有馬記念ファン投票第1位の出走回避は実に50年ぶりのことだとか。
http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/12/12/02.html
その50年前とは、牡馬三冠レース及び、春の天皇賞でも2着となったものの、とうとう八大競走で1着を取れぬまま引退したカツラシユホウ以来とのこと。しかもカツラシユホウの場合は故障のため断念したが、ウオッカについてはそのようなことではない。
この他、ディープスカイ、オウケンブルースリの3歳勢も出走しない。
まぁ、北半球の場合、平地のトップクラスレースシーズンはジャパンカップあたりまでと見たほうがよく、香港については逆に12月という時期はレースがしやすい環境につき、欧州のトップクラスもしばし出走することがあることから例外と考えられるが、年末の風物詩という有馬記念のうたい文句は、急速な国際化の波の影響を受ける形で、形骸化しつつあるかもしれない。
また、ステイゴールドが引退レースとして、有馬記念ではなくて、香港ヴァーズを選んだところ、悲願のG1レースを達成したばかりか、国際レースを制したということもあって、欧州から種牡馬のオファーまで来たという。ま、いまや香港ヴァーズのほうが有馬記念よりも格が上なレースなのかなぁ?
さらに、キタノカチドキがおよそ出走できるような状態でなかったにもかかわらず、ファン投票1位に加え、関西馬の出走が一頭もなくなってしまうという背景もあり、出走へと踏み切ったものの、レース中に骨折して大敗し、現役を引退。ま、往々にしてムリして出走させるとこのようなことになりかねないから、馬の状態を考慮に入れることは非常に重要だ。
でも、そうはいっても有馬記念は1レースだけでまだまだ500億ぐらい売れるドル箱レースな上に、スポーツマスコミも有馬記念については異常な入れ込みを行うため、やめるにやめれない競走なのかも。










自分が競馬を見始めた頃(1970年代)は、第一回登録後にファン投票をしてました。しかも菊花賞前に第一回登録だったので、菊花賞や天皇賞の好走馬(特に関西馬)は出たくても出られなかったはずです。代表例はテンメイやキャプテンナムラ、ヤマニンウエーブです。確か1978年まではこのルールで、翌1979年から現ルールになったと思います。(テンメイは1979年にはファン投票で選ばれて出走してます)そんな関係で当時は阪神大賞典がそういう馬たちの受け皿になってましたね。
当時、菊花賞の開催は11月第2週、天皇賞が11月第4週の開催で、有馬記念は12月第3週、つまり、今頃、有馬記念が行われていた時代だったというローテーション上の問題もあったと思われますね。
対して、阪神大賞典は当時、中山大障害とともに最終日に行われていました。日程的な問題や、輸送コストの面を考えると、関西馬が有馬記念に出走することはかなり困難だったということもいえそうですね。