷がかかりやすくなるから必然的に軽いギアを使用しないといけなくなる。

ところが今の競輪は逆に若い選手でも3.90とか、3.80とかいったギアで走っている選手がいる。となると、「国内の」競輪で力をつけてからといった悠長なことなど言ってられないというわけ。

だったら北津留については極力当分の間は過密斡旋状態にするべきではない。なぜなら、寺澤さんが話していたが、

「二兎追うものは一兎も得ず」

ということになるからだ。

北津留の件については午前中の「会談」において、青山場長も、

「グランプリなどの高額賞金レースに極力出すべきではない。もしそれを目当てにしてしまうとカネのほうに目が移ってしまって本人の目指す目標など達成できまい。」

とおっしゃっておられた。それに北津留はまだ20歳だし、まだ完全に筋力がついていない体だ。「日本の」競輪競走のスタイルがしみついてしまうと恐らく、世界では通用しない実力と成り下がってしまうだろうね。これでは、ジュニア世界選手権2冠というこれまでにない逸材を殺しかねない。

さて、寺澤さんは「元選手」だ。となると、私が常々「展開している」、

「開催削減、選手の大量首切り」

という話にはなかなかいけないわけだが、思い切って言ってみた。

「今の競輪選手のうち、3分の1は必要ないと思いますが・・・」

すると、

「それはダメ!退職金をドーンと出さねばならなくなるし、今の競輪の台所事情ではまずムリだろう。」

やっぱりそうした答えが返ってきた・・・

「それよりも例えばグランプリの優勝賞金は1億円だが、2着は2千万円にしかならない。誰もこうした賞金システムに異論を挟む者はいまい。」

「ところが普段の競輪の賞金体系をみれば分かるが、ベースは中間着順の5着で、そこから1着取ろうが9着に終わろうがそんなに変わらないところに問題がある。グランプリがそうした賞金体系となっているんならば、全てのレースにおいてそうしないとダメだろう。」

ま、私はただその件については「聞き役」に回るのみ。寺澤さんは、

強いやつは3億でも4億でももらえばいいが、そうでない最下級の選手は生活もままならないくらいの落差があってしかるべき。またそうした選手は競輪ではやっていけないというように思うのではないか。」

と話されていた。

確かにそれでいければいいんだが。問題なのは競輪選手の場合、ロートル選手は若いときに多く稼げているケースが大半だからサラリーマンのミドル層の処遇対応とはかなり様相が異なってくるように感じる。つまり、若いときの蓄積がある選手は例え年収200万円とか300万円とかになったとしても、「しがみつく」んではなかろうか?

それと、日本自転車振興会は単年度赤字が続いているが、貸借対照表を見ると相当にまだ「優良企業」であり、今だったら退職金を出してやることもできるんではないかと思うわけである。それに、F2開催は「全て」赤字だし、F1開催も他場場外発売が拡大しないとF2と同様の運命・・・

でも選手の大量首切りについてはさすがに元選手には突っ込みにくいなぁ・・・

あと、こちらも大問題となっているルールの件についてだが、これも意外と肯定的であった。

「これまで競技会は判定の重要性がわかっていなかったが、今のルール改正によって漸く分かってきたというように思う。」

しかしながらそれでもまだ客から文句を言われるのは判定に確固たる自信がないからだ。下手をすれば訴訟問題になりかねないものなのに、ちゃんと客に対して、どこがどうダメだったのかを説明しきれていない!」

これもおっしゃるとおり。

まず、どうして審議の対象となっているのかという説明が審判側からは「ない」わな。

以前よくT社長が、

「あれのどこが失格なんでしょう!」

という記述を書いていたが、そのたびごとに私は動画配信のあるところについてはその部分を何度も見て、最終的には、

「バカヤロー!審判の言うとおりだ!」

という答えを掲示板で返していた。はっきりいって、昔は「通用した」客やマスコミレベルにおいて、

「あれは失格ではないだろ!」

と思うケースは現行のルール下では必ずしもそうでない場合がほとんどなのである。

ところがいまだ客・マスコミ、それに選手から、

「各地で判定がバラバラだ!」

と返ってくるのはなぜか?

「それは競技会の人事異動に問題があり、審判を「専門職」として養成していないから。」

という答えが返ってきた。

ということは、審判ってずっと審判ではないのか?

「さらに審判の連中は休日の日に例えば新聞を見るとかさえしない者が多数いる」

という衝撃的な話も・・・

しかしながら寺澤「先生」の話を聞いていると、競輪上部団体には問題が山積しているようだな。しかしながらその問題山積の原因はどういうところにあるかというと答えは唯一つ!

「客の本音を読み取れていないこと」

に尽きる。

しかしながら寺澤先生もどんどん私と話をしたかったみたいだな。私もそうしたかったのだけど、何せ時間が限られているから・・・

それは、寺澤さんが、

「もっと客の話を聞いてみたい。」

という探究心旺盛な心をもたれているからだ。

寺澤さんがバリバリの現役の頃は、競輪といえば開催するたびごとに超満員状態ばかりで、まさかスカスカのスタンド風景になるとは思ってもみなかったことだろう。だからこそ、

「どうしてこう落ちぶれてしまったのか?」

という疑問がわいてくるのだろうと思う。

最後は握手を交わし、

「なかなか一宮へは来れないが、中部4場(大垣・岐阜・一宮・名古屋)の中では一番相性がいいし、これからもちょくちょく寄せてもらいます。」

ということで最終レース直前にお別れの挨拶をした。

でも私自身も寺澤さんがここまで競輪の将来のことを真剣に考えているとは思ってもみなかった。こうした人が頑張っているならば、競輪は「必ず」復活するはずだ!?

寺澤節男アドバイザーの経歴はこちら。

http://www.owari.ne.jp/~i-keirin/syoshinsya/syosinsya1.htm

世界選手権ドイツ大会(91年・シュツットガルト)の監督を歴任。

また、競輪のオリンピック種目実現についても多大な功績を残されている。

競輪ファンのみならず、これから競輪選手を志そうという若い衆も寺澤さんのアドバイスを受けてみればいい。自転車競技のイロハから教えてくれるかもしれないぞ。


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