公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

6月18日の優勝戦・重賞結果

2010-06-18 20:46:40 | 各日の公営競技

・競輪

宇都宮

S級 坂上樹大 511

A級 芦澤辰弘 211

一宮

S級 西田雅志 911

A級 玉手翔 521

向日町

S級 東口善朋 521

A級 屋良朝春 111

防府

S級 武井大介 521

A級 田村博一 921

脅威の50歳・田村、今年3回目の優勝。

別府

S級 小野俊之 731

A級 松木竜也 211

富山

A級 藤田勝也 811

A3 稲毛健太 211

松阪

A級 吉田裕全 411

A3 中村健志 111

福井

A級 田村浩章 611

A3 中井太祐 111

佐世保

A級 重一徳 711

A3 鈴木謙二 121

・競艇

平和島 飯山泰 131121111

住之江 アサヒビールカップ(G3) 辻栄蔵 12512111

・地方競馬重賞

荒尾 九州王冠 ペプチドジャスパー 


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こんな考えでは・・・

2010-06-18 20:39:56 | 競輪

TOOL4より

平成22年6月18日

又来月から千切れてゴールした選手は失格と成るため、番手捲りも今月まで。これは淋しい気がしますし、どうしてこんなルールにしたのか解らないのが。売り上げの事を考えたら補充のノーカウント同様、「死ぬ」レースは必要だったのでは。人間が走り、そして「貸し」「借り」があるのが9人で競う「競輪」、これも売り上げアップの要因だったもの。より難しくして、車券の種類も枠から単、そして3連単で飽き足らず、天文学的数字のチャリロトに力を入れているやり方はどう考えても競輪を潰したいからとしか私には思えません。真の改革とは、競輪事業が成り立つ事では。


「死ぬレース」なんてやっているのは競輪ぐらいなもの。競馬、競艇、オートレースでそんなことをやったら、下手をするとクビに繋がりかねないからね。

となると、例えば競馬ファンが、

「一度競輪もやってみるか?」

と、果たして思うだろうか?

確かにギャンブルっていうものは、真面目に考えすぎてもよくない。がしかし、となると、当ブログのコメントでもまれに、

「競輪に落車はつきもの、だから車券戦術もそれを考えないとダメ」

という話が出てくるが、そうなると、競輪は車券を買うだけでも手軽にはできない、非常に億劫なもの、ムリしてやるもんじゃない!

てなことになるんじゃないの?

競輪の売り上げは18年連続でダウンし、このままの状態が続けば、いずれ消えてなくなりかねない、といっている一方で、競輪の本質を知らない奴はやらなくていい、というようにしか、コンドル日記を見る限りは取れないような気がするけどね。

それじゃダメなんじゃないの?むしろ、

「競馬、競艇、オートレースもいいですが、人間と人間がぶつかり合うからこそ面白い競輪を一度やってみませんか!」

というふうにもって行かねばならないはずだし、また競馬らのファンもそれを願っているはずだけどねぇ・・・

コメント (5)
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元JRA重賞勝ち馬が勝利

2010-06-18 18:36:35 | 競馬

笠松・伊藤強厩舎に移籍した、2007年の武蔵野ステークス勝ち馬、エイシンロンバードが、名古屋11レースの合歓の木特別を勝った。

大師匠は戦前、同馬について、

さて、8歳ながらも実績がモノをいうのか、それとも、とんだ一杯食わせ者?

と言っていたが、A2特別とはいえ、1番人気に応えたわけだから、やはりそれなりの実力馬という評価をするのかな?

 

コメント (3)
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サッカー選手じゃなかったら・・・

2010-06-18 08:21:48 | 競輪

カメルーンのエース、サミュエル・エトーを完璧に押さえ込んだ、長友佑都の母方の祖父・吉田達雄は日本競輪学校第1期生の元競輪選手で、達雄の弟が、名選手である吉田実だとか。

http://www.sanspo.com/soccer/news/100616/scc1006160507014-n2.htm

長友自身も

「サッカー選手でなければ、競輪選手になっていた」

と言っているとか。

吉田実か。私も少し話をさせてもらったことがある。大選手なのに、そんなところを微塵も感じさせないジェントルマンだった。

やはり、「繋がっているところは繋がっている」もんなんだな。


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武豊、復帰間近か

2010-06-18 08:07:19 | 競馬

武豊の復帰が近づいているようだ。

http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2010/06/18/02.html

鎖骨に埋め込まれていたプレートを除去。あとはリハビリ生活に入る。

阪神最終開催週の7月10日からの騎乗を希望しているようだが、恐らくそれは難しいかも。となれば、小倉、新潟、札幌(函館)あたりの夏競馬からの復帰か?


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競輪選手としての印象薄い?渡邉

2010-06-18 07:38:42 | 競輪

スポニチの記事を見ると、「元ラグビー選手」としてだけしかクローズアップされていない感じの渡邉大吾。

http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2010/06/18/07.html

ま、私はラグビー選手時代の渡邉もよく覚えている。天理高校では2年のときからレギュラー選手として、花園大会で優勝と準優勝を経験し、高校日本代表にも選出されたし、明治大学では1年のときから早明戦に出場。ウイングとフルバックを務めていたから、走力はもちろんのこと、キック力にも優れていたことから、プレースキッカーも担当していた。恐らく、社会人ラグビーに進んでいれば、日本代表に選出されていただろう。

そんな渡邉が、競輪選手になりたい、と言ったときにはビックリしたが、思うに、この頃から、

「ラグビーやってても大してカネにならない。」

と思っていたのではないか。

競輪では、引退するまで自力型選手として活躍し、S1に昇進したこともあったが、上位クラスとの対戦では末が甘く、先行力はあまり通用しなかった。そして20代後半になるとA級とS級を行ったり来たりしていた。とはいっても、毎年ン千万円を稼いでいた。

そして、なんとかパートナーの代表になってからの渡邉は、金遣いが荒かったという。

こんなことを言うのは何だが、競輪に行かず、そのままラグビーを続行していれば、こんなことにはならなかったのかも。

だから競輪選手時代の渡邉は「黒歴史」扱いされているのか?

コメント (4)
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