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2002「環境と共生した世界の住まい」を講演・・住まいは文化の表現+環境とバランス

2017年06月15日 | studywork

2002「環境と共生した世界の住まい」 埼玉建築設計監理協会講演

 埼玉建築設計監理協会から表題の講演の機会をいただいた。日ごろ、気の向くまま旅を重ねていたが、今回の講演で、たまった写真をひもとき、各地の住まいをながめ直すことができた。
 当日の講演では、モンゴルから始まり、中国の地下住居、中国客家の土楼住居、シルクロード・ウイグル族の住まい、バリ島の住まい、バンコクの住まい、フィジーの住まい、スリランカの住まい、モロッコの住まい、そして南イタリア・トゥルリの住まいをスライドで紹介させていただいた。

 話は前後するが、各地の土着的な住まいに興味を持ち始めたのは大学生のころ文化人類学の講義を聴いてからである。正確には、もともと旅が好きで国内を旅するうち、地方ごとに特徴的な住まいが風景と見事なまで調和して佇んでいるのに関心を持ち始めていた。川喜多先生の文化人類学の講義をきっかけに、住まいは文化表現の一様態であり、それは背景にある風土のもとで歴史的に大勢の先人が知恵を結集したためではないかとの思いにとらわれた。いつの間にか、風土との関係で住まいをみるようになっていったようである。

 話しを戻して、地球環境サミットで環境共生がクロースアップされた。先進国による経済発展と伴う開発による環境負荷の軽減が重点課題として議論され、経済途上国を含めた持続的環境の維持が、例えば温暖化防止京都議定書の形で採択され、各国で実現のためのアクションプランが練られている。
 都市計画や国土計画を含めた広い意味での建築でもサステナブルデザインが21世紀の建築手法として脚光を浴び始めている。ところが、サステナブルデザインを、車でいえばハイブリッドカー、エコカーの開発としてとらえた考え方が意外と多いのが現状である。
 都市集積と人工環境によって発生したヒートアイランド現象の解決に、二重ガラスによる熱負荷・熱損失の軽減、屋上緑化による熱負荷の軽減、雨水利用による水使用量の軽減など、様々なデザインが模索されている。どれも正解である。
 しかし、都市が適度な大きさに保たれ、環境とバランスした建築がつくられていたならば、ヒートアイランド現象そのものが発生しないのである。経済の発展は人々の願望であり、科学技術の進歩は人類の夢であるが、環境との共生の観点から経済発展を目指し、科学技術を取り入れることこそ、本来的なサステナブルデザインのはずであろう。

 1760年のイギリスを起点に1800年代のヨーロッパ全土に普及した産業革命が1900年代の機械に時代の始まりであり、その結果が地球環境問題といえなくないが、それでもほんの数十年前までは、環境とのバランスが確実に保たれていたのではないだろうか。
 実際、いろいろな国を旅すると、サステナブルデザインの原点といえる環境共生の住まいづくりそのものが息づいている。それは、機械の時代のただ中で、経済開発と科学技術を目指しているうちに忘れかけてしまった、環境と住みあう心地よさ、充足感に満ちあふれている。

 講演では、その一端をスライドと説明で紹介させていただいた。全スライドを紙上にのせることは物理的にできないし、本意は住まいの原点こそ環境共生であるとの理解を深めていただくことなので、以下に、建築とまちづくり誌に投稿したモンゴルの住まいを転載し、講演記録に代えさせていただきたい。

モンゴルのゲルと内モンゴルのパオ
 ・・略・・ 1993年8月、モンゴルを訪れることができた。モンゴル2日目、ウランバートルからゴビに向かう飛行機の窓から一面に広がる薄茶色の地肌と、ポツリポツリみえる白い点、これがあとで分かるゲル、そしてザワーと動く砂粒のような群れ、これは放牧されている牛や羊だが、それを見ながら「やっと来た!」と声を出さずにつぶやくと、自然にあついものがこみ上げてきた。旅はやはりぞくぞくするような感動がなけければいけない。旅には強い動機づけが必要だと思う。
 ウランバートルから南におよそ1時間半ほど飛ぶと、旧ソ連製のプロペラ機がゴビ砂漠に着陸した。特別に飛行場があるわけではなく、適当に降りた感じである。もともとゴビとは短い草がまばらに生えている土地を指す言葉で、飛行機の足元をみると10cmにもならないような白い花をつけた草が、本当にまばらに生えている。土は砂利に近い砂で、プロペラで飛ばされた砂はけっこう痛く感じる。
 ・・略・・ さて遊牧するとなれば、住まいはそれなりの簡潔な作り方が要求される。ゴビには背の低い草しかないので、一緒に暮らしていた家畜の皮が素材として利用されたのは必然である。骨組みには北の地域にはえている柳の木が利用された。柳は細くても丈夫なためで、・・略・・
 遊牧民は結婚を機に独立する風習で、そのときにゲルの部材をワンセット購入するそうだ。大きさは直径5mほど、高さは2m強が多く、大人2人で組み立てるのに2時間ぐらい、分解するのは1時間ほどとか。いかに簡潔な仕組みか想像できよう。
 日本的な空間概念では、とりつく島のないような広大な草原とフェルトで覆われただけのたよりないゲルにみえる。しかし、遊牧の民は、きっと草原が床で星空が天井の広大な住まいを遊牧民が共有しあっていて、ゲルというふとんに寝起きする、と感じているのではないか。草原と天空が見えなければかえって不安になってしまう、ゲルに一泊し天窓を通して満天の星を見ていると、いつの間にかそんな気分になってきた。 ・・略・・

 現在のモンゴル族は、主としてモンゴルと中国領内蒙古自治区に分かれている。蒙古の字を私たちは「もうこ」と読んでいるが、これは中国から伝来した蒙古の文字を和音で発音したためである。中国音ではmeng・guとなるから、多分、モンゴル語の「モンゴル」に当時の中国が「meng・gu=蒙古」の字をあて、それを当時の日本で「蒙古=もう・こ」と読んだのではないか、これが私の推理である。
 ・・略・・
 ゲルを中国では「包=パオ」と呼ぶ。形から連想した呼び方のようで、的を得ていると思う。1994年8月、内モンゴルを訪ねたとき、パオの組み立てに挑戦してみた。規模が小さければ大人2人で解体に1~2時間、組み立てに3~4時間と聞いていたが、素人の私たちと見るに見かねて手を貸してくれたモンゴル人のあわせて7人がかりで、解体に1時間半ほど、組み立てに2時間半少しかかってしまった。素人でもこの時間だから、パオがいかに簡便か想像できまよう。
 組み立てながら気づいたことがある。ゲルにはバガナと呼ばれる柱が2本立ち炉が置かれていたが、規模の小さいパオには柱も炉も見られない。しかもゲルの場合、手狭になれば隣にやはりゲルを建てていくのだが、パオの場合はレンガ造の離れを建てる。北京から北に700kmほど走るとフビライの時代、夏の都だった正藍旗という町がある。ここで訪ねたパオには若夫婦が住み、隣のレンガ造に親夫婦が住んでいた。レンガ造にはプロパンガスもあり、確実に定住化政策が実っているように感じた。
 ゲルとパオ、出自は同じでも国家の違が住み方に影響することが分かる。本来、大草原にも天空にも自由に駆け巡る馬族にも国境はないはずなのだが。

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