横井克俊のブログ

2008-09-17~

「権利」の概念史

2017-06-18 10:02:34 | 基礎法・思想史

[古代ローマの客観的ius概念]

・ヨーロッパ各国のright(英)、Recht(独)、droit(仏)、diritto(伊)といった語は、いずれもラテン語ius(jus)の訳語である。

・古代ローマにおけるiusは、客観的な「」という意味のみもっていた。この客観的ius概念は、『二コマコス倫理学』で提示された「dikaion(正しいこと;ここでは特に、各人のものを彼に配分するという配分的正義)」を中核にもつ。

・20世紀のローマ法学者マックス・カーザーは、古代ローマにおいて「各人のもの」を帰属主体の側から捉える主観的概念は発展しなかった、と説く。他方、同じローマ法学者でもクヌート・W・ネルは、古代ローマの時代からすでに「Recht(権利=法)と考えるものの二重性」が存在した、と主張する。

 

[12-15世紀の主観的ius概念]

・ボローニャのカノン法学者グラティアヌスが1140年頃、教会法令集『矛盾する教会法令の調和(グラティアヌス教令集)』を編纂した。この教令集を註釈する法学者たちはデクレティストと呼ばれた。『教令集』の第1部冒頭に置かれた付言にある語「ius naturale」の註釈において、デクレティストたちは、古代ローマ的な「正しいこと(公正な分配)」という客観的意味にとどまらず、さらに「自然的ius=神によって与えられた一定の力vis」との理解を示した。これが主観的iusの嚆矢である。

・オッカムは、『90日の業』[1330]において「使用することのiusとは、何人も自身の過失なしにまた合理的な理由を欠いてその意に反して奪われてはならない、外部の物を使用する適法な権能potestasである」と説いた。ここにおいて、デクレティストたちの「ius=力」との主観的理解がさらに推し進められ、「ius=帰属主体がもつ権能」と理解されるに至った。

・パリ大学学長であった神学者ジャン・ド・ジェルソンは、デクレティストたちやオッカムの後継者として「iusとは、正しい理性の指示にしたがって何者かに属している処理能力facultasないし権能potestasである。自由libertasとは、対立することがらのどちらかに向かう理性と意志の処理能力である」と述べた(1400-1415)。ここでは、キリスト教徒たちによる自由な精神生活の追求という視点がある。

・以上のとおり、古典古代以来の「dikaionを中核にもつ客観的ius概念」に、12世紀から15世紀にかけ「帰属主体の側から捉えた主観的ius概念」が付加されることとなった。グロティウス『戦争と平和の法』[1625]では、「iusとは、あるもの・ことを正当にもったり、為したりすることのできる、人の精神的資格である」と述べられ、iusの中に、権能potestas・所有dominium・処理能力facultasが含まれることが詳述されている。

 

[二重概念iusを受容したヨーロッパ諸国]

・中世末期から近世にかけてラテン語の概念がヨーロッパ大陸諸語に置き換えられていく中、iusには、「まっすぐな」「正しい」という意味をもつRecht(独)・droit(仏)・diritto(伊)といった語が当てられた。iusの二重概念(客観的法/主観的権利)は各国でも受容された。

・他方、日本語は、Rechtに該当する的確な訳語を持たない。そのため、例えばヘーゲル『Rechtの哲学の基礎』は単に『哲学基礎』、イェーリング『Rechtのための闘争』は単に『権利のための闘争』と訳されるのが通例であるが、この訳出では「ius(Recht)の二重概念」が表現できない。この二重性を表現するため、村上淳一は「権利=法」との訳語を用いている。

 

[例外的なイングランド]

・イングランドでは、1066年のノルマンディー公ウィリアムによる征服以降、国王裁判所の裁判例を通じてコモンローが形成されていった。その反面、ローマ法が本格的に継受されることはなく、大陸諸国と異なり、二重概念iusもほとんど浸透しなかった。

・ホッブズ『リヴァイアサン』[1651]では、ius naturaleの主観的意味のみが抽出され、right of natureと訳されている。この理解は、iusの原義(=正しいこと)に忠実である。

・その一方、rightに「法」という意味はない。イングランドではむしろ、国王が諸侯たちに専制的に課したlawに対抗し、諸侯たちが自らの「正しさ」を主張するものとしてrightが援用された。ホッブスも次のように説く;「この主題について語る人びとは、権利jus(right)と法lex(law)を混同するのが常であるが、しかし、両者は区別されなければならない。なぜならば、権利jusは、おこなったりさしひかえたりすることの自由に在し、それに対して法は、それらのうちのどちらかに、決定し拘束するのであって、したがって法と権利は、義務obligationと自由libertyがちがうようにちがい、同一のことがらについては両立しないからである。」。

 

村上淳一「解説」イェーリング(村上淳一訳)『権利のための闘争』[岩波文庫版1982]

クヌート・W・ネル(村上淳一訳)『ヨーロッパ法史入門』[1999]p28

勝田有恒ほか編著『概説西洋法制史』[2004]p252

☆市原靖久「権利」竹下賢ほか編『はじめて学ぶ法哲学・法思想』[2010]pp16-27

市原靖久「権利の概念史シリーズ 第1回 第2回 第3回」[2010-2011]

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