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日々の幸せなこと

愛情③

2016-10-11 16:53:45 | 日記
では、本来の書きたいことであったところへ戻って(笑)マンガのお話を(o^^o)

冒頭に書いた、
人は分かれると思うんです。
守りたいと思う人と守られたいと思う人。
愛したいと思う人と愛されたいと思う人。
について。


今わたしの愛読書、みつきかこさん著『ラブ ファントム』より。

*・゜゚・*:.。..。.:*☆*: .。.:*☆・*:.。. .。.:*・゜゚・*
主人公百々ちゃんの住んでいたアパートが取り壊しになり急遽転居先を探すことに。
勤務終了後の空は雨模様、傘忘れの百々ちゃんは駅まで走ることにします。
モチロン雨でびしょ濡れに…(>_<)

傘忘れの百々ちゃんが雨の中飛び出していく姿を目撃したその恋人長谷さん。
駅で百々ちゃんを捕まえると自宅へ連れ帰ります。

同棲することを提案した長谷さん。戸惑う百々ちゃんに話します。
「長いこと探していたものを見つけたんだ
何にかえても 守りたいと思える存在を」
*・゜゚・*:.。..。.:*☆*: .。.:*☆・*:.。. .。.:*・゜゚・*

私、実はこの場面初めは??だったんです。
なぜ守りたい人を探していたのかな、と。
そもそもこの疑問が湧いたのは、多分私が守られたい人だからだ!と気づいたのは少し経ってからでした。
そして長谷さんは守りたい人、なんですよね、きっと。
守られたい人、守りたい人。
どちらを望んでも、大切な人を得てその人とどのような関係性でいることが自分にとって幸せを感じられるか、明日の勇気が湧くかの違いだと思います。

因みに私は多分守られていると感じることで幸せを感じ勇気が湧くタイプ。守られることで守りたいと思うように思います。
だから守りたい存在を必要とするタイプの人のことがわからなかったのですね…(>_<)

長谷さんの生い立ちや幼少期のことは、この時と時々挟まれる番外編的なエピソードの中で語られます。
それはなかなかに辛く、時には荒れ模様で。そんな日々を乗り越えて更生?し、『何に変えても 守りたいと思える存在』を『長いこと探して』いた長谷さんのこれまでを思う時、なんだか心がギュっとしてしまうんですよね…。

幼少期のエピソードを読めば、愛情②でお話したように『怒りの泉』が長谷さんに形成されても不思議はないはず。でも彼は『愛の泉』の持ち主だったのだと思います。お母さんが彼を心から愛し育てたことが推察されますよね。
そしてお母さんの死後、紆余曲折がありながらもここまで生き抜いてきた長谷さんの力。

ハイスペ過ぎるが故、憧れや尊敬の念が集まり『出来て当たり前』の雰囲気。
忙しくするのは『そうしないと生きてこれなかったから』

そういった描写はありませんが、展望台での独り休憩はそんな日々を送っていた長谷さんが、そっと心を休められる避難場所みたいなものだったのかなと感じたりもします。


このお話の主人公は百々ちゃんで、百々ちゃん中心に読んでもモチロン楽しめるのですが、ふと長谷さんに視点を移すとまた違った見方が出来るように思います(o^^o)
それで繰り返し読んでしまうのですよね(笑)

長谷さん視点で読むと、百々ちゃんを弄って満足気な顔を見せる様子も、当初の冷血漢な仮面をつけ意地悪を隠さない姿から、ドンドン百々ちゃんにハマり込んでいって本心を露わにしてしまう過程も、「よ、良かったね( ;∀;)今までの苦労が報われたんだね!もっと幸せになって〜」という気持ちに…(笑)

このお話「百々ちゃんが溺愛される」が本筋なのですが、イヤイヤ「溺愛することで自分も溺れていく長谷さん」(ミイラ取りがミイラの如く)も充分見所ではないかと…o(^_^)o🎶🎶



愛情②

2016-10-11 00:19:27 | 日記
前回の続きです。

岩月謙司さんのご著書『無神経な人に傷つけられない88の方法』から。

『人の心には愛の泉と怒りの泉がある』のだそうです。
これは『幼児期の人的環境で自動的に決まってしまう』とのこと。
(ガッカリした方がいらっしゃったらご安心を。『人生には怒りの泉を愛の泉に替えるビックチャンスが3回与えられている』そうです。詳細は本書をご覧くださいね)

愛の泉を持つ人は『過去タップリ愛された人は愛とやる気がコンコンと毎日湧いてきます。人を見たらやさしくせずにおれない、そんな愛を出す』
と。
怒りの泉を持つ人は『誤解され、八つ当たりされ、無視された経験(悲惨な体験)が多いと心に傷ができ、その傷が怒りの泉になってしまう』と。
『過去の悲惨な体験でできた傷から「怒り」がコンコンと湧いて出てくるからです。過去の傷なのに、いまだにそこから怒りが出てくるのです。』


夫は愛の泉を持つ人だった、ということがわかった時、深く納得できたことをよく覚えています。
(モチロン夫も聖人君子ではありませんので、どうでもいいようなことで怒ったり拗ねたり、疲れれば多少の八つ当たりもあります…。)

対して私は…怒りの泉の持ち主でした。
あの満たされない淋しさやいつまでも手放せない怒りや辛さの源泉がわかったような気がしました。

夫は長い時間をかけて、毎日コンコンと湧いてくる愛情で私の怒りの泉を愛の泉に置き換えてくれたのだ、と思います。


ところでタイトルの『無神経な人に傷つけられない88の方法』とは、なかなか直接的だと思いませんか?
この本を手に取った理由はそのタイトルの通りなのですが、私の所感では相手をどうするのかというよりも、対人関係において傷ついてしまう自分の源泉を知り、これからどのように生きていく方法があるのかを学ぶ名著だと思っています(^ ^)

さて、ここまで私個人のお話をしてしまいましたが、文頭に戻って私のどハマりマンガのお話をしたいと思います!
ではまた次回(o^^o)←早目で!!

愛情①

2016-10-11 00:18:53 | 日記
前回、

人は分かれると思うんです。
守りたいと思う人と守られたいと思う人。
愛したいと思う人と愛されたいと思う人。

と書いたのですが、今日はそのお話を。

学生時代、福祉関係の講義を受けていた時に先生がおっしゃった忘れられない言葉があります。

これが全てではなく、あくまでも私が受け取れた言葉ですが、
『(福祉施設で暮らす子どもたちに)今回の実習では特別なことは必要ありません。あなた方のお母さんがしてくれて嬉しかったことをそのまま子どもたちにしてください。
かわいそうだからと同情的な気持ちや自分が恵まれないから、同じく恵まれないであろう子どもたちと考えて優しくしてあげたいと思う人はこの仕事は向いていないし止めてください』

とても衝撃的でした。
当時の私の痛い所をダイレクトに刺す言葉でした。
テクニックではない、生半可な愛情やましてや同情では到底出来ない職業だと知りました。

当時の私は無性に淋しくて心が冷え切っていました。
その淋しさから大変失礼ながら、同病相憐れむが如く、勝手に『かわいそう』な子ども像を作って、無意識のうちに自分の淋しさを補完するような考えがあったのだと思います。だからこの言葉が衝撃的に響いたのだと思うのです。


当時の私は薄っぺらで小さくて、愛情はいつでも枯渇状態。
自分を暖めることも出来ませんでした。

対して、人生のドン底にいる私を選んでくれた夫は、最大限の愛情と優しさ(と時にいい加減さを混合しながら(笑))を私に与えてくれました。
でも、その愛情や優しさが底をついてしまった時この人は去ってしまうのではないか、私はいつも
その時が来てしまうことに怯えていました。


今、幸いなことに夫は私の一番近くにいてくれます。
長い時間の中で私も変わりました。
夫と喧嘩も沢山しました。
涙で眠れない夜を幾夜も過ごしました。

でも、変わる勇気を持てたのは尽きない愛情と優しさを与えてくれた夫あってのことだと思います。


愛情と優しさをどうして他人に与えることが出来る人がいるのか。
私はなぜそれが出来ずにいつも淋しいのか。
夫という人と出会い、一緒に過ごす中でその疑問の答えを探すようになりました。

その長い捜索の中で私疑問に答えてくれた本があります。
岩月謙司さん著『無神経な人に傷つけられない88の方法』です。

長くなり過ぎたので一旦ここで中断します(^ ^)