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大宮盆栽村を歩く→盆栽は下から伸び上がる枝振りを見上げると自然を生き抜く生命力を感じる

2017年06月17日 | よしなしごと

2017 大宮盆栽村を歩く
                             
 大宮盆栽村・・地名はさいたま市北区盆栽町・・は散歩コースの一つである。2017年、さいたまスーパーアリーナをメイン会場に第8回国際盆栽展が開かれたせいか、パンフレットを見ながら盆栽村を歩く人が増えた。
 盆栽村は、東武アーバンパークライン=旧東武野田線の大宮公園駅からが近いが、2010年に開館したさいたま市大宮盆栽美術館(上写真)はJR宇都宮線土呂駅の方が近い。
 土呂駅からおよそ5分歩いて盆栽美術館へ、ここで盆栽を学習してから盆栽村へ、数分で盆栽村に着くが、盆菜園は散在しているので(中写真、案内パネル)のんびり散策しながら盆菜を見て歩くのがお勧めになる。疲れたら、盆栽・四季の家で一休みするといい(下写真)。四季の家には無料の駐車場もある。もちろんトイレもある。四季の家から数分歩けば大宮公園駅なので、全体で20分ほどの散策だからさほど負担にはならないと思う。ただし、盆栽村には飲食店はない。最近、盆栽美術館近くにレストラン、カフェがそれぞれ1軒ずつできたが、飲み物などは大宮公園駅か土呂駅周辺で用意するといい。


 大宮・盆栽村の始まりは大正12年1923年の関東大震災後になる。それまでは東京の団子坂あたりに植木職人や盆栽師が集まっていて、震災で大きな被害を受けたことから、土地がよく、水利もいい大宮に集団で移り住んだそうである。そのころは30軒ほどが盆栽園を営んでいたが、大宮の発展とともに土地が高騰したことなどから廃業する園が出て、2017年時点では6軒になった(写真はいまも盆栽園を営む1軒、通りに面して盆栽が置かれていて、目を楽しませてくれる)。

 家並みも感じがいい(写真はかえで通り)。当初のまちづくりでは、生垣をまわし、建物は2階までにするなどのルールを作ったそうで、それが心地よさをつくりだしている。少しずつ開発が入り込んでいるのが気になるが、できれば心地よいまちづくりルールを守って欲しいと願う。
 盆栽は日本の文化の一つといえるし、日本人で盆栽の言葉を知らない人はいないと思う。にもかかわらず、盆栽については正確に知られていない。実は私もそれほど詳しいわけではなかった。
 1996年、旧大宮都市計画審議会で知り合ったOさんと盆栽の話になった。Oさんは大の盆栽家で、旧大宮市の名刺には盆栽が印刷されているがOさんの提案だったそうだ。盆栽園を見学したいと話したら快く案内を引き受けてくれた。このときの見聞を下敷きに、盆栽についてまとめた。自分でも実際に盆栽を育てていればもう少し深みのある解説になったかも知れないが、なにせ上を見れば500万円、1000万円もする盆栽がざらで、とても手が出せない世界である。

 盆栽とは、「自然美を楽しむため培養、整形を加え、趣のある樹形にしつらえた鉢植えの樹木」である。一般の鉢植えでは草木のみせる四季の美しさに鑑賞の力点がおかれ、そのため、花、草、実の美しい草木を選んでその美しさを演出するための手入れを行うが、盆栽では「樹木の生命力を通して自然の広大深遠な情感を楽しむことに重点がおかれ、そのため、自然に耐え抜いた樹木を探し求め、生命力を培養する手入れがほどこされる」。

 盆栽の始まりは古いようだ。中世の『法然上人絵伝』巻7には法然上人が法華経を前に行法を行っている場面が描かれていて、その縁側に盆栽がおかれている。鉢は青磁で、石が中央に立ち、となりに松を思わせる樹木がグイといった感じで伸び上がっている。おそらく深山幽谷の厳しい自然に向かって生き生きとしている生命力を表現しているのではないだろうか。
 ちなみに盆栽の隣には、中国製と思われる金で化粧された水差し、法然上人の前には雲にのった象が描かれていて、盆栽がすぐれた異文化として認識されていたと考えられる・・盆栽美術館には絵巻も展示されている・・。

 
 近世に入り、交通網の発達にともなって全国から盆栽を集めた展覧会へと発展し、1989年、第1回国際盆栽展が旧大宮市で開催され、32カ国、1200名が参加した。現在ではbonsaiが国際語として通用している。

 当たり前ながら、盆栽は生きた樹木である。庭や縁先において鑑賞することも多いが、通常は床の間にしつらえられ、四季を映す。掛け軸であれば、四季折々にあわせて掛け替えるが、盆栽は生き物であるため四季折々の風情、ときには自然に隠された厳しさを見る人に伝える力をもつ。
 そのうえ多くの盆栽は人生より長く生きていて、数百年の盆栽も珍しくない。自然の風雪を生き抜いた盆栽はそれだけでも存在感を感じるが、姿かたちの気になる盆栽をずーっと見つめていると、ふっと盆栽が語りかけてくるような気分になる。たぶん、落ち込んでいるときにはそんな些細なことにおろおろするな、明日をいきいき生き抜けと励まし、有頂天になっているとそんなことで調子に乗るな、人生をもっと大きく生きろといさめてくれるのかもしれない。長く生き抜いてきた盆栽に向き合っていると、日々たまっていた気持ちの疲れが解きほぐされたような気がする。

 盆栽の鑑賞はそれぞれの人の流儀でいいそうである。難しく考えないで、無心に盆栽を見つめるのがよいようだ。

 2016年4月、スリランカ津波被災生徒支援の一環で日本に招待した生徒2名を盆栽美術館に案内した(写真、盆栽美術館では撮影禁止だが、中庭に写真撮影のできるコーナーが設けられている)。Bonsaiには興味があったようで、とても喜んでいた。このとき、盆栽師が、視点を下げて枝振りを見上げるように鑑賞すると生命観を感じやすいと教えてくれた。横から見ると整った枝振りの盆栽に見えるが、幹に近づき下から枝振りを見上げると、ダイナミックに伸び上がる力強さを感じる。皆さんもお試しを。

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