神に生かされた人生!

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港南台キリスト教会への思い

2014-11-19 07:32:19 | キリスト教

は45年前、静岡県清水市から横浜市に移ってきた。

そして、横浜市立大学付属高等看護学院に入学する。

そこに、神様のご計画で、高校の先輩がいた。彼女は2年先輩で、寮生活をしていたのですが、クリスチャンで学校の中でバイブルクラスを持っていた。

そして、私を誘ってくれた。日曜日になると、横浜ホーリネス教会に連れていって下さり、夏には夏季修養会にさそってくれた。

そんな関係が続いて、当時、教会には尾花晃先生と副牧師藤巻先生がいて、青年会には東大の教授で尾花美香子先生の弟さんがバイブルクラスで教えていた。

私は1年半で看護学校を中退したが、その時親類中から勘当され、一人ぼっちになった。

そんな時、学校を卒業した高校の先輩のHさんが、忙しい中私が働いていた、病院に訪ねてきて、教会に連れていってくれた。

藤巻先生の家で食事をいっしょにいただいたり、家庭集会や渋谷の中華教会に言ったり、聖書研究会にでたりする中で、イエス様の事を少しづつ知ることが出来、20歳の時、洗礼を受けた。

それから横浜ホーリネス教会に1年くらいいて、藤巻先生の牧会する、井土ヶ谷ホーリネス教会に移った。

当時教会では第三教会を建設することを目標にしていた。

その時、当時関東学院神学校にいっていた、山川泰司さんが入ってきて、青年会をひっぱっていた。

彼は大阪生まれのぼんぼんでした。

とても、ほがらかで、大きな声をしていました。やはり、将来牧師になる器でした。

卒業すると、彼は結婚しましたが、離婚して新しい奥さんをもらって、親しい兄弟姉妹をつれて、港南台に教会を作る為、井土ヶ谷教会をでました。

先日の特別伝道集会が私の教会であったのですが、その時、港南台教会の姉妹がきました。

イスラエルに旅行するので、イスラエルの事をよく知っている、小山晶子先生の話を聴きに来たようです。

その時、もしかしたら、山川先生の教会からきたのかなとおもったのですが、はっきりわかりませんでした。

山川先生は私の看護学校の先輩で、保健婦となった、Sさんとその婚約者の上智大学を卒業した男性を引き連れて、教会をやめたのですが、Sさんは港南台伝道所で保育園をつくったと聴いていました。

そして、3年前私を教会につれていったHさんから山川先生が亡くなったことをきかされました。

一応インターネットで港南台教会を検索すると山川先生の名前が保育センターの園長として名前が載っていました。

やっぱり、この教会が井土ヶ谷教会からわかれて、できた教会なのかなと思い、神様の御業はすごいと感じました。

その後、井土ヶ谷教会は戸塚のドリームランドに第三教会を作りました。

そこには、井土ヶ谷ホーリネス教会の一番古い、青木さん夫婦が住んでいました。

私は、若い人が皆カップルになって、結婚して教会を離れていく中、寂しさもあって、教会を離れてしまいました。

港南台キリスト教会は私の叔母の家があった地域で懐かしい場所です。

一人の婦人が教会の特別伝道集会にこられることで、山川泰司先生の事を考える機会が与えられ、感謝です。

 

人は多くの計画を持つ。

しかし、それを導くのは主です。(聖書)

 

 

 

 


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