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2016京都を歩く 最終回⑳醍醐寺の登場人物=平安時代では天皇、桃山時代には秀吉・秀頼が醍醐寺造営にかかわっていた

2016年10月28日 | 旅行

2016年5月 京都を歩く ⑳醍醐寺の登場人物のまとめ &帰路へ 

 醍醐寺の登場人物・出来事を整理する。
 空海(774-835) 真言宗の開祖、嵯峨天皇時の817年高野山を開く
 822年東大寺で嵯峨天皇の兄・平城天皇に灌頂を授ける
 823年嵯峨天皇から東寺を賜り、真言密教の道場とする
 921年醍醐天皇より大師弘法の諡号

 聖宝(832-909) 空海の孫弟子、875年醍醐寺開祖
 876年如意輪堂(1613年再建、重文)、准胝堂(焼失)創建
 899年東大寺?東寺?で宇多天皇に授戒
 907年醍醐天皇が醍醐寺を御願寺とする
 911年弟子が御影堂建立、焼失後、豊臣秀頼(1593-1615)が開山堂(重文)を再建
 913年醍醐天皇により薬師堂・五大堂(昭和再建)創建
 1707年東山天皇より理源大師の諡号

 宇多天皇(867-931) 897年醍醐天皇に譲位、899年東寺?東大寺?で聖宝から受戒後、仁和寺の法皇

 醍醐天皇(885-930) 醍醐寺に帰依し、907年醍醐寺を御願寺とする
 913年醍醐天皇の御願堂として薬師堂(国宝)、五大堂(昭和再建)創建、926年金堂(国宝)創建

 朱雀天皇+村上天皇  951年醍醐天皇の菩提を弔う五重塔(国宝)

 豊臣秀吉(1537-1598) 1115年創建の三宝院(国宝の唐門・表書院ほか重文)を1598年に再建、秀吉設計の庭園は特別史跡、特別名勝
 1598年醍醐の花見

 豊臣秀頼(1593-1615) 1605年仁王門=西大門再建、1606年開山堂(重文)再建

 上醍醐から下醍醐に下り、唐門を眺め、総門を出る。地下鉄東西線・醍醐駅まではおよそ10分のはずだが、足が棒になり道のりがかなり長く感じた。
 山科駅から琵琶湖線に乗り換え京都駅へ、1時半ごろ着いた。コインロッカーから荷物を出し、駅ビルのレストラン街に向かう。
 前にも利用したことのある田ごとに入った。窓際の席からは京都の北側の景色が見える。斜め右の東寺の五重塔が優美な形で伸び上がっている。
 かつての京都人は、平時は相国寺、醍醐寺、東寺、御香宮神社などの町なかの寺社へ詣で、ことあるごとに山間の石清水八幡宮、鞍馬寺、貴船神社、上醍醐に参拝したに違いない。京都人なら、神仏にもハレとケを使い分けたはずだ。
 生ビールを飲みながらミニ懐石をいただき、15:18発東京行きのぞみに乗って帰路についた。この日はなんと25000歩を越えた。足よ、ご苦労様。
 思い違い、記憶違い、資料の読み違いなどの誤記があると思うが、ご容赦を。

 わずか2泊3日の京都歩きだったが紀行文はA4サイズ20枚を超えた。初めての寺社が多かったが、何より歴史が奥深く、対して日ごろの不勉強で、あっちを調べ、こっちをまとめているうちに長文になり、3ヶ月に及んだ。
 フルページの「2016京都を歩く」はホームページで検索できる。写真はブログより多い。
 皆さんのいい旅を!

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