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第70回日本選手権競輪回顧 コンドル日記付 最終日の売り上げ39.4億円!

2016-05-08 00:41:15 | 大レース回顧集
画像ソースはデイリースポーツ。


関連記事:5/5 静岡・日本選手権競輪 中川誠一郎大捲り決め日本一!


【静岡ダービー】熊本出身中川がG1初V!被災地へ勇気と元気届けた ― スポニチ Sponichi Annex 競輪

中川がG1初制覇――。平成28年熊本地震被災地支援競輪「第70回日本選手権競輪」の決勝戦は5日、静岡競輪場で行われ、中川誠一郎(36=熊本・85期)が優勝。競輪ダービー王の称号と賞金6500万円とともに「グランプリ2016」(12月30日=立川)の出場権利も獲得した。熊本出身のG1優勝は合志正臣(06年12月・全日本選抜)以来4人目。なお中川はリオ五輪でのメダル獲得に専念するため、この後実戦を離れる。

 熊本地震被災地支援として開催された「静岡ダービー」は被災地・熊本市に住む中川が優勝した。14日に続く16日の震度7の地震時には「全日本トラック選手権」出場予定のため伊豆にいたが、中川はすぐに自宅に向かった。

 しかし「空港が使えず1日待って先輩に福岡空港まで迎えに来てもらった」。大渋滞の中、自宅に戻ると「給湯器が壊れたり、家の中はめちゃくちゃで…」。余震が続く不安な日々の中で片付けなどに追われた。

 それでもリオ五輪前の最後の実戦となるダービーを控えており「直前は川崎競輪場に移動して練習した」。もちろん練習量は不足、余震が続くだけに熊本の状況が気になる精神的にも疲れた状態で今大会を迎えていた。しかし「被災地支援として開催してくれるので僕にできることは頑張って走ること」の思いだけで決勝戦進出を決めた。

 2度目のG1決勝戦の舞台は単騎戦。「ワンチャンスはある。そこを逃さないように」と勝機を狙った。レースは新田と深谷が踏み合う流れとなり中川向きの展開となった。「自分の一番得意な仕掛け」で踏み込むと前団を一気に捉えて2着に4車身差をつける快勝劇となった。

 「しびれました。幸福です」とG1初優勝の喜びに続いて「熊本に戻り、選手会にも相談して(義援金など)考えます」と賞金の一部を熊本の復興のために使う考えも明かした。

 今後は8月のリオ五輪に備えて合宿、競技大会など自転車競技(スプリント)に専念する。「メダルが獲得できるように頑張ってきます」。競輪の実戦復帰は8月下旬以降の予定。ダービー王の中川が弾みをつけてリオ五輪に向かう。

 ◆中川 誠一郎(なかがわ・せいいちろう)1979年(昭54)6月7日生まれの36歳。熊本市出身。私立真和高卒。00年8月プロデビュー。通算成績は1231戦351勝。通算取得賞金は4億7068万円。主な優勝は第70回日本選手権(16年)。1メートル74、78キロ。血液型AB。






【静岡ダービー】先手取ったが…新田6着に沈む (競輪) [ 5月6日 ]
【静岡ダービー】深谷不発の展開、吉田は2着まで (競輪) [ 5月6日 ]
【静岡ダービー】戦い終えて (競輪) [ 5月6日 ]


平成28年5月5日

中川誠一郎が熊本に火を灯す、競輪人生最高の捲りを決めました。現在も余震に脅える熊本県人にこれ以上ない勇気をプレゼントしてくれました。

豊橋の仕事で熊本に戻り社員と一緒に応援しましたが、思わずホームでは「誠一郎、行け!」と大声で叫んでました。踏んだ瞬間行ったと思ったし、ゴール迄は独り旅に社員全員涙を流し、心を一つにしてくれました。ファンからの祝福の電話も皆涙声で、早く熊本競輪を再開して欲しいの嵐、競輪の仕事をして約58年間、最高の瞬間でした。熊本がこんな状態の時の快挙、「神風」は吹くもの何ですね、何度VTRを観ても飽きないとはこの事です。

予想は▲にして穴目では的中させましたが、どうして◎を付けなかったのか、それだけが悔い。この優勝で初のグランプリを決めて、8月のリオ五輪に向かいます。

渡邉一成は全日本選抜を獲りグランプリ、残るは脇本雄太がオリンピックでメダルを獲り、立川グランプリに出る事です。きっとやってくれるでしょう。熊本万歳!誠一郎万歳!



ところで、T社長、何と、最終日の売り上げは「凄いぞ」!


売 上 3.937.035.500円


何と、40億近くいった!

また、


入場人員 13.181名


だから、年末のグランプリに匹敵する数字だ。


こうなると、やはり、いずれは「静岡グランプリ」開催が実現するのかも。


<11R>

 「平成28年熊本地震被災地支援競輪」として行われた今シリーズに、熊本勢からは6人が出場。いまもなお、やまない断続的な地震に練習どころか、普段の生活さえままならない苦しい状況のなかで、みんなの思いを背負い中川誠一郎が逆境を乗り越えてドラマティックなG1初制覇を遂げた。

 「もう感謝しかない。この被災地支援競輪で僕が優勝できたのも、みんな応援してくれたおかげだと思っているので本当に感謝しています」

 4月14、16日と熊本を大きな揺れが襲った。2度の地震の際には神奈川と静岡にいた中川だったが、福岡を経てなんとか故郷に戻ったのは数日後だった。

 「2回目の地震で移動ができなくて1日、2日待って。福岡に飛んで先輩に迎えに来てもらいました。高速も通ってなくて、バスと電車も止まってた。(自宅の)建物自体はなんとか持ちこたえたんですけど。家の中はぐちゃぐちゃでした。5日間くらいは熊本でできる限りのトレーニングと、片付けに追われてた感じです。それで2、3日前に川崎に入って練習をさせてもらった」

 故郷の大きな被害を目の当たりにした中川は、ダービーでの走りで被災地にエールを送ることを誓った。

 「僕ができることは走ってアピールすることなので、それができたのでサイコーですね」

 レースは、深谷知広に押さえ込まれた新田祐大が番手で粘り、吉田敏洋と併走で赤板を迎えた。深谷がインを空けると、誘われるように新田が内を抜け出して主導権。4番手で立て直した深谷が、今度は打鐘の3コーナーから反撃。新田、深谷、輪界を代表する両者の踏み合いで中川にチャンスが生まれた。

 「いろいろ考えたんですけど。やっぱりもう自分が一番得意な悔いのない戦法で思い切り、ワンチャンスだけ集中していこうと思っていました」

 牛山貴広、稲川翔と中川以外の単騎の2選手が流れに遅れまいと前々に踏み込むが、中川だけは打鐘を過ぎても車間の空いた9番手の最後方。じっと脚を溜めて自らの爆発力を信じて一撃にかけた。

 「出切った時に新田君と吉田君が追いかけているので必死でした。それだけでした。(ゴールを先頭で駆け抜けて)シビレました」

 最終ホームから踏み込むと、不発で浮いた深谷のあおりを物ともせず大まくり。合わせるように自力に転じた吉田、逃げる新田をとらえても中川のスピードは衰えず、2着の吉田を4車身ちぎって初戴冠を成し遂げた。

 「なんて言うんですかね…、自分の力だけじゃないところがあるような感じがして。みんなに獲らせてもらった感じです。本当に自分に6日間追い風が吹いていたような感じです」

 優勝賞金6500万円獲得し、年末のグランプリ初出場を決めた中川は、8月には2度目の五輪出場でメダルの期待がかかる。

 「(賞金は)全部って言いたいところですけど(笑)。(五輪で競輪を)3カ月くらい休むんで、多少なりとも熊本に使っていただけるように(寄付を)考えたいと思います」

 故郷の熊本への支援を約束する中川が、今度はリオ五輪で被災地を元気づける。



日本選手権競輪 決勝結果 2016日本選手権競輪G1静岡競輪 2016/05/05(木) 17:23

【GⅠ】被災地支援競輪第70回日本選手権競輪/静岡競輪場 第11R(S級決勝)

静岡競輪場で開催された「被災地支援競輪第70回日本選手権競輪」は5日に最終日を迎え、最終第11Rで決勝戦が争われた。

① 渡邉 晴智 (静岡・73期)
② 深谷 知広 (愛知・96期)
③ 稲川  翔 (大阪・90期)
④ 中川誠一郎(熊本・85期)
⑤ 新田 祐大 (福島・90期)
⑥ 牛山 貴広 (茨城・92期)
⑦ 吉田 敏洋 (愛知・85期)
⑧ 松坂 英司 (神奈・82期)
⑨ 近藤 龍徳 (愛知・101期)

周回中 ← 518 4 6 3 279

レースは青板周回に入り、バック7番手から深谷が上昇するが、新田が深谷の番手で粘り内からすくい、深谷は一旦中団へ戻る。打鐘が鳴り、再び愛知勢が上がり、深谷と新田のもがき合いになる。最終周回、後方から中川が捲り発進。2コーナー3番手からは吉田が仕掛け、バックで先頭が中川へ変わると、そのまま追走を引き離して1着ゴールイン。G1初優勝を決めた。


◆中川 誠一郎 選手 勝利者インタビュー◆
今回のダービーも熊本地震被災地支援ということにしていただいて、本当に感謝しています。熊本のファンの皆さんに一番最初に(喜びを)伝えたいです。自分の力を、一番得意な戦法を信じて走るしかないと思っていたので、貫けてよかったです。(オリンピック前)国内最後のレースを優勝で飾れるなんて最高に幸せです。皆さん、応援ありがとうございます。しっかりリオオリンピック頑張ってまた戻ってきたいと思います。



【日本選手権競輪】熊本の中川がG1初制覇、被災地に吉報届けた ― スポニチ Sponichi Annex 競輪

熊本地震の被災地支援競輪として開催の第70回日本選手権(G1)最終日は5日、静岡市の静岡競輪場で決勝(2425メートル、6周)が行われ、リオデジャネイロ五輪の自転車競技トラック種目スプリント代表の中川誠一郎(熊本)が3分32秒6(上がり11秒2)で勝ち、G1初制覇を遂げるとともに優勝賞金6500万円を獲得した。

 レースは残り1周で新田祐大(福島)が深谷知広(愛知)を抑えて先行。G12度目の決勝に臨んだ中川は、2コーナー付近で後方外側から一気にまくって3コーナー手前では先頭に立ち、2着の吉田敏洋(愛知)に4車身差をつけて圧勝した。3着には地元静岡の渡辺晴智が入った。新田は6着、深谷は9着に終わった。

 払戻金は車連単が(4)―(7)で5210円、3連単は(4)―(7)―(1)で4万8950円。
[ 2016年5月5日 18:15 ]



2016/05/05(最終日)第11レースS級決勝 2425m(6周)先頭固定競走 

2枠複 4=5  490円
2枠単 4-5  820円
2車複 4=7 2370円
2車単 4-7 5210円
3連複 1=4=7  8700円
3連単 4-7-1 48950円
ワイド 4=7  880円
ワイド 1=4  940円
ワイド 1=7 1040円

1 4 中川 誠一郎 36 熊本 85 S1 11.2 捲くり B
2 7 吉田 敏洋 36 愛知 85 S1 4  車身 11.4 捲くり
3 1 渡邉 晴智 42 静岡 73 S1 1/2車身 11.3
4 6 牛山 貴広 34 茨城 92 S1 3/4車身 11.2
5 9 近藤 龍徳 25 愛知 101 S1 1/2車身 11.3
6 5 新田 祐大 30 福島 90 SS 1  車身 11.7 H
7 3 稲川 翔 31 大阪 90 S1 1車身1/2 11.6
8 8 松坂 英司 41 神奈 82 S1 3  車身 11.8
9 2 深谷 知広 26 愛知 96 S1 大差



熊本登録の日本選手権優勝者は、1966年の宮路雄資以来だね。

深谷と新田がやり合うのは目に見えていたので、中川とすれば、「得意の単騎戦」だし、仕掛けるタイミングをいつするのかを考えていたと思うが、中川にしては「珍しい」、ロング捲りに打って出た。しかも、捲ったコースは競輪選手では滅多に通らない、「大捲り」のコースであり、これが決まったとなると、他の8選手はなすすべもない。圧勝だった。

中川といえば、脚力は競輪選手の中では一二を争うと言われ続けながらも、それがなかなか競走に生かされなかった「未完の大器」だったが、36歳にしてついに日本一。その背景には、30を過ぎてナショナルチームの一員になったことが大きく影響していると言ってもいい。

中川がナショナルチーム入りする前、トラック日本代表は空中分解同然の状況となり、代表を辞退する選手が続出。そんな中、当時競輪で燻っていた中川がナショナルチーム入りし、渡邉一成や新田祐大といった選手たちを牽引したことにより、再び、トラック日本代表が戦える環境が整った。2012年にロンドン五輪に出場。2016年のリオ五輪は、終盤までもつれたが、スプリントの出場権を獲得した。この争いを制したことで、競輪にも自信がついたのではないか。

今大会は勝ち上がり過程では全て2着での決勝進出だったが、一次、二次の各予選は得意の捲りを放っていたし、準決勝は内に包まれながらも、我慢の競走で2着に入った。動きそのもの自体がいい中で迎えた決勝戦だったと思う。

これで、「競輪は年末まで考えなくていい」ので、リオ五輪に明日から集中してもらいたい。前にも書いたけど、中川の難点はメンタル面にある。世界選やW杯は予選の勝ち上がり過程が非常に厳しいため、持てる力をほとんど発揮しないまま終わった印象が強いが、オリンピックは世界選と比べると勝ち上がりは多少ラク。少なくとも、ベスト8入りぐらいはできる力はあると思う。


吉田敏洋と渡邉晴智は、それぞれ前の選手が行ききれなくなった中、よく突っ込んできた。吉田は戦前から好調だったし、渡邉は地元の意地があったのだろう。

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