当ブログでも度々取り上げたことがある、「悲劇の名選手」、長義和さんへのインタビュー記事が、28日発売の日刊ゲンダイに掲載されていた。
長さんというと、モントリオールオリンピックのスクラッチ(現在の個人スプリント)で、日本自転車競技界として、オリンピックで初めて6位入賞を果たした一方で、23歳のときに競輪学校41期(井上茂徳もこの期)試験に合格したにもかかわらず、1980年のモスクワオリンピックでメダル獲得を目指すべく、入学を辞退。そして1979年のプレオリンピック・スクラッチで3位に入ったことから、モスクワオリンピックでもメダル獲得が期待されたが、承知の通りその大会、日本はボイコット。おまけに競輪学校の受験年齢が過ぎていたことから、競輪選手にもなれないという悲哀を味わったことで知られている。
ところで、日刊ゲンダイの話によると、実は長さんは、中野浩一と「非公式」ながらも、サイクルスポーツセンターで5回程度、現在の個人スプリントで対戦しているそうで、全て「勝った」のだとか。
もっとも、中野といつ対戦したのかはわからないし、しかも中野は結構、「非公式大会」では負けている(全プロでも、トカシュ、(アマチュア時代の)カール、中武克雄に負けている)ので、それが果たして絶対的な尺度になりうるかどうかは微妙なところでもあるが、少なくとも長さんが競輪界入りしていたならば、ひょっとすると、中野のV10は「なかったかもしれない」ね。
現在、長さんは和歌山県田辺市でパン屋を経営している。選手時代から海外生活が長かったため、パン食が習慣となったことで、自身でパン職人になろうと思ったのだとか。
長さんというと、モントリオールオリンピックのスクラッチ(現在の個人スプリント)で、日本自転車競技界として、オリンピックで初めて6位入賞を果たした一方で、23歳のときに競輪学校41期(井上茂徳もこの期)試験に合格したにもかかわらず、1980年のモスクワオリンピックでメダル獲得を目指すべく、入学を辞退。そして1979年のプレオリンピック・スクラッチで3位に入ったことから、モスクワオリンピックでもメダル獲得が期待されたが、承知の通りその大会、日本はボイコット。おまけに競輪学校の受験年齢が過ぎていたことから、競輪選手にもなれないという悲哀を味わったことで知られている。
ところで、日刊ゲンダイの話によると、実は長さんは、中野浩一と「非公式」ながらも、サイクルスポーツセンターで5回程度、現在の個人スプリントで対戦しているそうで、全て「勝った」のだとか。
もっとも、中野といつ対戦したのかはわからないし、しかも中野は結構、「非公式大会」では負けている(全プロでも、トカシュ、(アマチュア時代の)カール、中武克雄に負けている)ので、それが果たして絶対的な尺度になりうるかどうかは微妙なところでもあるが、少なくとも長さんが競輪界入りしていたならば、ひょっとすると、中野のV10は「なかったかもしれない」ね。
現在、長さんは和歌山県田辺市でパン屋を経営している。選手時代から海外生活が長かったため、パン食が習慣となったことで、自身でパン職人になろうと思ったのだとか。
共産圏の国は国家挙げての
薬物使用が横行してましたし
共産圏の国は事実上プロでしたので
日本みたいにアマ主義が徹底して
CM収入も禁止されてたので
長さんの6位入賞は
銀メダル以上の価値があるでしょうね
現在のドーピング検査では
6位以上の入賞者の内
長さん以外全員アウトの可能性も高いでしょうから
それは公営競輪競走という独特の狭いルールだからで、
シュートボクサーが「ボクシング世界チャンピオンも俺らの寝技には勝てない」と能書きこくようなもので、
こういう存在を見たら間違ってもそんなこと言えない。恥ずかしいね。