非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

曾野綾子氏、産経コラムの稚拙な表現が招いたアパルトヘイト騒動!

2015-02-21 12:26:13 | 日記
もうブログもほどほどにしようかなと迷っている時に
ネットのニュースに「曾野綾子氏移民問題で物議」とあったので
ネットを検索すると、「曾野綾子キーワード」が結構、賑っている。
曾野綾子氏がまたやってくれたと、内心小躍りした。

それは産経新聞のコラム「透明な歳月の光」に「労働力不足と移民」の
タイトルで、見出しは「『適度な距離』保ち受け入れを」となっている。
以下が全文だ。
最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心
情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口
比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を
認めなければならないという立場に追い込まれている。
特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっ
と資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならな
い。つまり高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなけれ
ばならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全
くないのだ。
どの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。孫
には衛生上の専門的な知識もない。しかし優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の
娘さんでも、2、3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たい、という
近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和する
ことだ。
しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作ら
ねばならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その
契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。不法
滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは
長続きしない。
ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するため
に、居住を共にするということは至難の業だ。
もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、
居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方が
いい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人
だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人
も住むようになった。ところがこの共同生活はまもなく破綻した。
黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションに
どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と
子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだした
のである住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。
しかしマンションの水は、一戸あたり常識的な人数の使う水量し
か確保されていない。間もなくそのマンションはいつでも水栓か
ら水のでない建物になった。それと同時に白人は逃げ出し、住み
続けているのは黒人だけになった。
爾来、私は言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住
だけは別にした方がいい

(産経新聞『曽野綾子の透明な歳月の光』、2015.2.11)

先ず、このコラムの書き出しから問題にしよう。
最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心
情や文化を理解するのはむずかしい、と思う

あいも変わらず全くの駄文だ。曾野氏は熟慮することなく思いつきで
書いているように思うが、この部分の記述には二つの問題点がある。
 まず第一点は「『イスラム国』の問題・・・・他民族の心情や
文化」と並列に記述して、イスラム教過激派のテロ集団「イスラム
国」と、イスラム教の国々や民族を峻別することなく同一視した
表現になっているということだ。
「イスラム国」というのはイスラム教過激派の残忍なテロ集団なのに、
その彼らの「心情や文化を理解する」のが難しいという解釈や誤解を
派生させている。従って、テロ集団を理解する必要などないではないか
という反論を呼び起こしてしまうことになる
 第二点は、日本や欧米以外の国や民族に対する差別意識の表れで
ある。もっと狭義に解釈すると仏教やキリスト教を信奉する国々や
民族以外の民族に対する差別意識が根底にある。
「他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい」のは当然だが、
その「他民族」である西洋文化を理解し近代化を進めて瞬く間に
列強に肩を並べたのが、我が明治政府だ。今日までどれほど多く
の青年たちが諸外国、曾野氏流に言い換えれば「他民族」の国々に
留学して我が国を発展させてきたか。従って曾野氏のいう「他民族」
とは仏教国のアジアやキリスト教国の欧米以外の「民族」を指すこ
とになってはいないか。
そもそも曾野氏のこのコラムは、論点が曖昧で、一体、何を言い
たいのか良く分からないのだが、強いて言えば先ず「労働移民は
必要ではあるが、受け入れるには『高度専門職の外国人』などと
ハードルを高くしないで、もっとフリーにして外国人労働者を確
保すべきだ。そのためには新たな移民法を設け厳格に管理すべき」
と云っているようにも受け取れるが、そうだとしたら「イスラム
国、他民族の心情、文化の理解は至難だ」などという文言は避ける
べきだろう。でも思わず書いてしまった・・・・。つまり曾野氏の
潜在意識の中に「イスラム教過激派のテロリスト」や彼らにシンパ
シィーを抱く人物が移民に紛れ込んで我が国に入国する危険性が
あるのではないかという危機感があるものと思う。それが冒頭の
記述になった。
 
  以前、当ブログで「曾野氏は社会性もないのに加え論理性もない」
し、今や「作家もどき」なのだから、余計なことに口出しせず、
クリスチャンの同胞への感謝等でも書いていたほうが良いと批判
したが、相変わらず懲りない御仁だ。自己の記述がどういうこと
を意味するか分からずに書いていて、思わぬ結果を招いてしまっ
た曾野氏の素っ頓狂な顔が眼に浮かぶ。主婦的な感覚で訳が分か
らないのに、したり顔で書くから混迷してしまってこの有様だ。

ところが、そのしたり顔の御仁が続けて曰く「特に高齢者の介護の
ための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語
学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。

となかなかうるさい。そして「つまり高齢者の面倒を見るのに、
ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識
がなければならないとかいうことは全くないのだ。
どの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。
孫には衛生上の専門的な知識もない。しかし優しければそれで
いいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない
外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。日本に出稼ぎに
来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の
分野の困難を緩和することだ
」真にご尤ものように聞こえは
するが、これも全く一面的な捉え方で主婦的な発想そのものだ。
そもそも曾野氏には介護等の専門職が国家資格となっている
所以がなんなのか理解がない。職業としての介護者には専門
的な介護技術の他に高度なコミュニケーション技術や能力が
要求される。曾野氏は『作家』なのにコミュニケーション能力の
欠落がどれほどのストレスを生み出すか、全く理解していない。
言葉はコミュニケーションの主要な要素の一つだが、職業とな
ると曾野氏の云うような簡単さはない。介護する側も介護され
る側も言葉が通じない時のストレスがどれほどのものか曾野氏
には全く理解がない、いや考えが及ばないと言ったほうがよい。
老人ホームや介護施設の職員による虐待の原因の一つに、「コ
ミュニケーション能力の欠落」も存在するというのに、曾野氏
は日本語が話せない外国の介護者が、どれほどのストレスを受
けるか理解していない。このストレスが非介護者への虐待へと
発展するのだ。
さらに追求すれば、移民に関するコラムを書くからには、政府
が昨年5月に可決した実質的な移民法といわれている「 出入国
管理及び難民認定法の 一部を改正する法律案」くらいは読んで
しかるべきだが、曾野氏はおそらく読んでもいないのだろう。
読んでいれば。この法律が在留資格を「高度専門職」としてい
るのはなぜかということを考えざるを得ないはずだ。確かに
当方も政府の介護等の「高度専門職」の在留資格は、もっと
レベルを下げたほうが良いのではないかと思ってはいるが、
ことはコミュニケーション能力の問題だけではない。人材の
レベルを下げると、どういう結果を招くか?
ここに政府には別の意図があるのではないかと当方は考える。
つまり人材のレベルを下げると、テロリストの侵入を防げな
いばかりか反社会的な影響を容易に受けやすい外国人が増え
るという危機感が政府にはあるのではないか。
従って曾野氏の言説「どの国にも、孫が祖母の面倒を見ると
いう家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識も
ない。しかし優しければそれでいいのだ。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない
外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる
。」という安直
な曾野氏の言説は、あまりにも稚拙で論外と言わざるをえな
いのだ。
次の「前段の「・・・・・不法滞在という状態を避けなければ、
移民の受け入れも、結局のところは長続きしない
。」という箇
所は常識的な記述で異論はないが、「ここまで書いてきたことと
矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にする
ということは至難の業だ
。」と、ご自分でも認めているように、
急転直下ロジックもなにもあったものではなく、支離滅裂とな
って「アパルトヘイト」発言へ突入する。これで決定的に論旨が
ぼやけてしまった。「もう20~30年も前に南アフリカ共和国
の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人
というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。」

アパルトヘイト発言を恥じない。そしてその理由を
黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンション
にどんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として
夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が
住みだしたのである。住人がベッドではなく、床に寝てもそれ
は自由である。しかしマンションの水は、一戸あたり常識的な
人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物に
なった。それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは
黒人だけになった
。」

以前から当方だけでなく、かなりのブロガーが指摘している
ように曾野氏は目先の事象だけに拘って、書いたり発言した
りするから「観方、考え方が浅薄で主婦的」だと批判される。
事象や現象の原因や状況を深く考えないから『作家もどき』
だと批判される。

「20~30年前」。ウィキペディアを見ると、マンデラが
大統領になってアパルトヘイト政策を廃止したのが1994
年。今から21年前。その時の状況をそのまま日本に適用し
て論じるなどナンセンスもいいところだ。アパルトヘイト政策
で極貧を強いられていた黒人は、そのほとんどが無教育のままで、
アパルトヘイト政策が撤廃されても、直ちに教育レベルが上がる
わけではない。昔の因習をそのまま残している場合がほとんど
だろう。でもあれから20年経った南アフリカの黒人たちは今
も「大家族主義」でマンションを独占しているのだろうか。
よしんばそうであったとしても、遠い日本へ出稼ぎに行ける人は、
ほとんどいないだろう。政府の移民の統計を見てもデータに
南アフリカの痕跡はない。日本に旅行に来れたとしても一部の
富裕層や知識階級くらいだろう。
それを前述のごとく「白人、アジア人、黒人というふうに分け
て住む方がいい、と思うようになった。・・・・間もなくそのマン
ションはいつでも水栓から水のでない建物になった。それと
同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった
」と、
この現象をそのまま現在の日本に適用して、日本でも同様の
現象が起きると危惧して、
白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい」などと
アパルトヘイトそのものを提案してしまう。曾野氏は「そんなつも
りはない」と否定に躍起となっているようだが、どう弁解しようと
曾野氏の文言はアパルトヘイト提案の記述に間違いはない。
なにも考えないで書くからこういうことになる。
しかも曾野氏のコラムは「イスラム国」に始まって、終いには
「アパルトヘイト」になってしまった。
なにも考えないで書いても、普通はこういう風には書かないけど!


自分で書いたものが
どういうものか解らない
思考停止の
綾ちゃん
どんどん好きなように書きなさい
そして
世間から
批判され、笑われて
おおいに晩節を汚して
天に召されなさい





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