公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

長い写真判定

2008-11-03 06:58:42 | 競馬

大師匠のブログに、1996年のスプリンターズステークスにおいて、フラワーパークとエイシンワシントンのなが〜い写真判定の話が書かれていた。

http://plaza.rakuten.co.jp/daikokusya/diary/200811020000/

ま、昨日の天皇賞の写真判定は、別に審議でもないのに、本当に長かった。また上記のレースも本当に長く、同着でもいいんじゃないか、という声も確かにあったな。

私はもっと古い、1979年の日本ダービーのことが思い出される。先頭を行く、カツラノハイセイコをリンドプルバンが一完歩ごとにハイセイコを追い詰め、ゴール線上はほとんど同体だったシーン。丁度このダービーが、競馬を見た最初のレースでもあった。

確かこれも10分ぐらい続いたと思うが、善さんこと、松本善登騎乗のハイセイコが勝ち、当時45歳だった松本は、当時のダービー最年長優勝騎手となった。

もともとハイセイコは福永洋一が乗っていたが、兄弟子である「善さん」の体の調子がよくないことから、

「オレはまだいつでもダービーを勝てるチャンスがある。でも善さんにはもう今年しかチャンスはない。」

ということで、わざわざ降りたというエピソード話まであるほどで、そういった意味でも感慨深い。でも、洋一はこの年の3月、毎日杯で落馬し、二度と騎乗できなくなってしまった。ま、一般的には、ハイセイコーが初仔にしてダービー馬を輩出したことで話題になったが。

もっと古い話だと、1961年の日本ダービーのハクシヨウとメジロオーの大激闘だな。メジロオーがヒタヒタとハクシヨウに迫ったところがゴール。このレースも着順が出るまでかなり時間がかかり、「髪の毛の差」でハクシヨウが勝ったとまで言われたレースだが、レース後、メジロ軍団の北野さんが、

「別にダービー馬が2頭いてもいいじゃないか!」

と激怒したという話は有名。

そして、名門・メジロは、まだ一度もダービーに勝ったことがない・・・

ジャンル:
競馬
キーワード
ハクシヨウ ハイセイコー 1961年の日本 カツラノハイセイコ 1979年の日本 フラワーパーク エイシンワシントン スプリンターズステークス
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