ようこのかまど

おいしいからうれしくなるのかな、うれしいからおいしくなるのかな。


なりきり消化器内科医

2017年05月03日 | 心療内科医

一年生を上級医に預けて、今日はお休みいただいとります。
東京の丸善にもありました!にやにや。

記念すべき処女作は、中学生のときに学級日誌で宣言したレシピ本にはなりませんでしたが
執筆の機会を与えていただいたことがありがたく、
日本各地の大好きな先生たちと名を連ねられたことが誇らしく、
出版を心から喜んでくれる人たちがいることが本当に嬉しかった。
そんな思いの詰まった宝物です。おじいちゃんに送ろっと。


*****


心療内科志望の内科専攻医として、今年度は他の内科をやり続けるプログラムに所属しているわけですが
外に出た元同期が専門の勉強に専念できているのを聞きながら消化器内科の入院オーダーを淡々と入れ続けるのは、時々精神的にきます。お腹ペコペコの時とか。
自分の選んだ道です、こうなることは容易に想像できていたはずなのですが。時には、明らかに心身医学的なアプローチを必要としている消化器内科の患者さんが目の前にいるのに、雑務に追われている自分は手を出せず、心療内科や精神科にローテートしている後輩にコンサルトして任せなければいけないことだってあって
ああ何やってんだか、という気持ちになる訳です。

また、最近とってもイライラします。ウトウトしていない時は大抵イライラしています。こんなにイライラする自分は初めてで驚くほどです。
要因は、一年生の仕事が遅いのを(奪ってしまえばすぐ済むところ、)我慢して待っているからだけではなく、上の先生たちが世界で一番忙しく疲れているのだというような顔をして我々病棟医を残して逃げ帰るからだけでもなく、病棟長業務に忙殺されているせいで心療内科の勉強が進まないのだという不満があるからなのでしょう。
そういうのが、師匠にはすぐにバレます。

心療内科レジデントが消化器内科の病棟長をやる意義は、消化器内科に典型的な患者さんの心理社会的問題に向き合うことだけだと思っていました。これは時間がないとなかなか実現しないのです。
でも師匠は、消化器内科医の思考を追体験するーつまり、自ら内視鏡は握らずとも、消化器内科の患者さんを外来で診て入院させ退院させるまでの一連の熱意や踏ん切りや諦念といった感情を、消化器内科医になりきることで掴むこと
それが今後の心療内科医としての臨床の役に立つのだよと励ましてくれました。
そして何より、まだまだ若い私はイライラしない方がおかしい、自分のストレス反応を観察して勉強なさいと。
はーい。

「みんなの健康学」を読んだときにメモした森有三の言葉を思い出しました。
「経験と体験とは共に一人称の自己、すなわち『わたくし』と内面的につながっている。経験では、『わたくし』がその中から生まれてくるのに対し、体験はいつも私がすでに存在しているのであり、私は体験に先行し、またそれを吸収する。…経験と体験とは、内容的には、同一であることが十分にありうる。」

体験を経験に変えていく。
経験から、新しい自分がうまれる。
これを読んで感覚的に理解できるということは、私は十分恵まれた環境にいるということなのかもしれません。
後輩へ指導するときも、こんなことが伝えられたらいいなと思う。

そしてこれ。

今日は業務を言い訳にできません。
6月の札幌に向けて、心身医学会の準備するぞ!
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 忙殺 | トップ | アラサー »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

心療内科医」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。