ふぶきの部屋

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まー様のエリザベート

2016-09-28 07:00:00 | 宝塚コラム

 姫ちゃんと一緒に見に行きました。

キャトルレーヴでずっと売り切れ御礼だったシシィスターのピアス発見。

思わず「買っちゃえば」と言ったら「買って」って言われたので、しょうがないなあと。

その場で付けたら私はルドヴィカになってしまいました。

♪ こっち向いて 姫ーーきれいよーー

って・・・・

 まー様のエリザベート 

ルドルフ・・・蒼羽りく

エルマー・・・桜木みなと

シュテファン・・・澄輝さやと

 

 どこに小柳奈穂子っぽさが出るのか

今回の関心事はそれだったんです。

なんせ宙組のポスターがあまりに綺麗で、思わず買っちゃったくらいですし。

紫トーンのエリザベート、いいんじゃないか?って。

で、プログラムを買ったら、それこそが小柳奈穂子っぽい。

表紙のドアップと手とか、ポーズの一つ一つが。

でも折り込みの所は韓ドラ風だと姫が申しておりました。

「だってこのエリザベートのドレスの下にタイトルが入ればトンイみたいじゃない?」

いわれてみれば・・・・・

 

で、最終的にどこが小柳っぽかったかというと、フィナーレの大階段、紫ドレス軍団ですかね。

この感じは女性っぽいでしょう。って。

 主役はエリザベート

ごめんなさい。

歳のせいなのか、この所の寝不足のせいなのか、9列目の真ん中だったのに眠くて眠くて。

それでも1幕目は何とか見る事が出来たんですが、2幕目も最後の方になるとまぶたが・・・

で、フィナーレでぱっと起きちゃったって感じです。

 

今回の「エリザベート」はもしかするとウイーン版に近いのではないかと思いました。

つまり主役はエリザベートだったという事です。

じゃあトートは脇役だったのか?というと、そういう事じゃないんですけど

見た目が真っ黒でしょ。

背景の中に溶け込んでしまいそうなんですよね。

エリザベートと初めて出会うシーン、椅子にすわってクルクルの時は顔にライトが当たって

不気味に目立っていたけど、あとは・・・・どうして髪を黒くしたのかしら?

目立たないってわかりそうなもの。それに直毛だし。

でもずっとまー様の演技を見ていたら、そっか、トートはエリザベートの「心」なんだなと。

エリザベートがプレッシャーに負けそうになったり、自己嫌悪に陥ったりするとひょいっと

現れて「死」へいざなう。

「死んだ方がましだわ」って思うのと一緒なんじゃないかって。

そのたびに、エリザベートは何とか我に返って「まだ生きるもん」って頑張る。

するとトートはふっと消えちゃうんですよね。

こういうトートはある意味、新しいのかなあと思ったり。でも宝塚でそれをやっちゃっていいのか?と思ったり。

カフェにおいても、それぞれの心の中を表現しているのがトートなんですよね。

 

2幕目から急にテンポが速くなっているように感じたのは私だけでしょうか?

急ぐ理由があるのかなと。

 

印象に残ったシーンは1幕のカフェのシーンでしょうか。

ちょうど真ん中あたりは星吹彩翔がいる所で、彼女の小芝居が面白くて。

っていうか、カフェの人達が面白い事に今気づいたと。

星吹彩翔がヨハネの黙示録をぱらぱらめくり始めた時は「え?」って思ってしまい、笑いました。

だってツェップスさんに怒られているんだもん。

「ミルク」のシーンは、私だったら市民たちに客席降りさせるなあと思いました。

その方がトート一人銀橋に残るし、銀橋には黒天使を並べるとかできるしね。

2幕目は、正直、トートとエリザベートの仮面が剥がれ落ちたような居心地の悪さがあって

それで一層眠くなっちゃったんじゃないかと感じます。

まー様はダンサーですから、動きはなめらかだししなやかです。

歌だって悪くないです。欠点がないので、よけいに凡庸に見えるというか、あまり特徴を感じない?

2幕目の「仮面が剥がれ落ちた」というのは、トートからなんの感情も感じなくなったという事です。

1幕目まではそれなりに嫉妬したり悔しがったりしてましたけど、2幕目になったら無表情が過ぎて。

フィナーレまでそうだったので、この役作りは何なんだ?と。

ラストシーンの昇天の時も「愛」を感じるというより、トートとエリザベートが同化した感じだし。

とてもフランツ・ヨーゼフと3各関係には見えませんでした。

耽美的なビジュアルを持つトートですから、ルドルフとの一連のシーンは結構期待していたんですが

うーん・・・小柳さん、最後のキスシーンぐらいBL度あげて欲しかったよーールドルフの向きがーー

すると我が家の姫が「トートの本命はエリザベートじゃなくて本当はフランツ・ヨーゼフなんじゃない?」と言い出し。

なんだそりゃ?と思ったんですけど、そういう話だったらわかるかも、とフフィナーレになって納得したのでした。

つまり。星組風デュエットダンスが全然熱くなかったという事です。

正直、技術的な面でいえばまー様の方が麻路さきよりずっと上だと思いますよ。

だけど、宝塚のダンスってそれだけダメなんだなとつくづく感じました。

二人の絡みのなかにストーリーがないと。

そこらへん、まー様はトート風無表情を貫き遠しすぎたなあと思うんです。

銀橋に出る時、ああ、白城あやかはこうでマリコさんはこんな表情で、にこっと笑いながら飛んだんだっけなんて

思ってたら・・・・同じものを求めてはいけないけど、新しいものを見せて貰えないとやっぱり

お客としては納得できないんじゃないか?と。

そういう意味では宙組は本当に「凡庸」というのが適切な言葉です。

そしてこれが今の宝塚の現実なんだなあと。

 

 出演者について

朝夏まなと・・・・ビジュアルは文句なしに綺麗。衣装も素敵。「最後のダンス」の衣装が特に好き。

         歌唱力も悪くないんです。じゃあ、上手なのか?と言われたら、えっと・・・そこまででも

         ないような。

         一路トートのようにド迫力で歌うわけでも姿月トートみたいに恨みを持っている訳でも

         春野トートのように鏡をみてうっとりする感じでもない。

         朝夏らしさがないというのかなあ?

         じゃあ、朝夏らしさって何よと言われると、笑顔とやさしさ。この二つを封印してしまうと

         なーんもない。それだけまだ大人の男役として未完成なのかもしれませんね。

         全て「型通り」に演じているだけだったような気がします。

         朝夏トートに連れ去られても、黄泉の国まで行ったらふっと消えてしまいそうです。

実咲凜音・・・1幕目のエリザベートは歳相応で可愛らしかったです。

         特にバートイシュルでのお見合いのシーン、結婚式のシーンなどはまだまだおこちゃまの

         シシィですね。

         ところが2幕目になった途端、ダメダメなエリザベートに。

         心の成長があまり見えないというか、病院のシーンもヴィンディッシュ嬢にお株をとられた感じ。

         ルドルフのシーンも母親に見えない。

         「モンテクリスト伯」のメルセデスはいいお母さんだったのに。

ちょっと話はそれますが「私が躍るとき」という歌は何となくいつも唐突に感じるんです。

エリザベートが階段を降りて王冠を外し、歌に入るというのが、何となく。

そしてこの歌をどう解釈するか、というのはいつもトートとシシィの課題であるような気がします。

花組のように完全に敵対すべきなのか、少しはトートになびいているのか、

♪ 手をとって俺と踊るんだ 俺が躍りたい時に 好きな音楽で ♪

♪ 踊るなら命果てるその時でも 一人舞うあなたの前で 

 踊るなら 選んだ相手と 踊りたい時に 好きな音楽で ♪

♪ 踊るなら この世終わるその時でも ただ一人 愛する人と ♪

♪ 踊るなら 全ては この俺(私)が 選ぶ ♪

単純にこの歌を全部聞くと対立関係に見えます。このような状態でどうして

ラストシーンに行けるのか。

♪ 連れて行って 闇のかなた遠く 自由な魂 安らげる場所へ ♪

 二人きりで 泳いで渡ろうよ 愛という名前の深い湖を ♪

 涙 笑い 悲しみ 苦しみ 長い旅路の果てに掴んだ ♪

 決して終わる時など来ない あなた(お前)の愛 ♪

トートはいいとして、エリザベートの心の変わり方がどうにも納得できない。

花組くらいから「何でラストにトートとエリザベートが結ばれるのか」という疑問が

でるようになった背景には、「私が踊るとき」が追加されたせいじゃないかと思うんですよね。

花總まりは、ここをハンガリー王妃になる事で、ますます自由に、自分の思い通りに

生きる事が出来るのよと自慢げに歌っていたような気がするんですけど、

結局、何をどうしても幸せにはなれないエリザベートの悲しみが運動や慰問に現れるわけですよ。

かつてのダイアナ妃がそうだったように。

個人的には、戴冠式から即 ♪ ママ・・・♪に行った方がいいと思いますけどね。

真風涼帆・・・模範的なフランツ・ヨーゼフだったと思います。

        ♪ しきたりだ ♪ って言われたら私だって思わず「古すぎる!もういいわ!」になるわーー

        でもそれ以外はやっぱり「普通」かなあ。

        普通が一番!って言われそうですけど。

愛月ひかる・・・平凡なルキーニだったなあと。本を読んでるみたいな。

蒼羽りく・・・やっぱり普通のルドルフ?

桜木みなと・・・見た目が綺麗なエルマーでした。

星吹彩翔・・・最初、あまりにも可愛い笑顔で出て来たヴィンデッシュ嬢は普通かな?と思ったんです。

       そしたら、壊れた扇を目の前にぱっとかざして震えて、しまいになく彼女を見てたら

        本当に哀れで可哀想。

       本物の扇を持たされて、それを本当にうれしそうに持って行く、いつも以上に口角が上がって

       不気味なほどの笑顔。これは新しいヴィンディッシュ嬢じゃないかなと思いました。

       カフェやミルクのシーンでも小芝居がきいていました。

純矢ちとせ・・・彼女もこういう役が似合う学年になったんだなと思いました。

        歌も上手ですし、デフォルメ過多じゃないし、これまた普通かなあ。

怜美うららのマダム・ヴォルフは綺麗すぎ。あなたがマデレーネやったら?って感じでした。

愛白もあのスターレイが綺麗でした。

 

トートという役は、いわゆる「位取り」が必要な役柄なんだと思います。

つまり、立っているだけで観客全員を引き付けてしまうオーラを持つ、宝塚の男役としての

型をしっかり押えつつも、圧倒的な光を持っているスターでないと務まらないという事ですね。

勿論、ただ綺麗であればいいわけではなく、ピラミッドの頂点に立つにふさわしい王者の風格が必要。

近年でいえば水夏希くらいですか。

初演を懐かしむだけではいけないのはよくわかっています。

けれど、本当に見る度に宝塚の男役が小粒なっている現実を目の当たりにするのは

ちょっと悲しいし、先が心配です。

 

 

         


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7 コメント

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幸せ (ちびた)
2016-09-28 07:51:47
昨日、私も観劇しました。ふぶき様や姫ちゃんと同じ日に観劇嬉しいです。私は8列で観劇しました。端の方でしたがふぶき様の近くで幸せを感じます。観劇後より今の方が感動しているかも。
今回のエリザベートはあっさりしてましたね。モンチちゃんと凜きらちゃんの小芝居可愛かったです。モンチちゃんは今回MVPだと思います。
Unknown (ふぶき)
2016-09-28 08:33:56
ちびたさま
へえーー!もんちちゃんを褒めて下さってありがとうございます。
まー様のご挨拶が可愛かったですね。
お客も目が(耳が)声ているので・・・ (スザンナ)
2016-09-28 11:06:18
どうしても前の8作と比べてしまいますからね~
満足できる出来栄えって・・難しいと思います。

私は普通・・と言うよりも
スパークリングエリザベート!と思いました。

初演の鬼気迫るトカイワインでもなく
星組のブランデーみたいなエリザベートでもなく
アルコールフリーの清涼飲料水

体育会系のトート、これはコレで悪くないと思います。
ルキーニは なんと申しましょうか?悪くはないですが・・

一番印象に残ったのは星吹狂女かな~~
ふぶき様も書いてますが カフェの場面の男役と
対比が面白いです。

ゾフィーも そのままコワイ?し・・(^^♪
ルドルフの役替わりが観たくて
さやルドと りくルド観ました。
自分でも意外でしたが りくルドの方が好みでしたわ。

あとは地元で上映する千秋楽実況ライブ中継が当たれば・・
イープラスさん、宜しくお願い致します!( * ̄)m 〔十〕
好み (しまこ)
2016-09-28 13:57:56
「凡庸」ですか。。キビシイですね。
たしかにウィーン版に近い印象を私も持ちました。
無駄なものを削ぎ落としたしなやかで美しいトート、ふっと出てきて消えていく。
宙組は観劇する機会が少なく、朝夏ファンでもなかったので特に期待せずに観劇したのですが宝塚の芝居としてではなく、歌とダンスを中心に見れば上出来では?
星組風の濃〜い芝居、デュエットダンスを期待して見るとそれとは全く異なりますからね。
花組時代のあの朝夏まなとが、こういうトートを作り出すようになったのだと感動しました。
東京遠征、千秋楽中継、楽しみです。
色いろ悩んで・・ (ゆうこ)
2016-09-28 21:46:00
宙組のエリザはパスして『雪まろげ』を今日見てきました
シアタークリエの初日です

全体的な印象は、高畑さんのアクシデントがあったために逆に出演者が一丸となって頑張って熱い芝居をしている感じでした
高畑さんは置いて・・榊原郁恵ちゃんが素晴らしい
銀子という金の亡者のような芸者を可愛く演じて居ます
また湖月わたるはアンナというダンサー上がりの芸者ですけど、華やかさとダイナミックな体の動きで舞台映えしました
他のメンバーも大変出来が良くて、宝塚の組で言ったら星組か月組みたいです
初演は森光子さんですが、彼女への宛書きの作品ですけど、笑わせ泣かせ人生を深く考え、人と言うものを愛したくなる作品でした
夢見る夢子さんは嘘つきですが、そんなに自分を責めなくてもいいんじゃない?と最後は思って帰りました
席はほぼ満席でした
舞台挨拶はありませんが最後はスタンディングオベーションでした
同感! (やま)
2016-10-06 01:35:59
ふぶき様初めまして。
「私が踊る時」が唐突だという意見、私もずっとそう思っていたので嬉しくてコメントさせて頂きます!
初演の雪組エリザベートが一番好きなので、どうしてもそれを基軸にしてしまうところがあり、「私が踊る時」に毎回違和感を感じます。
トートはシシィの心の鏡であり、シシィが精神的に弱ると現れる存在だと思うのですが、自信に満ちた戴冠式後のタイミングで何故トートが現れ、更にシシィと対立するのかが本当に不思議です。
私も戴冠式からママどこなのに直結希望です!

あと病院の場面では、たまにシシィに涙する事はあったのですが、今回初めて星吹さん演じるヴィンディッシュ嬢に涙しました。星吹さん素晴らしいですね!
支離滅裂じゃない? (ぬぬぬ)
2016-10-07 22:09:44
 執拗に『エリザベート-愛と死の輪舞』を再演しているが、それほどこの作品に価値があるのか。つじつまが合ってなく、どうにも薄っぺらに思えて仕方がない。生きている内に愛されたいというのはつまり自殺して欲しいということ。だから事故死するところを救い、自由を求めるエリザベートが究極の自由である死を願うように、彼女に人生の試練を何度も与える。それなのに唐突に「死は逃げ場ではない」という意味不明な台詞。息子を失って絶望しているのになぜそれでも生き延びてしまったのか、カトリック故に自殺が罪になるとしても、説明付けがなくまるで分からない。結局エリザベートが自ら命を絶とうとはしなかった為トートはルキーニを遣わすわけだが、それは自らの敗北を認めたことに他ならず、他殺にする必要性もない。誰にも死は訪れようものを、彼女が老いてしまうまで待ったのはどういうわけか。「踊るなら命果てるその時でも、一人舞うあなたの前で」と歌い、トートの誘惑をついに最後まで拒み通して勝利したエリザベートが、死後トートを愛しているかのように見える表現をしているのはもはや物語の破綻である。
 どう考えても宝塚が上演するのは相応しくない作品なんだから、もうやめようよ。座付きの脚本家がこのレベルの作品作られないから、やればとりあえず客は入るやつを繰り返し繰り返し繰り返し上演かよ。

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