一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

公園は高齢者の為だけにあるのか

2017-07-11 04:37:38 | 日記

最近、公園が様変わりしているという。子供のための遊具が一切撤去され、高齢者のための健康具が置かれている。これぞ少子化の影響としか思えない。そして、球技遊びを禁止している所が多い。また、公園内では走ることさへご法度だ。それに付け加えて、大きな声を出すことを禁止されるところが出てきた。公園とは何だろうか。勿論、子供から高齢者まで全ての人が遊んだり寛いだりするところでなければならない。

それなら、芝生になっているかと言えばそうではない。海外では芝生が敷き詰められている公園を良く見かける。日本の公園は、芝生があるところでは芝生に入れないようになっている所が多い。東京の日比谷公園などは、どちらかと言えば寛ぐための場所として存在している。新宿御苑などは、芝生がふんだんに取り入れられて、寝転んでゆっくりすることが出来る所だ。井之頭公園になると、散歩を楽しむところである。

このように公園は様々な形態があって一概にどのようなものが良いかは断定できない。しかし、日比谷公園や井之頭公園などを除いた子供が殆ど遊べない公園ははたしてどうなのだろうか。最初から公園そのものの目的を決めるのならともかく、子供を締め出す形の公園が果たしてこれでいいのだろうか、という疑問を抱いてしまう。公園の殆どが「公」という字が付く通り、公のものである。

お役所が考える公園は何を目的に造るのか、という事だ。「高齢者が寛ぐために作る」という目的のために作るのであれば、確かに子供の遊具はいらないだろう。ゲートボールをするための公園ではなく広場を提供する、という目的なら、そのように造ればいい。小生が住んでいる所では明らかに公園という名前が付いているが、大きな目的はゲートボールが出来るように設計されている。

従って、ゲームをやっている時間帯は一般人は立ち入ることは出来ない。ゲートボールが悪い、というわけではないが、それなら、子供が遊べる公園は必要ないのか、という事になる。ここで公園の在り方をしっかりと見直すべきではないか。普段ゲートボールが行われていない時は、公園には殆ど人が入っていない。ただの更地だからだ。或いは緊急時、例えば地震や災害発生時にここを避難場所として使うために空けておくのだ、というのなら、ある程度理解できる。

要は、高齢化社会になってきたので、公園の主目的が高齢者になってきたことという事かもしれない。しかし、それでは如何にもさびしい限りではないか。もっと皆で楽しめるように考えられないか。

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