ところで思うに、競輪はトップクラスの選手に限って言えば、創成期から一種の「流れ」を受け継いでいるように思う。
それは、トップクラスの選手についてはほとんど、いつの間にか消えたという選手がほとんどいない。せいぜい思い浮かぶのは吉川多喜夫ぐらいかな。
もっとも、中下位レベルの選手になると、いつの間にか引退を余儀なくされたといったケースもあった(というか、今でもある)ようだが、少なくとも、整備違反により引退選手が多数出た競艇や、黒い霧と言われる八百長疑惑事件があったオートレースと比較すると、不本意な形で引退したというケースはトップレベルの選手に関していえば非常に少ない。
中野浩一の10連覇にしても、突然変異的に達成されたものではないと考えられる。その以前には、中井光雄、松本勝明、吉田実などの選手たちが世界選手権制覇への夢の道を拓き、平間誠記があと少しでメダルに手が届きかけ、阿部良二が初めてメダル獲得を果たしたという流れがあったからこそ、中野の10連覇が導かれたのだと考えられる。
昭和20、30年代の競輪といえば、今とは180度違って、記念以上の開催になると、車券も満足に買えない状態だったという。にもかかわらず、客は常に満員状態であり、しかも、車券も買えないのに、特別競輪や記念競輪ともなると、ただ見ているだけの客が大勢いたという。
ということは、昭和20、30年代の特別競輪の優勝常連選手といえば、それこそ、ネ申(あの掲示板風な書き方だが)扱いされていたということか。
しかしながら、昭和40年代に入ると、競艇の売り上げが急激な伸びを見せる反面、競輪は伸びが鈍化することになる。その原因は、競艇がいち早く施設の近代化、舟券の機械化を進めたのに対し、競輪はその点で大きく立ち遅れたこにつき、「焼け跡風情」からなかなか脱し切れなかったことにあるという見方が、競輪40年史や50年史あたりではされている。
また、KPK以前の競輪といえば、配当が極端に安すぎるといった現象も起こっていた。記念の準決勝あたりだと、100円台のオンパレードとなり、2点買うと損してしまうというのが通例となっていた。対して競艇は、6艇なのに、連単の平均配当は1000円ほどにもなるということになれば、競輪をやめて競艇へ向かうというのが当然の流れだったともいえる。
かくして1975年、ついに競艇が競輪を抜き、公営競技売り上げナンバーワンの座を射止めた。以後、競艇が年間売り上げにおいて、競輪を下回ったという年度は一度もない。
むろん、1日あたりの売り上げという観点に立つと、逆に競輪が競艇よりも下回ったというケースはいまだないわけだが、西中準氏の競艇ガイドブックによれば、昭和38(1963)年、全日本選手権の住之江初開催の年であったが、最終日の売り上げがせいぜい5500万円程度だったのに対し、同時開催の西宮競輪はヒラ開催だったにもかかわらず、7000万円を越す売り上げを計上したと述べられている。こうした点を見る限り、競艇は競輪には到底追いつけるわけがないという流れが当時はあった。それが、わずか10数年後には、競輪を追い抜くわけである。
しかしながら、競艇に売り上げで抜かれた後になって、中野浩一という、「救世主」が競輪に現れるわけで、売り上げは確かに競艇のほうが上だが、世間的な露出度という観点に立つと、断然競輪のほうが多くなった。
1976年に野中和夫が公営競技史上初の、年間獲得賞金額6000万円を突破したが、そうした事実がほとんど知られることがなかったばかりか、その4年後に中野が、当時8000万円の年俸だった王貞治を上回る、年間獲得賞金額1億円を突破すると、「競輪選手は稼げる」という流れが強くなった。
この流れは競艇界に大きな衝撃を与えたようで、後に競艇は、SG、G1の大幅賞金引き上げを試みることになる。加えて競艇は、後にいわゆる「イケメン路線」も模索していくことになるわけだが、こうした試みについても、「打倒!中野浩一」という意味合いが大きかったと聞く。ちなみに当時の競艇選手といえば、野中を含めて角刈り頭の選手が大半であり、どこかの組の人と見間違えるかのような風貌の選手もまた多かった。
なぜ途中で競艇の話を挟んだかというと、競艇は今でも競輪に対してライバル心が強いということを言いたかったからだ。対して競輪はどうかというと、「競艇に追いつけ追い越せ!」といった気概を業界団体が持っているとはとても思えない。
確かに、今でも、レースの中身という観点に立てば、競輪のほうが競艇よりも面白いのかもしれない。しかしながら、競馬をやっている客が、競艇は一度やってみようかと思うことはあっても、競輪もやってみようかと思うケースは恐らく今やほとんどあるまい。
となれば、よく、「競輪はギャンブルであってスポーツではない」という話が聞かれるが、果たしてそれはどうかな?と思うわけである。もし競輪にギャンブルとしての魅力がいまだあるのであれば、競艇はやるけど、競輪はやらない、なんてことはありえないはずである。
(続く)









