内海先生のFB投稿より
根本療法と対症療法の違い
なぜクスリをやめ病院を卒業しなければいけないのか、これは治ってはいないからである。
知っておかねばならないこと、それは薬はすべて対症療法(=アロパシー)でしかないということである。
対症療法とは、表面的な症状を化学的薬物などで抑え込むか、和らげることを目的にした治療法であり、姑息的療法とも呼ばれている。だから、治すということを前提に作られている薬は、西洋医学の中には本質的に存在しない。精神科はその最たるものであると言える。アロパシー医学というのは、その場が良くなったように見せかけることはできるが、すべて根本的に治しているものは存在しない。先延ばしになってカモになっているだけの話である。
そうではなく本質的に治るとはその病気に対して何も飲まなくても、何も特別なことをしなくてもすむ状態のことであり、当然ながら病院に行くこともセラピストにかかることもすべて不要となった状態である。これを導くものが根治療法であり、対症療法とは対極に位置するものである。対症療法だから必ず悪とは限らない。交通事故の時には対症療法的な手術も必要である。
精神科の患者で暴れたときはどうなのだということになるが、実は精神科の患者で暴れる人の場合、90%以上はクスリの影響で出ているので、対症療法にさえなっていないことに気付かねばならない。私は精神薬の使用を全く勧めていないが、もし対症療法という観点に照らし合わせて述べるのであれば、錯乱している一瞬くらいしか、麻薬である精神薬は使ってはいけないことになるのだが、現実はもちろん逆になっている。
なぜクスリをやめるのか、それはアロパシーであり解決になっていないからなのである。
根本療法と対症療法の違い
なぜクスリをやめ病院を卒業しなければいけないのか、これは治ってはいないからである。
知っておかねばならないこと、それは薬はすべて対症療法(=アロパシー)でしかないということである。
対症療法とは、表面的な症状を化学的薬物などで抑え込むか、和らげることを目的にした治療法であり、姑息的療法とも呼ばれている。だから、治すということを前提に作られている薬は、西洋医学の中には本質的に存在しない。精神科はその最たるものであると言える。アロパシー医学というのは、その場が良くなったように見せかけることはできるが、すべて根本的に治しているものは存在しない。先延ばしになってカモになっているだけの話である。
そうではなく本質的に治るとはその病気に対して何も飲まなくても、何も特別なことをしなくてもすむ状態のことであり、当然ながら病院に行くこともセラピストにかかることもすべて不要となった状態である。これを導くものが根治療法であり、対症療法とは対極に位置するものである。対症療法だから必ず悪とは限らない。交通事故の時には対症療法的な手術も必要である。
精神科の患者で暴れたときはどうなのだということになるが、実は精神科の患者で暴れる人の場合、90%以上はクスリの影響で出ているので、対症療法にさえなっていないことに気付かねばならない。私は精神薬の使用を全く勧めていないが、もし対症療法という観点に照らし合わせて述べるのであれば、錯乱している一瞬くらいしか、麻薬である精神薬は使ってはいけないことになるのだが、現実はもちろん逆になっている。
なぜクスリをやめるのか、それはアロパシーであり解決になっていないからなのである。