yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2015年スペインツアーでサグラダ・ファミリアの夜景を見に行き、1994年ツアーの夜景を思い出す

2017年07月12日 | 旅行

スペインを行く49 2015年ツアー12日目 鴨肉コンフィ 地下鉄に乗る サグラダ・ファミリア夜景
 2015年10月31日・土曜、午後7時近く、ピカソ美術館近くでバスに乗り込み、バルセロナ・サンツ駅に戻る。ホテルは駅の真上にあり、ロビーでキーを受け取る。設計者リチャード・ロジャース(1933- イギリス国籍、日本にも作品あり)は宇宙を連想させるデザインにしたそうで、曲線や明るい色調が多用されている。バス・トイレもユニークだが、ユニークすぎて使いにくいところも無くはない。機能性とユニークさの共存を期待したい。それでも今回のツアーでは、部屋の広さ、明るさ、デザイン、眺め、バストイレなど申し分なく、一番気に入った。すでに外は真っ暗だが、かなたにサグラダ・ファミリアらしき建物がぼんやり見える。明朝の眺めが楽しみになった。
 ディナーは午後8時からホテルのレストランでとった。明るく清潔感にあふれたレストランなのに、私たちのグループ以外は数えるほどしかいない。まだバルを楽しんでいる時間かも知れない。前菜にトマトのタルタルソース、メインが鴨肉のコンフィ+洋梨(上写真)、デザートはイチゴとアイスクリームだった。コンフィとはフランス語が語源で、低温で加熱して風味を良くし保存性を高める調理法だそうだ。ピレネー山脈を越えればフランスで、古くから行き来があっただろうし、ボルボン朝はブルボン朝の系譜だからフランスの調理法が広まったのであろう。鴨肉は柔らかくなっていて、おいしかった。赤ワインと相性がいい。

 9時半ごろディナーを終えた。添乗員のOさんが、ライトアップされたサグラダ・ファミリアに案内してくれるという。1994年ツアーでもタクシーを拾って夜景を見に行った。ライトアップではなく工事用の明かりだったが、幻想的なデザインを垣間見ることができた(次頁写真)。それから20年経っている。楽しみである。
 ロビーに集合し、地階まで降りて地下鉄のチケットの買い方を教わる。日本の券売機とは仕組みが違う。当然ながらスペイン語表示で日本語はない。右下に国旗が並んでいるので、英国旗を押して英語を選ぶ。モニターにチケットの種類が並んでいる。1回券、10回券のほかに一日券、二日券もある。行き先の表示はないので戸惑う。Oさんによれば、バルセロナではゾーン制になっていて中心街のほとんどは同一料金だそうだ。日本では行き先ごとに料金が異なるから、まず行き先を探し、それから枚数を選び、料金を入れてチケットを手に入れることになる。Oさんがいなかったらしばらく券売機とにらめっこになったかも知れない。1回券を選び、クレジットカードを挿入してパスワードを押すと、チケットが出てくる。
 改札機にチケットを差し込み、そのまま進もうとしたらOさんがチケットを指さした。日本の改札機では手前でチケットを挿入するとチケットは機械に吸い込まれ、中扉が開き、向こう側でチケットを引き抜くと中扉が閉まる。ところがバルセロナでは、手前でチケットを入れても吸い込まれない。チケットは差し込むだけでそのまま引き抜くと、自動でガラス扉が左右に開き、改札を通ることができる・・パイプ+手動の中扉もあり、これは後日体験した・・。チケットはポケットにしまっておく。ときどき車内検札があり、チケット持っていないと無賃乗車扱いになり高額の罰金を請求されるらしい。スリも多いそうだ。肩下げバッグは前側に下げておいた方が無難である。

 サンツ駅には地下鉄5号線と3号線が通っている。サグラダ・ファミリ駅は5号線である。プラットフォームに降りて列車を待つ。ほどなく入ってきた列車は停止してもドアが自動で開かない。前に並んでいた人が手慣れた様子で、扉の外側についている取っ手を回転させると扉が開いた。内側では押しボタンになっていた。日本でもローカル線で経験した手動の開閉扉であるが、日本では扉の中・外とも押しボタンが多い。郷に入っては郷に従うことだ。

 サンツ駅からサグラダ・ファミリア駅までは乗り換えなし、5駅目である。地上に出ると、通りの向こう側にサグラダ・ファミリアSagrada Familiaが天に向かって伸び上がっていた。ライトアップは10月は23時まで、11月は22時までのはずだが、10時を過ぎて間もないのにライトは消えていた。それでも暗いなかに彫刻を施されて伸び上がる塔は、揺るぎない存在感を感じさせる。1994年の記憶からは想像できないほど工事は進んでいた。
 地下鉄駅はサグラダ・ファミリアの北に位置するらしい。聖堂の東側=北東に回って誕生のファサードを見上げ、南側=南東の栄光のファサードを通り過ぎ、西側=南西で受難のファサードを見る(写真は南からの撮影、受難のファサードの手前)。暗くて塔の先端は見えない。その分、想像力が刺激される。受難のファサードの彫刻は明かりがないため陰影が強調され、イエスはいかにも苦しげである(写真)。一回りして、地下鉄に乗り、11時過ぎにホテルに戻った。
 部屋の窓からおぼろなサグラダ・ファミリアを眺め、バーで買ったビールを傾ける。1994年ツアーでは成田-マドリッド経由-バルセロナで、バルセロナからスペインの旅が始まった。そのときの紀行を持参していたので、ビールを飲みながらパラパラ目を通す。(2015.10現地)

1994年ツアー2日目 サグラダ・ファミリア ガウディ
 1994年3月27日・日曜、サグラダ・ファミリアSagrada Familiaに着いた。予想通り建設工事のさなかで、地面には、資材となる石やらコンクリート・ミキサーやらが置かれ、クレーンが空に伸び、まさに工事現場である(次頁写真)。地図を見ると、旧市街に近い立地で、北東のサルデニャ通り、南東のマリョルカ通り、南西のシシリア通り、北西のプルペンサ通りに囲まれたおよそ130×130mの敷地である。
 ここに12使徒を象徴する12本の塔、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの福音書記者を象徴する4本の塔、聖母マリアとイエスを象徴する塔、計18の塔がそびえ、東正面の生誕のファサード、西正面の受難のファサード、メインとなる南正面の栄光のファサードを備えた聖堂が完成する予定であるが、写真の受難のファサードは後ろの4本の塔の輪郭は分かるものの工事半ばだし、ファサードにいたっては骨格の形が分かるていどで受難のイメージは想像すらできない。

 サグラダ・ファミリアの着工は1882年、最初の建築家が1年を待たず辞任してしまう。意見の不一致が原因といわれるが、思いを込めた建築であれば投げ出すはずがない。意見の不一致は口実で・・無償も理由になるかな?・・、あまりの壮大さに手が出なかったのかも知れない。建築士の資格を取って間もない30才?31才?でこの仕事を引き継いだガウディは、初心に戻って構想を練る。教会に通い、司祭の言葉を聞き、聖書を読み、スケッチを何枚も描き、模型を作り、構想を練り直す。そして、工事が再開された。ただし、サグラダ・ファミリアは信徒の寄付で建設される贖罪教会だったため、資金難で工事はゆっくり進まざるを得なかった。そのため、完成は100年後?、200年後?ともいわれていた。

 工事が始まっておおよそ30年経った1926年6月、ガウディは路面電車に気づかず引かれてしまい、数日後息を引き取ってしまう。サグラダ・ファミリアに没頭して、疲れ切っていたのかも知れない。弟子や職人たちはガウディの言葉、スケッチ、模型を思い出しながら工事を進めた。追い打ちをかけるように、1936~39年にスペイン内戦が起きる。そのときにスケッチや模型のかなりを消失したそうだ。そのため、ガウディの構想の全容は闇の中になってしまう。それでも弟子や職人たちは、わずかなスケッチや模型の断片をもとにしてガウディの構想をイメージし、工事を進めてきた。続く(1994.3現地)

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