公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

名鉄復活のワケ

2016-10-21 01:57:16 | 政治経済問題
去年だったか、名鉄の運転士である砂けいば氏に、名鉄特急はやたらと停車駅が増えたがなぜか?、と聞いたところ、

「速さではJRにはかなわず、結局、それだけだと皆JRに客を取られてしまうので、停車駅を大幅に増やした」

と返ってきた。

前にも書いたが、JRでは今や、姫路・豊橋 間は特別料金不要の「新快速(特別快速)」で行けてしまう(途中、米原、大垣で乗り換えあり)。この区間の所要時間はだいたい4時間半。大阪・名古屋 間だけ見ると同2時間半強程度。

つまりは、在来線の特急とほとんど変わらない。だから在来線で大阪・名古屋 間を利用する人は少なくない。

そういや、JRと競合する阪急のみならず、淀川の対岸で競合しない京阪までもが、特急の停車駅を増やしているが、多分、京阪神地域も同じ理由かも。

如何せん、名鉄といえば、岐阜・豊橋 間は「本線」なので、ここは稼ぐ体質を作らねばならない。しかし、それ以外のところはバッさバッさっと切っていった。結果、名鉄は復活した、と経済界から評価されているわけだが・・・


JR東海の攻勢をかわした「名鉄」の復活劇(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

東洋経済オンライン 10月20日(木)6時0分配信

名古屋鉄道(名鉄)は2016年3月期決算で、営業利益が24年ぶりとなる過去最高益448億円を記録した。5円配当にいたっては、46年ぶりという好実績だ。不採算部門の整理と、利益部門へのテコ入れという経営の王道を進み、みごとにその成果を結実させた復活劇をまとめた。

この記事の写真を見る

■利益の大黒柱は鉄道事業

 2016年3月期決算における名鉄の事業別営業利益を見ると、全利益のほぼ半分にあたる220億円余りを交通事業が稼ぎ出している。その交通事業の内訳をみると、鉄軌道事業が153億円と、約7割を占める。全営業利益に占める鉄軌道事業の営業利益は34.1%と、3分の1以上を稼ぎ出していることになる。名鉄が、大手鉄道事業者である証とも言えよう。

 24年ぶりに営業最高益を更新した名鉄だが、24年前といえば1992年3月期だ。バブル期最後の決算で、名鉄に限らず日本の産業界は翌年以降、“失われた20年”に突入していく。その過去の栄光に対して、四半世紀をかけてようやく復活した格好だ。

 その間の鉄道事業に関する主な動きをみていこう。

 1987年4月1日に、国鉄が分割民営化された。このとき、名鉄と競合する路線をもつJR東海が誕生した。JR東海が運営することになった東海道本線のうち、岐阜~尾張一宮~名古屋~岡崎~豊橋は、名鉄名古屋本線とほぼ併走している。

 特に、岐阜~名古屋間はほとんど併走しているうえ、紆余曲折のうえ開通した名鉄名古屋本線に急曲線が多いのに対して、東海道本線は線形が良い。さらに、名鉄岐阜駅(当時は新岐阜駅)の構内手前でJR東海道本線と立体交差するのだが、ここはわずかな区間ながら単線となっており、ダイヤ設定の制約を受ける。

バブル崩壊とJR東海の猛攻勢

 一方の豊橋口では、名鉄名古屋本線が上り線、JR東海の飯田線が下り線を担当することで複線を構成しているため、やはりダイヤの制約を受ける。名鉄が豊橋に延伸する際の豊川鉄道(飯田線の前身)との駆け引きと、太平洋戦争による豊川鉄道の国有化が原因なのだが、並行する東海道本線は複線を有している。

 つまり、名鉄にとって稼ぎ頭の名古屋本線は、両端ともにJR東海によって制限を受けてしまっているのだ。さらに、国鉄末期に導入された特定区間運賃制度により、国鉄は平行する私鉄と同じ運賃を適用する区間ができた。名鉄沿線では、名古屋本線沿いの主要駅間にこぞってこの制度が適用されていた。例えば、名古屋~岐阜間は、名鉄・JR東海ともに大人普通運賃は片道430円だった。

 それでも、JR東海発足時の東海道本線は、国鉄時代のダイヤを引き継いだため朝7時台でも岐阜発の上り列車はすべて各駅停車で1時間7本、所要29分であった。当時、名鉄も同じく7本だったが、うち1本は座席指定席特急で所要28分、急行では所要38分であるものの、ほかに新一宮発の準急が2本あり、運行頻度と名古屋市営地下鉄東山線との乗換の便利さで、優位に立っていた。

■競合しない路線に重点シフトへ

 しかし、JR東海は1989年に新型車311系を投入、その後さらに313系を大量投入し、いまでは岐阜発の午前7時台は1時間に15本、うち1本が定員制ホームライナーとなっている。所要時間も新快速で最速22分、運賃470円と、名鉄の1時間8本、最速29分、運賃550円に比べて優位に立っている。尾張一宮~名古屋間にいたってはさらに顕著で、JRが所要時間12分で300円なのに対して、名鉄は17分370円と、大きく差がついている。

 この結果、バブル崩壊に続くJR東海による攻勢で、名鉄の鉄道事業は大ピンチを迎えることとなった。

 東海道新幹線で稼ぎ出した利益を、新幹線投資の合間をみて在来線投資に振り向けるJR東海に対して、名鉄はその資金力で対抗することは難しい。なにせJR東海は、JRグループ旅客6社で唯一、国鉄時代の車両を一掃し、2016年度からはJRになってから新製した車両だけにしてしまったほどだ(JR東海発足の5カ月前に新製した211系電車8両を除く)。

 そこで、21世紀になってから名鉄は、従来の名古屋本線で稼いでいくビジネスモデルを転換し、JR東海と競合しない常滑線と犬山線で稼ぐ形に持っていく。


中部国際空港への輸送を独占

 その先鞭をつけたのが、2005年の中部国際空港開業だった。名鉄は、同年開催の愛知万博(愛・地球博)の開催に先立つ1月29日から空港特急「ミュースカイ」の運行を始めた。国際空港であるものの、JR東海はアクセス線を建設しなかったため、名鉄が鉄道輸送では独占できる立場にある。そのために開発した新車2000系による特急は、常滑線終点の常滑駅から第三セクター方式で沖合の人工島にできた空港線を通り、名鉄名古屋から中部国際空港までを28分で結ぶ。同特急は全車指定席で、名古屋市内では金山・神宮前に停まるものの、その後は空港までノンストップとすることで30分を切る所要時間を実現した。

 その結果、並行して走りはじめた空港連絡バスはまったく利用されず、名古屋市内から空港への公共交通輸送は名鉄が独占する形となった。そのため、当初3両編成だったミュースカイは、2編成併結の6両編成にしても満席の便が多く出たため、急遽中間車を増備して全車4両編成にしたほどだ。

 このミュースカイは、当初、名鉄岐阜と犬山線の新鵜沼から各1時間ヘッドでの運転となっていた。ところが、岐阜方面からの空港直通客は多くなく、いまでは日中に名鉄名古屋と新鵜沼から各1時間ヘッドとなり、名鉄岐阜発着は朝晩だけとなっている。

■犬山の観光キャンペーンも奏功

 続いて、2007年には犬山の城下町をメインに据えた「犬山キャンペーン」を始めた。従来、名鉄にとっての犬山は、「明治村」「リトルワールド」「モンキーパーク」といった名鉄経営の観光施設を有する地であり、その観光客を運ぶための犬山線だった。

 ところが、これら郊外にある施設には、自家用車でアクセスする人が増えていた。その対応として、これら観光施設はカルチャースクールなどとともに2003年に子会社「名鉄インプレス」をつくり、ここに運営委託や経営移管をしていた。つまり、名鉄本体にとって犬山線の利用促進は、犬山市の郊外にある子会社が運営する施設への送客に配慮することなく、独自の判断で決められる状態となっていたのだ。

 犬山市は、バブル崩壊頃から国宝の犬山城の下に、江戸時代の町割りがそのまま残る城下町があることに目を向けていた。当時の市長が本町通りの拡幅計画を白紙に戻し、本町通りに面する家々に協力を求めて個人宅の修景をした。さらに2009年には本町通りの電線地中化が実現し、一気に観光客が増えるタイミングでもあった。

 この2007年にはじめた「犬山キャンペーン」は好評で、いまも毎年春と秋の2回開催されている。キャンペーンがはじまると、本町通りの人通りが一気に増えるほど、その効果は絶大だ。


不採算部門を大胆に削減

 鉄道線で競合しない路線での利益確保に動いた名鉄は、一方で、不採算部門の整理も大胆に推進していた。

 昭和30年代から、私鉄大手各社はこぞって全国展開を進めることで、一大産業へと発展していった。名鉄も例外ではなく、東海・北陸はもとより、東北・北海道にも進出して、多くのグループ会社をつくっていた。その最盛期には250を越えるグループ会社があったという。それが、いまや139にまで減っている。

 鉄道事業でみると、2008年12月に福井鉄道、2015年8月には大井川鐵道の経営から撤退している。バス事業でも、2006年1月にニュー東京観光自動車と札幌観光バス、2012年3月には網走バスの経営から撤退するなど、合理化を進めている。なかには、2005年3月の北陸交通解散や、2006年10月おんたけ交通を特別地方公共団体である木曽広域連合に譲渡する例などもある。

■名鉄本体でも赤字線に大ナタ

 さらに、名鉄本体でも、末端部の不採算路線を次々に廃止している。まずは、電化方式が直流600Vであった、いわゆる600V線区の美濃町線のうち、長良川鉄道と並行している新関駅~美濃駅間を1999年4月1日に廃止。その際、新関駅から長良川鉄道の関駅までわずかながら路線を延ばし、踏切も設置した。

 同年10月1日には、1500V線の竹鼻線・江吉良駅~大須駅間、電化廃止区間の八百津線・明智駅~八百津駅間、それに600V線の揖斐線・黒野駅~本揖斐駅間、谷汲線の黒野駅~谷汲駅間を一気に廃止している。同時に、国鉄時代から高山線に乗り入れていた特急「北アルプス号」も廃止され、鵜沼にあった名鉄~JR東海の連絡線が使われなくなった。

 2004年4月1日には、三河線のうち電化を廃止してディーゼルカーにより運転していた碧南駅~吉良吉田駅間と猿投駅~西中金駅間を廃止した。これにより、1984年に第三セクターよりも早く導入した、LE-Carにはじまるレールバスを全廃し、営業用車両の全車を電車とした。


パノラマカー引退、車両も新世代へ

 2005年4月1日には、岐阜600V線と呼ばれてレイルファンの注目の的だった岐阜市内線・田神線・揖斐線・美濃町線を全廃。名鉄の路線は1500V線と、犬山線犬山遊園駅-動物園駅間を結ぶモンキーパーク・モノレール線だけとなったが、日本初の跨座式だったそのモノレールも2008年12月28日に廃止した。ちなみに、その2日前となる12月26日は、名鉄を代表する前面展望車「パノラマカー」定期運行の最終日だった。この時期に、車両面でも続々と新時代に移行していたのだ。

 さらに、ICカード乗車券“manaca”を採用して全線全駅に導入したものの、不採算区間である蒲郡線・吉良吉田駅~蒲郡駅間と、広見線・新可児駅~御嵩駅間の中間駅と終点の蒲郡駅・御嵩駅については導入を見合わせている。この対応として、吉良吉田駅と新可児駅には、manaca非対応区間との中間改札を設けている。この2区間は廃止対象であるものの、地元の存続意欲が高いため、地元と協議し支援を得ながらの運行を行っている。

■不動産と交通が好業績を牽引

 これらの対策をしてきた結果、バブル崩壊後に低迷していた名鉄の株価が、近年急回復している。

 2000年以降で高値を記録したのは、中部国際空港が開港してミュースカイが走りはじめた2005年の年末、12月30日の455.00円だった。その後、じりじりと値を下げ、2008年のリーマンショック後に下落が加速。2011年6月17日に、最安値となる194.00円をつける。

 翌2012年12月に第二次安倍内閣が発足すると、経済対策によって株価は右肩上がりになる。このときに名鉄の株価を牽引したのは、不動産事業だった。その不動産事業に限界が見え始めたタイミングで、交通事業が軌道に乗って株価の牽引役となり、2016年7月8日に最高値588.00円をつける。この不動産事業と交通事業の協業成果として、6期連続で純利益増加、12年ぶりに過去最高の純利益を更新して245億円とするとともに、24年ぶりの最高営業利益448億円を記録したのだ。

 交通事業が好調になった要因は、日本一の製造業を要する沿線企業の業績が向上し、通勤利用が増えたこと、ビジットジャパン政策と円安で日本ブームが起きた事による訪日外国人の増加。さらに、米シェールガスに端を発する原油安による、経費減少効果の相乗効果だ。

 このように順風満帆に見える名鉄に死角はないのか、次回、その検証を試みたい。

伊藤 博康
ジャンル:
経済
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 公明党も激怒!山本有二の辞... | トップ | 10/22の地方競馬 »
最近の画像もっと見る

あわせて読む