渋谷ハチ公前スクランブル交差点に関するブログ3件を整理し書き加えました。それで文章の量が増えましたがご容赦ください。前のブログ3件は自分で言うのも何ですが読みにくいので書き直し、数寄屋橋交差点の開始日が間違っていたので訂正しました。
下記の日付は各新聞に掲載された日、朝日新聞からの記事は(朝)、読売新聞からの記事は(読)で示しています。(前3件のブログでは、新聞掲載日と実施日がごっちゃになっていました)
1968年(昭和43年)12月1日 (1978年11月19日の読売新聞の記事から)
日本で初めてスクランブルが、熊本市の子飼交差点で実施された。
1971年3月16日 (朝)
4月5日から都内の小学校5校周辺の交差点5か所でスクランブルを実施する。
この時点で、既に全国6市11交差点でスクランブルを実施している。
1971年3月16日 (読)
4月5日から都内の小学校5校周辺の交差点5か所でスクランブルを実施する。
警視庁管内で初めて。
1971年4月5日 (朝)
都内の小学校周辺5か所でスクール・スクランブルを始めた。
1971年4月23日 (朝)
新宿東口の新宿通りの二幸前から伊勢丹横までの4交差点で、4月26日からスクランブルを開始する。
1971年4月26日 (朝)
新宿東口の新宿通りの4交差点で、4月26日からスクランブルを始めた。
1971年7月10日 (朝)
都内5駅(飯田橋、お茶の水、赤羽駅、八王子駅、吉祥寺駅)の周辺5か所で、7月15日から開始する。
1971年12月3日 (朝)
銀座西4丁目、有楽町駅中央口・日比谷口の3か所で3日から開始する。都内では既に14交差点で実施している。
(今までに名前の挙がった交差点を順に足すと5+4+5=14で計算は合う。ということは、スクランブルを実施している交差点は、上に名前の挙がっている交差点だけ)
1973年6月9日 (読)
上野ガード下交差点でスクランブルを実施。これで都内のスクランブル交差点は26か所。
(この26か所の交差点の名前の記載なし)
1974年3月17日 (朝)
1973年(前の三件のブログには、1974年と書いていたが間違いです)12月22日から数寄屋橋交差点でスクランブルが始まった。周辺の渋滞対策として周辺の信号機42か所の点灯を調整した。
1975年(月日は不詳) (国土地理院ホームページの写真から)
上空から撮影された渋谷ハチ公前交差点の写真(国土地理院撮影)に斜め横断歩道が見えるので、この時期には実施されていたと推測される。
1976年4月11日 (読)
数寄屋橋のスクランブル交差点は、歩行者用青信号の点灯時間が短く、歩行者が渡りきれないので危険というスクランブル交差点に批判的な記事を掲載。
これ以降、スクランブル交差点の記事は少なくなり、東京のどこそこで始まったという記事は見当たりません。結局、渋谷ハチ公前スクランブル交差点に関する記事は見つかりませんでした。
渋谷ハチ公前交差点でスクランブルが始まったのは何時?
「1973年末から1975年の間」と、状況証拠から推測しています。理由は、
①渋谷ハチ公前交差点のような大規模交差点でスクランブルを実施するには、交通渋滞の対策が必要になるはず。そうすると、スクランブルが初めて大規模に実施された数寄屋橋交差点(1973年12月22日開始)以降と推測するのが妥当と思う。
(新宿東口の新宿通りの4交差点は、新宿通りと交差するいずれの道も細くて自動車の交通量が少なく、周辺の渋滞対策が比較的容易なので、スクランブルは数寄屋橋交差点ほど難しくないと思われる。)
②1975年(月日は不明)に撮影された航空写真に渋谷ハチ公前交差点に描かれた斜め横断歩道が見える。したがって、1975年にはスクランブルは始まっていたと推測する。
まとめると、「1973年末から1975年の間」と書いていますが、忙しい年末はありえないので、スクランブルは「1974年か1975年」に始まったとするのが妥当でしょう。
他の資料の開始日は違う
・テレ東の2012年5月19日(土)放送「出没アド街ック天国」
「京島二丁目交差点」のところで、ハチ公前交差点は1971年4月26日(つまり新宿東口の新宿通りの4交差点と同じ日)としていますが、違うと思います。理由は
①当日の新聞には新宿東口の新宿通りの4交差点を上空からの写真付きで取り上げているのに、ハチ公前交差点を全く取り上げていないのは不自然。
②1971年12月3日の新聞に、「都内では既に14交差点で実施」とある。それまでに新聞に掲載された交差点だけできっちり14か所になり計算は合うので、新聞に掲載されていないスクランブル交差点は無いことになる。したがって、1971年12月3日までにハチ公前交差点でのスクランブルの開始はありえない。
・1998年刊の本
この中に、「1970(昭和45)年3月5日より都心の主な交差点の信号機がスクランブルとなった」と書かれています。都内でスクランブルが開始されたのは、1971年4月5日の都内の小学校周辺5か所からであり、その前年はありえない。
海外のスクランブル交差点
(上記の朝日新聞と読売新聞の記事からまとめました)
アメリカでは、H・A・バーンズ氏が交通事故対策の一つとして、1950年(昭和25年)頃にスクランブル交差点を始めました。始めた場所は、朝日新聞はデンバー、個人がインターネットでバンクーバー、Wikiはカンザス・シティとバンクーバーなど諸説あります。
1971年4月6日の「天声人語」によると、H・A・バーンズ氏はデンバーで6年間在任した後ボルチモア、次いでニューヨーク市の交通局長に就任しました。ニューヨーク市では、スクランブル交差点を1960年代に始めましたが、1974年3月20日の朝日新聞にはニューヨーク市のスクランブル交差点は全て廃止されているとの記事があり、10年ほどしか続かなかったようです。
また、ヨーロッパのスクランブル交差点に関する記事は全く見つかりませんでした。
まとめると、戦後アメリカでスクランブル交差点を始めたのは、H・A・バーンズ氏で確かなようですが、これ以前に、スクランブル交差点があったのか無かったのか、またヨーロッパの事情はどうなのかわかりません。
(まとめ)
朝日新聞や読売新聞を見る限り、渋谷ハチ公前交差点のスクランブルがいつ始まったのか、見つかりませんでした。ということは、ニュース性が無くなった頃に始まったのでしょう。
インターネットで捜し始めた時、あるブログ?(今見当たりません)で「渋谷ハチ公前交差点は1974年頃始まった」と書かれていましたが、その根拠は書いてありませんでした。他の方も過去に捜されたのでしょうか?
これ以上捜すとすれば、区役所・警察・商店街などの資料でしょうが、私はこれまでにします。
しかし、海外の人は変なところに興味を持ちますね。私もハチ公前交差点は相変わらず人が多いなあと思いながら人を避けつつ普通に横断しているので、面白くも何ともない。
アメリカで実施されていたものが、日本に移されて盛んになる一方、アメリカでは下火になるというのは、「スクランブル交差点」もラジオ体操と同じですね。
(ラジオ体操はアメリカの保険会社(メットライフ生命)が放送していた番組に倣って日本でも戦前に作られました。今でもアメリカでラジオ体操をやっているのかなあ?)
(感謝)
これらの資料検索に当たって、横浜市中央図書館のご協力をいただきました。
2015.04.19
一連の渋谷ハチ公前スクランブル交差点に関するブログが5件あるので、一覧にしてリンクを張っておきました。
「「渋谷ハチ公前交差点のスクランブルはいつ始まったのか?」のブログ一覧」
2015.11.28
2016.04.01 続きはこちら。