yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

1997初めてのスリランカ①熱砂を素足で歩き仏陀の遺骨を祀るダーガバ=仏塔を参拝

2017年06月22日 | 旅行

1997「初めてのスリランカ見聞記」
 1997年8月3日に成田を出発し10日に帰国する6泊8日の行程で、S君に案内を頼み、国際交流・宮あじ会の面々とスリランカを訪ねた。この旅をきっかけに2002年にスリランカの灌漑システムの調査、2003年に民家調査を行い、2004年末のインド洋大津波の被害を受けた後、2005年に津波被災地調査、2006年にS君・Lさんの結婚式参列+復興調査と、4回もスリランカを訪ねた。初めてのスリランカ訪問の際は、まだまだ知識は不十分であり見聞記としては未熟であるが、奨学金送致を兼ねたスリランカ訪問も企画されているので、当時のメモをもとに初心の旅の概要を紹介したい。

①スリランカ1日~2日 ニゴンボからアヌラーダプラまで
ニゴンボNEGOMBO
 コロンボの北35kmの海岸に位置するスリランカ最大の漁港の町。国際空港もこの町にあり、海岸沿いにはリゾートホテルが建ち並ぶ。この町にS君の家があるが、訪問は帰りにということで、到着した夜は海岸沿いのゴールデンスターホテルへ。ここにS君の友人が次から次と現れ、私たちを大歓迎。ライオンビールで乾杯の連続となった。翌朝、海辺で波の遙か彼方、インド洋を見やる(写真は02年の撮影、子ども達が波とたわむれている穏やかな風景)。インドはすぐそこである。

アヌラーダプラANURADHAPURA
 紀元前500年ごろ、このあたりはシンハラ族の先祖といわれるウイジャヤ王子が統治していて、紀元前380年に、パンドゥカーバヤ王がアヌラーダプラを首都とした。紀元前236年ごろに、インドのアショカ王の息子マヒンダによって仏教が菩提樹とともにスリランカに伝えられた。敬虔な仏教国の始まりである。
 その後、タミル人の侵略が続いたが、3世紀に入り、タミル人からマハーセーナー王がアヌラーダプラを奪回、灌漑用貯水池や運河の建設に取り組んで繁栄が続いた。しかし、タミル人の侵略が繰り返され、内部争いもあって、10世紀にはシンハラ王朝は首都アヌラーダプラを放棄し、ポロンナルワに都を移した。

イスルムニヤ精舎Isurumuniya Vihara
 ティッサ貯水池のほとりにあり、岩肌を掘って造られた御堂と、岩の上に造られたダーガバ(仏塔)、極彩色の仏陀を祀る本堂、宝物館、僧院(紀元前3世紀)が並ぶ。宝物館には5~8世紀の作品といわれる「恋人の象」や「王子の象」がおかれている。入口を入ったところから靴を脱ぐ習慣で、素足で歩くと熱砂で足の裏がじりじりする。しかし、そのうち、足のツボが刺激されるせいか、妙に神経がとぎすまされたような気分になってくる。これなら凡人の私でも悟りを開けそうだ、と思ったりするが、熱さには勝てず、凡人に戻る。
 ところで、恋人の像、王子の像(写真)などの彫刻はかなり躍動的である。躍動的な彫刻はヒンズー教に多く、対して仏教の彫刻は、座像、立像、涅槃像が基本であるから、仏教が伝わったとはいえまだヒンズー教あるいは民間信仰が根強かったのではないかと思える。そもそもシンハラ人も元をただせばインド系であり、ヒンズー教の影響を受けていたのではないか。日本の奈良朝が仏教を取り入れ急速に力をつけたのとよく似ている。

スリーマハー菩提樹Sri Maha Bodhi Tree
 紀元前236年頃、インドのアショカ王の王女サンガミッタがインドのブッタガヤにある釈迦が悟りを開いた菩提樹の木を分けて持参し、ここに植えたといわれる。つまり、樹齢5000年?になる。
 シンハラ王朝にとって仏教の象徴といえるこの菩提樹は、シンハラと対抗しているタミルからみれば格好の攻撃の対象でもあるらしい。しばしばタミルの侵攻があるそうで、周辺には衛兵が物々しく護衛をしている。が、木を見上げていると5000年の霊感か、晴れやかな気分なる。
 ちなみに、ゴータマ・シッダッタが悟りを開き仏教が始まるので、ゴータマ・ブッダ(ブッダ=ヒンズー語で悟りを開いた人)と呼び習わし、ゴータマ・ブッダのことを別称でボーディと呼び(つまり、悟りを開いた意味)、この発音が中国に伝わって菩提の漢字があてられ、悟りを開いた樹=菩提樹の言葉が日本に伝わった。

ルワンウェリ・サーヤ・ダーガバ Ruwanweli Seya Dagoba
 紀元前2世紀に建てられた僧院は黄金色の屋根をもった壮麗な建物であったといわれる。ダーガバ(仏塔)は当初110mの高さがあり大塔と呼ばれていたそうだが、現在は高さ55mである(写真)。それでも白く塗り上げられたまんじゅう型のストゥーパに、やはり白い塔をのせたダーガバの偉容を感じることが出来る。
 ちなみに、ストゥーパとはインドの墓のことであるが、仏教ではゴータマ・シッダッタ(日本では釈迦牟尼、または釈迦の方が一般的)の舎利(遺骨)を治めた仏塔を意味し、日本ではストゥーパに卒塔婆の字をあてる。
 ゆえに、スリランカではダーガバが信仰の対象になり、ルワンウェリ・サーヤ・ダーガバを始め、各地のダーガバに大勢の礼拝者が行き来する。ここでも境内から裸足での礼拝が原則になる。

トゥーパーラーマ・ダーガバ Thuparama Dagoba
 紀元前4世紀に仏陀の右鎖骨を祀るため建てられたダーガバで、1840年に再建され、現在の釣鐘型になったそうだ。高さは19mで、白く仕上げられている。塔のまわりに立つ数多くの石柱は、僧院の名残だろうか。ダーガバに屋根をつけるためとの説もある。

ムーンストーン Moonstone/Queen's Pavillion
 クィーンズパビリオンと呼ばれる王妃の建物あとがあり、その階段入口に、ムーンストーンと呼ばれる半円形の石の彫刻が敷かれている。一番外側は炎の輪で、人間世界とそこに渦巻く欲望を意味するそうだ。その内側には象、馬、ライオン、牡牛が並んでいて、それぞれ誕生、老齢、病、死を象徴する。その内側の花の輪は愛する心、さらに内側の花をくわえた鳥は純潔の象徴だそうだ。中心は蓮の花で、天国を意味し、全体で、人間社会からやがて死に至る人の一生を示しているようだ。王妃の建物であるから、不浄の心を捨て、清らかな心で入れ、という意味か。あるいは、物欲を戒め、信仰に支えられた穏やかな人生を送り、天国へ行くように、と諭しているのかも知れない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« いまに残る京町家は時代の住... | トップ | スリランカツアー/ダ・ヴィン... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行」カテゴリの最新記事