昨日、公園で、昼食のパンを食べていたら、急に空からとんびが私の所にまいおりて、パンをかじっていた。
指のいたさに、痛いと感じたら、なにかが飛び立っていった。
よく、海岸で休んでいる人がとんびにパンを取られたといった、映像をみたことがある。
初めての経験だったが、あっというまにパンをかじって、飛んで行った。
聖書のみ言葉を思い出す。
空の鳥を見なさい。種まきもせず、狩りいれもせず、倉におさめることもしません。
けれども、あなたがたの天の父がこれを、養ってくださるのです。
あなたがたは、鳥よりももっと、すぐれたものではありませんか。
あなたがたの内、だれが心配したからと言って、自分の命をのばすことができますか。
なぜ、着物のことで、心配するのですか。野のゆりがどうしてそだつのか、よくわきまえなさい。
働きもせず、つむぎもしません。
しかし、私は、あなたがたに言います。
栄華をきわめたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも、着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどよそおって、くださるのだから
まして、あなたがたによくしてぃださらないわけがありましょうか。
信仰の薄いものよ。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、なにを着るかなどといって、心配することはやめなさい
こういうものはみな、異邦人が切にもとめているものなのです、
しかし、あなたがたの天の父は、それがあなたがたに必要でrあることを知って、おられます。
だから、神の国と、神の義とをまず第一にもとめなさい。
そうすれば、それに加えて、これらの物は、すべてあたえられます。
だから明日の為の心配は無用です。
明日のことは、明日が心配します。
労苦はその日、その日に充分あります。(マタイ6章26節)
最近、イエス様を信じた母に幾つかの聖書を読んでいたら、同じ御名言葉が与えられました。母とはちょっとした事で喧嘩が絶えませんでした。彼女が私達を分裂させようとしたり、滅ぼそうとしてる悪魔や悪霊の存在にも気づいてくれました。イエス様が私達を守り、導いてくれてる事に気づいてくれて、神様と彼女に感謝しました。
互いに愛し合う、許しあう、励まし合う、祝福し合う、癒し合う事は、素晴らしいと思いました。神様は、愛なり。