yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

バルセロナのピカソ美術館には科学と慈愛~青の時代~ラス・メニーナス~鳩など年代順に作品が展示

2017年06月16日 | 旅行

スペインを行く48 2015年ツアー12日目 タルゴ特急 バルセロナ・サンツ駅 ゴシック地区 ピカソ美術館
 2015年10月31日・土曜、午後1時少し前、バレンシア北駅に列車が入ってきた(写真)。
 1994年ツアーでは、5日目にコルドバからマドリッドまでAVEに乗った。流線型の車体で、スピードも速く、快適だった。
 今回はタルゴ特急とはいえ車体はずんぐりとし、座席は使い古した感じで、停車駅も多かった。その分、のんびりとした列車の旅を楽しめた。車窓を眺めながら、ランチをとった。日本の駅弁は種類が豊富だし、目も楽しめ、いろいろな食材を味わうこともできるが、このときのランチボックスはちょっと固めのパン、ハム、ソーセージ、野菜、ジュースなどが紙袋に入っていただけで、目や味を楽しむつくりではなかった。郷に入っては郷に従うしかない。別の車両にスタンド式のカフェがあったのでエスプレッソを飲んだり、グループの仲間と屈託のない話をしたり、資料を眺めたり、うとうとしたりするうち、バルセロナ・サンツ駅Barcelona Santsに着いた(図左下)。時計は16:40、ほぼ予定通りだったからスペインの列車も頼りになる。


 プラットホームは地下なので、スーツケースを押しながら地上階へ向かう。なんと、ホテルは駅の真上だった(写真)。かつてここは闘牛場で、周辺を含めて再開発されたそうだ。設計は、パリのポンピドゥー・センターの設計者でもあるリチャード・ロジャース(1933- イギリス国籍、日本にも作品あり)で、1979年に竣工した。鉄道、地下鉄3号線・5号線、ホテル・・四つ星、ここに泊まった・・、レストラン、ショップなどが盛り込まれている複合施設である。駅の規模は、マドリッドのアトーチャ駅に次ぐスペイン第2だそうだ。

 バルセロナ・サンツホテルのロビーにスーツケースを置いたまま、バスに乗り込む。まだ午後5時前、日は高い。目指すはピカソ美術館である。大きな通りを進むあいだ、ガイドはバルセロナの紹介とともにスリ、盗難に要注意を繰り返した。スリ、盗難に要注意はこれまでも何度か聞かされた。たとえば、服に汚れがついていると声をかけ・・本当は汚れはついていない・・親切そうに汚れを落としているふりをしながら金品をすっていく、かたことの日本語で話しかけ人通りのない道に案内して金品を強奪する、部屋の金庫に財布、パスポートをしまったのに金庫そのものが盗まれた、などなど危険が一杯だそうだ。パスポート、財布は肌身離さず、単独行動は絶対に避け、甘い言葉にはついて行かない、ということである。世知辛いけど、異国であるから用心に越したことはない。
 正面に赤いアーチ門が見えた。1888年のバルセロナ万博を記念して建設された凱旋門Arco de Triunfだそうだ。レンガ積みで、ムデハル様式を取り入れたデザインは目を引く。
 バスはゴシック地区Barri Goticと呼ばれる旧市街に入った。少し先に、チョコレート博物館Museu de la Xocolateがあった。「スペインを行12」に紹介したが、スペインにカカオを持ち込んだのはクリストファー・コロンブス(1451-1506)とされる。しかし、製法が分からなかったせいか、誰も関心を示さなかったそうだ。その後、アステカ王国を滅ぼしたエルナン・コルテス(1485-1547)がいまのホットチョコレートのもととなるショコラトルをカルロス1世=カール5世に献上し、スペイン上流社会にショコラトルが広まっていく。スペイン王室から嫁いだ王女たちがホットチョコレートをヨーロッパ各国に持参し、ヨーロッパ中に広まっていき、その後の改良で固形のチョコレートが製造された。だからベルギー、ウィーン、パリなどにチョコレート博物館があるが、元祖?はスペインになるから、バルセロナにチョコレート博物館があってもおかしくはない。

 ガイドがビルの1階に続くガラス張りを指さした(次頁上写真)。la Caixaラ・カイシャはスペインで有名な銀行だそうだ。でもガイドの指さしたのは名前の横のロゴ・マークだった。デザインは、バルセロナ出身で、人物や鳥、動物などを大胆にデフォルメして原色で彩り、躍動感を表現する画家ジョアン・ミロJoan Miro(1893-1983 )である・・「スペインを行く3」ソフィア王妃芸術センター中庭の彫刻・・。青はカタルーニャの青空の象徴だろうか。形はいまにも動き出しそうな人物に見える。ガイドはこのマークを指さしながら、町なかの両替は避けて銀行で両替するように、銀行を見つけにくいときはミロのマークを探せと言いたかったようだ。

 バスを降り、旧市街=ゴシック地区Barri Goticを歩く。道幅は狭く、石積みの2~3階の建物が覆い被さるように並んでいる。モンカダ通りCarrer de Montcadaからクレマド・グラン通りCarrer Cremat Granに折れたところがピカソ美術館Museu Piccasoだった(中写真)。
 13、14、15世紀の邸宅3棟?分を改装して美術館にしたそうで、1963年に開館した。写真の緩いアーチはそのうちの1棟の扉口で、奥は中庭になっている(下写真)。中庭に面した1階は壁、天井とも石積みで堅牢な印象だが、2階は細身の柱+尖塔アーチの回廊になっていて軽快である。中庭の奥にミュージアムショップがあり、石積みの重々しい通路を右に進むとトイレになる。

 どこもピカソフアンでごった返していたが、すでにガイドがチケットを押さえてあり、ほとんど待たずに入館できた。
 ルイス・パブロ・ピカソ(1881-1973)はスペイン・マラガの絵の教師の子として生まれ、父の美術学校で美術の基礎を学び、1895年にバルセロナの美術学校に入学する。翌年には国展で佳作を受賞し、マドリッドの王立アカデミーに入学するが中退、パリ・モンマルトルに移るまでバルセロナに住んでいたから、バルセロナとは縁が深い。ピカソは多作で、油絵・素描が1万3500点、版画に至っては10万点、挿絵は3万4000点を残していて、ここのピカソ美術館には4000点以上のコレクションがあるそうだ。
 内部は撮影禁止である。年代順に展示を見ていったので、メモに残せた作品を列挙する。
 父の肖像画 The artist father
 自画像 Old fisher man
 ペパおばさん
 「科学と慈愛」Sience and Charity・・16才、マドリッドで佳作、マラガで金賞・・
 First Communion
 セザンヌ流を取り入れた点描写のStill Life・1901パリ、Waiting・1901パリ
 青の時代1901~1905の作品・・femail nudeなど
 ピカソの友人Jaume Sabartesの肖像画
 Gored horse・・・馬のスケッチ、ゲルニカに描かれる馬の原型
 キュービズムの作品
 ラス・メニーナスLas Meninas・・フランコ政権からの脱出、暗い時代
 鳩の絵・・帰れぬ故郷、黒い鳩は悩みの表出か
 作品を鑑賞しながらのメモなのでかなり省略されているが、入館が5時25分、退館が6時45分だから1時間半近く作品を鑑賞したことになる。
 ピカソの作品はいろいろなところで見ることができるが、年代を追って作品が並べられ、そのおりおりの背景や描かれた人物、風景、生き物などの由来の説明を聞くととても理解しやすい。少し知恵熱も出たが。

 退館後、バスでホテルに戻った。続く

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