犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

2013年6月21日(金)

2013-06-21 08:05:36 | 日記


 朝、小雨が降っていた。これは行けるなと思う。少し嬉しくなる。犬が喜ぶからである。こうしてみると、人は他者に良くしてやることによってお金には代えがたい大きな報酬、生きる糧を得ることができると思う。宗教やボランティア活動はこのような理由で始まったのではないだろうか。 

 しかし、丘陵に差し掛かった頃から、雨が少し本気に降り出した。これはまずい。空は一様にねずみ色である。風も出てきた。一緒に濡れて行こうとしばらく歩くが、もし自分が風邪でも引いたら散歩に連れていけなくなると考え直して、持ってきた傘を差した。犬の背中から滝のように水が玉となって流れ落ちる。傘から犬までは1m以上あるので、傘の恩恵は及ばない。こちらもずぶ濡れとなり、家に帰ったら下着から着替えなければならなかった。鍋の蓋のような今の傘は真上から鉛直的に降る雨だけに有効である。しかし、そういう雨は稀である。まず、ない。前線や低気圧が理由で雨が降る。その前線も低気圧も風を巻き起こす。だから、雨は風を伴うといってよいだろう。とすると、雨の日に差す傘はドーム型、釣鐘型、半鐘型のいずれかにすべきだろう。つまりレインコートの内側に空気を入れて膨らませたような物にしないと雨を防ぐことは出来ない。寡聞にして、この手の傘が販売されているとか、販売されていたということを聞いたことがない。
  
 こちらが気になっているのは靴である。衝撃緩和などの機能性重視のせいか、構造的に弱くなっているようだ。全速で走ったり、急にブレイキをかけたり、長時間走ったりするわけではないのに、持っているスポーツシューズはみな靴底から水が浸み込んで、靴下がびっしょりになる。思い切って、新しい靴を買うかとも思うが、まだ履けるしと今に買わないでいる。思い切ってという言葉をぼろ靴を捨てて、新しい靴を買うことに使うとは思いもよらなかった。気分一新という気分になかなかなれない。考えてみれば、靴は皆、かなり昔に買ったものだ。犬は靴も靴下も履かない。

 犬の肉球に魚の細い骨が刺さっていたことがあった。犬が後ろ足、右だったか左だったか忘れてしまうほど、以前のことなのだが、骨の刺さった足を浮かせて歩いていた。どうしたんか。その足を見た。犬はウーウと唸った。痛み、不快の原因が訴える対象、つまり、そこにいる私にあるかのように。病気や災害の理由の分からない大昔の人類の神頼みも、原因結果、因果を考える点においては文化的に大進歩だったように思う。

 雨がかなり本格的になった。かなり前に新設された駅には通勤、通学客がごった返しているように見えた。下りのヂーゼルのはずが上りが入って来た。雨のせいで5,6分遅れているようだ。風雨で止まったり、遅れたりが普通になって来た。

 犬の背がかなり濡れてきた。早く家に帰りたくなる。所が、昨日同様、道草を食いたがる。しかもかなり頑固である。頑固ならこっちだって負けてはいられない。ぐいぐい引っ張って帰る。布でしっかり拭いてやる。


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