よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

東海道道草ウオーク№26(その2)「日坂宿~金谷宿~島田宿」(掛川市~島田市)

2017-07-19 19:10:38 | 「東海道(京~日本橋)道草ウオーキング」

(その1)からの続き

菊川坂は、平成12年の発掘調査により、西側上り口から161mは、江戸時代後期の石畳と確認されました。そして平成13年に「石畳菊坂助郷伝説」として、市民の手により、611mが復元されています。

  

舗装道路に慣れている私たちには、この石畳はちょっと歩きにくいです。

諏訪原城バス停の所からは、栗ヶ岳の「茶」の字が見えます。

諏訪原城跡」は、天正元年(1573)に武田勝頼が臣下、馬場美濃守氏勝に造らせた山城です。自然を巧みに利用した三日月堀や本丸、二の丸、天守台地、馬場跡、土塁など「甲州流築城法の典型」と

いわれる遺構が九部通り現存し、武田氏の守護神である諏訪明神が祀られています。この城で念願の高天神城を奪取し遠州支配の足掛かりを掴みますが、長篠の戦いで織田・徳川軍に完敗しています。

   

金谷坂の石畳です。金谷坂の石畳は、30mを残す以外舗装されていましたが、平成3年「平成の道普請」が実施され、約600人の市民が石を運び430mが復元されました。

ここからは、島田に向かっての下りですが、この石畳慣れないせいか、歩きにくいです。雨が降ったら滑りやすいでしょうね。

 

  

滑りやすいな~と思っていたら、石畳の途中に「すべらず地蔵」がありました。合格祈願の絵馬がたくさん奉納されていました。

調べてみると、長い間旅人の足元を守ってきた“滑らない山石を敷いた石畳”に因んで、このお地蔵様を「すべらず地蔵尊」と呼んでいます。

“安全に・滑らず・転ばず・着実に進めるように”と、試験合格・健康長寿・家内安全などを願いお参りする方がたくさん訪れます。

毎年1月中旬には、一人でも多くの受験生が志望校に合格できるよう、併せて、家内安全・商売繁盛他諸願成就できるよう、お地蔵様が二人で手に手をとって見守ってくれているお姿の前で、祈願祭を行います。

  

庚申堂、石畳茶屋を過ぎ、JR金谷駅に来ました。

  

金谷宿は、東海道24番目の宿場。1843年の資料によると、家数1004軒、本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠51軒、人口4271人でした。

お七里役所跡」 徳川家御三家の一つ紀州家が重要書類の送信の為に七里(28km)毎に置いた飛脚の継立所(飛脚小屋)のことです。

この飛脚は、幕府の継飛脚、民間の定飛脚(町飛脚)に対して、「大名飛脚」「七里飛脚」とも呼ばれました。紀州家は、江戸~和歌山間(146里、約584km)に役所を23か所設け、江戸勤務の中間

(仲間・下級武士)の中から体格もよく才能の優れた者を2人ずつ選び配置しました。実際の御状箱の継送は、宿問屋から人足を出させるか、賃金を払って人足を雇いました。

ちなみに上り便は掛川宿、下り便は丸子宿で引き継ぎました。常便は月三回、道中は8日かかりましたが、臨時の急便は4日足らずで到着しました。

定飛脚問屋(三度屋)跡」 定飛脚とは、三都定飛脚ともいい、江戸と上方の京・大坂を定期的に往復した民間の飛脚で月3度(2日・12日・22日)出した所から「三度飛脚」、取扱所を「三度屋」とも

言いました。また、この飛脚が被った笠を「三度笠」と呼びました。

    

金谷宿の本陣は、柏屋本陣(第一本陣)、佐塚本陣(第二本陣)、山田屋本陣(第三本陣)でした。

   

     

街道を進んでいくと、大井川鉄道の踏切に来ました。大井川鉄道というと、SLですね。踏切から右折して「新金谷駅」に行きます。

   

今はもう走ってないけどC12-164も現存しています。その横には、機関車トーマスが・・・・・

次回ここを歩くときは、是非SLかトーマスに乗ってみたいです。

   

再び街道に戻ります。大井川の手前に「仲田源蔵翁碑」があります。

お茶の産地として有名な金谷は、明治初期、川越制度が廃止され、職を失った人足達と移住してきた士族が大茶園を開墾したことから始まります。

仲田源蔵は、29歳と若いながらも私財を投じて牧之原開墾を政府に直訴し、開墾の礎を築きました。

〇番宿とは、川越人足小屋です。

  

  

大井川に来ました。箱根馬子唄には、「箱根八里は馬でも越すが 越すにこされぬ 大井川」とあります。

  

広重の金谷宿の浮世絵には、この大井川が描かれています。

幕府が架橋や渡船を禁じたのは、大井川を外堀として江戸を守る防衛上の理由が主だとされていましたが、近年の研究では、昔の大井川は水量が多く流れも急だったため、架橋には向かなかった、

川越による川会所や宿場町の莫大な利益を守るためであった、とも言われています.

今では、上流にダムなどができ、水量も少なくなってきています。

   

大井川1029mを約10分で渡りました。ここから島田宿になります。渡ると桜並木が広がっています。春の桜シーズンにはホント、きれいでしょうね。

    

桜並木が終わった所に「川会所」があります。大井川は、冬場でも仮の橋が架けることが許されず、また川止めも多く、最大28日間止められた記録も残っています。

大井川の川越」 川越を管理する川会所の川庄屋と呼ばれる役人が川の深さを調べて料金を決め、旅人の渡しの順序や人足の割り当てを決めていました。

旅人は、川会所で川札を買い、その川札を人足に渡して川を渡り、人足はその川札を札場に持って換金していました。このような遺跡を「大井川川越遺跡」と呼んでいます。国の指定史跡です。

ここには、芭蕉の名句「馬方はしらじ時雨の大井川」の句碑が建っています。

元禄4年(1691)10月下旬、最後の江戸東下の旅の途中、島田の俳人「島田如月」宅に泊まった折の作品です。

芭蕉は、既に川を渡って島田宿に居る。対岸は金谷、この馬方は対岸の馬方のこと。芭蕉を金谷で降ろして馬方は戻っていったから、川の対岸である島田の時雨はわかるまい。

   

  

口取宿」 川越し人足の定年は45歳でしたが、尚仕事を希望する者には口取宿に詰めさせました。彼等は、川越しする人の荷物を各組に公平に割り当てたり、現役へのアドバイスや

番宿間の連絡、忙しいときの手助けをしたりしていました。

札場」 川越し人足が川札を換金する所で昔ながらの位置に保存されています。一日の川越が終了するとそれぞれの番宿において川札を回収して札場で現金に換えた後、人足達に分配しました。

仲間の宿」 主に年取った川越し人足達の集まった宿です。ここでは、人足達の仕事上の意見交換や各組同士の親睦の場として使われました。

荷縄屋」 荷崩れした荷物を直したり、荷連台や馬に荷を括り付ける時に使用する縄を主として用立てた所です。その他、草鞋や笠も売っていました。

  

上段の間が現存する塚本家」 九州肥前大村藩によって建てられた家です。大村藩の参勤交代や大村藩とゆかりのある諸大名や武家が大井川を渡るときに便宜を図りました。

  

大井神社」 大井川の恩恵に感謝し、水害の無いことを祈って建立された神社。御祭神は水と土と日の神、弥都波能売神(みずはのめのかみ)、波迩夜須比売神(はにやすひめのかみ)、

天照大神(あまてらすおおみかみ)の三女神。生命生産の守護神として、安産の神様として地元の厚い信仰を集めています。日本三奇祭のひとつ、3年に1度の島田大祭帯祭は有名。

升形跡(宿西入口)」 島田藩の西入口には、川沿いに土手で囲い東側は、正覚寺入口の小路で囲った例の少ない升形の見附が設けられました。

ここに番人を置いたという記録はありませんので宿場の境界として設けられ、本陣の主人や町方の役人が大名行列の送り迎えをした場所です。

  

13:15 今回のゴールJR島田駅に到着しました。

広重島田宿の浮世絵です。

今日のGPSです。

  

 


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4 コメント

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Unknown (country walker)
2017-07-20 07:35:18
小夜の中山峠から菊川・金谷坂そして島田宿まで予定通り無事踏破、お疲れ様でした。
今度の旅では地元、九州北部の大雨被害もあって気がかりであったことと思います。
今回歩かれたコース、地元でもありかつて所蔵していたウォーキングの会やJRのさわやかウォークで何度も歩いた道ですが、相変わらず精力的に足を延ばされ観察・見学したりと感心するばかりです。
すべらず地蔵には孫たちの受験の再には何時もお参りをしたものです。
countrywalkerさま (よっくん)
2017-07-20 10:36:00
コメントありがとうございます。
今回の街道歩き、いろいろなアドバイス有難うございました。おかげさまで楽しく歩くことができました。

写真整理していましたら600枚以上あり、整理に時間がかかってしまいました。
浜松から島田間は、見どころがたくさんあり、寄り道ばかりしていました。小夜の中山もきつかったけどいい所ですね。茶畑には癒されました。
「すべらず地蔵」には、合格祈願の絵馬がたくさん奉納されていました。御利益がある所ですね。(福岡では大宰府天満宮が受験生に人気です)
この街道を島田まで歩いてまだ富士山とはおめにかかっていません。次回は是非おあいしたいです。
Unknown (ぼくちゃん 相棒)
2017-07-20 19:53:45
こんばんわ
大井川、越えられたんですね
ブログにも書かれていましたが、「箱根八里は馬でも越すが 越すにこされぬ 大井川」(私でも知っていました 笑)
今は心配なく渡れますね
大井川鉄道も、良くテレビで紹介されますが、なかなか行く事は出来ません
寄り道も多くなりますが、次回はぜひ立ち寄られてレポートしていただきたいなぁ~
ぼくちゃん&相棒さん (よっくん)
2017-07-21 17:31:57
今回は天竜川、大井川を超えてきました。
大井川は、現在水量も減っていますが、昔は雨が降ると増水したのでしょうね。記録によれば、28日間雨のため島田に留まったそうです。島田宿も金谷宿も雨がふると儲かったでしょうね。
次回は、駿府(静岡市)です。今度こそ富士山が見えればいいのですが・・・・

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