
原題「梅雨小袖昔八丈」(つゆこそで むかしはちじょう)。
季節感があって色っぽくて好きなタイトルです。
見るには分かりやすい内容だと思います。
というわけでとくに説明はナシ。キャラクターもわかりやすいです。
河竹黙阿弥の傑作、とくに見どころ解説もいらないでしょう。よくできた舞台です。
と思ったけど一応基本設定だけ書きます。セリフで状況説明しているので聞き取れないと困るかもしれないし。
舞台になるのは白子屋という材木問屋さんです。
昔は儲かっていたのですが、ご主人が死んでしまって残った奥さんが店を切り盛りするようになってから、だんだん具合がよくなくなってきました。
やはり荒くれた男の人足とか使うので女主人だとナメられてしまうのです。
というわけでだんだん受注が減り、在庫を減らすと今度はたまの受注にも対応できない、というわけでどんどん下り坂、借金だらけですよ。
たくさんいた手代(従業員ね)もやめてしまって、今は忠七という若者ひとりだけです。
白子屋にはお熊というひとり娘がいます。美人娘の名前にお熊はちょっと合いませんが、
そもそもこのお芝居は、歌舞伎ではもう出ない「恋娘昔八丈」という有名な(だった)心中もののオマージュで、
その主人公がお駒、お店が白木屋と言います。名前はそこからもじっているので少し変なのです。
↑おいといて、
美人娘にお金持ちから縁談です。お約束の展開です。イヤがるお熊。
お熊ちゃんは手代の忠七くんと出来ちゃっているのです。お約束です。
でも「家のために、死んだお父さんのために」と母親に説き伏せられて泣く泣く縁談を承知するお熊。
これを「回り髪結い」の新三が聞いています。
あとは見てりゃわかります。
現行上演最後のシーンの新三の変化がわかりにくいかもしれません。
新三はこの一件を機に髪結いをやめて、今は侠客としてちょっとした「カオ」です。なので髪型や服装もちょっと違います。
セリフで「むじんのかね」と言っているのは「無尽講」という私設宝くじみたいなのの積立金です。
そこに、例の一件以来逆に評判を落として落ち目になった弥多五郎が襲いかかるわけです。
普通「いじめられ役」で、気が弱くておとなしいだけの手代やお嬢さんが、なかなか「はねっかえり」なのが、このお芝居の特徴です。
お嬢さんは、まあつまり「いたずらもの」だし、手代忠七は、忠義もので仕事もできる、真面目な若者ですが、
新三にそそのかされてお嬢さんを連れて逃げる決心をする場面で、手を後ろに回してちょっと反り返って立って、決まります。
これは帯を結び直す動きなのですが、上方の二枚目の役者さんがよくやる決めポーズです。
女性で言えばおくれ毛をなでつける感じでしょうか、色っぽいキザな動きなのです。
真面目一辺倒なはずの手代が、こんな動きをするあたり、忠七は、ただの悪いやつにだまされる被害者でなく、なかなか「腹のある」しっかりした「男」なのです。
全段通すと後半は忠七とお嬢さんのものがたりなので、それなりに意志の強いキャラクターに描いてあるのもうなずけますね。
一応最後まで出すと、
新三は弥多五郎源七に殺されます。源七は捕まります。
お熊はやっぱり結婚イヤなので死のうとして、止めに入った相手を殺してしまいます。
お熊と忠七が心中しようとしたりいろいろあって、トド、大岡越前守(明治時代の作品なので実名で登場)のお裁きで万事丸くおさまってめでたしめでたし。
ここまで出ることはまずなく、弥多五郎源七が新三に斬りかかって、立ち回りの最中で見得をきって、そこで幕です。
新三は人気キャラクターなので死ぬシーンを出しても誰もよろこばないので、出さないのです。
他にも、かっこいいさばき役の侠客のはずの「弥太五郎源七(やたごろう げんしち)」が、かっこ悪く新三にやりこめられたり、
笑える三枚目のはずの家主の長兵衛が新三をいいようにあしらったりと、ビミョウにセオリーをはずしているのがこの舞台のおもしろさです。
そもそも安手の悪役のはずの新三が、主人公でむちゃくちゃかっこいい、というあたりからセオリーはずしてますよ。
とはいえ役のよしあしは役者さん次第ですから、ご覧になる「新三」がかっこいいかについては、責任持ちません。スカだったらあきらめていいのに当たるまで何度か見てください(おい)。
以下語句説明↓
・「回り髪結い」についてざっと。
まあ、持ち店がなくて、道具を持って流して歩く髪結いのことですが、一応「ナワバリ」はそれぞれ決まっており、これは「権利」として売買されました。
一般に、ヒトを何人か使っているような家ではその地域の「回り髪結い」と月極で契約して、自分や従業員の髪を結わせたのです。外の店に行かせるより効率いいから。
回り髪結いは、ナワバリ内の何件もの店と契約して、定期的に店を回りました。当然裏事情に詳しくなります。
だいたいがカタギっぽくない連中ですから、トラブルの種になっても不思議はなかったのです。
新三がセリフで「アゴが二つあるシマを捨ててかかっての(かどわかしの)仕事だ」と言います。
契約している店の中で、たまにごはんを出してくれる店があるのです。これを「アゴ」と呼びます。
髪を結う仕事がなくても毎日出してもらえます。
当然ですが、「アゴ付き」の店があるかどうかで売買されるナワバリのお値段は変わりました。
「アゴが2つある」、ごはんを食べさせてくれる店が2軒もあるシマです。すばらしい。好条件ですよ。一生食うだけなら困りませんよ、
それを捨ててかかってお嬢さんをかどわかして身代金を取ろうというのです。安い値段じゃイヤなのは理解できます。
・出てくる「家主長兵衛」ですが、
ゴウツクばりのタヌキ親父で、新三を痛快にやりこめる場面で有名ですが、
この「家主」というのは、誤解されがちなのですが、いわゆる「大家さん」ではありません。
不動産の所有者である「大家さん」は別にいて、「家主」は「大家さん」に雇われています。
長屋の管理と家賃の取り立てをした、アパートの管理会社を個人でやってるようなヒト。
殆どの場合、複数の長屋の「家主」をまとめてこなして、報酬で生活していました。
家賃の取り立てのほか、住民間のトラブルを裁いたり、ドブ板の修理をしたり、あと、長屋内の共同トイレの中身、これは近郊の農家が肥料として買いに来るのですが、この代金は「家主」の取り分でした。そのかわり、お掃除は家主さんの仕事。
と、ようするに賃貸不動産の管理上の「汚れ仕事(いろんな意味で)」を一手に請け負っていたおかたです。
「家主長兵衛」が「大家さん」だと、土地持ちの安定した社会人の印象ですが、
「職業管理人」、けっこう裏街道っぽいニオイもしますし、身分も不安定な、ある意味新三とたいして変わらない、安っぽい、危なっかしいかたなのです。
そこを押さえて新三とのやりとりを見ると、また、ちょっと違ったイメージが沸いてくるかもしれません。
以下余談↓
ヤクザさんの弥多五郎源八と、家主長兵衛は、明治初期の初演では同じ役者さんが早変わりでやりました。
源七が引っ込んだあと、新三と勝奴とが納戸の鍵をめぐってうだうだ言い争いますが、これが長兵衛に早変わりするための「間」です。
だから今は必要ないのですが、面白い場面なので残っております。
初演で両方演ったのは中村仲蔵。
以来 この2役を変われる役者さんはあまり出ていないようです。
手代忠七を長兵衛を変わったりはあるんですが。
団十郎さんが、長兵衛と弥太五郎、両方なさったことあるんですよね。
ぜひ、一度、2役変わってやってみせていただきたいものです。
この舞台の最近の最大の問題点は、後半の新三の長屋の場面、ほととぎすが鳴いて初夏の季節感が味わえる有名な出だしなのですが、
この「ホトトギス」の笛が毎回ヘタなのです。ホトトギスに聞こえません。
と、数年前の上演のとき葉書出して文句行ったのですが、「あれは俺がやってるんじゃない」という怒りと反論のお電話を、道具方のかたからありがたくも直々にいただきました。三階さんがなさってるんだそうで、ワタクシそんなことどっちでもいいんですが。
で、ホトトギスの声は改善されるんでしょうか?
誰がやってんでもいいからマトモな声で鳴けホトトギス、でなきゃ殺してしまえ、違った、「新三」なんて出すな。
ようするに、ホトトギスは山の鳥です。家のそばでは鳴かないのです。
ずっと、木の上の方で鳴くのです。
新三の長屋は深川の、かなり貧困な地帯です。家に大きい庭なんかありませんが、でもあのへんは深川八幡とか永大寺の広大な庭とかちょっと東に行くと妙見様とか大きい神社仏閣が多いので、その境内にホトトギスがいるのです。
それが、人家の中に点在するお寺さんの杉の木なんかを伝って飛びながら、ずっと上の方でふっと鳴く、
鳴きつるかたを眺むれば、・・・もういない。でも声はする。夏だなあ。そんなかんじです。
軒先のスズメや、枝先のウグイスみたいな調子でケキョケキョ鳴いてもダメなんです。
というような事をもう一度手紙で申し上げたのですが歌舞伎座に、数年前。
鳴くんでしょうかホトトギス、歌舞伎座の対応はまあどうでもよくて、ホトトギスがちゃんと鳴けばそれでいいんですが(不安)。
=索引に戻る=
季節感があって色っぽくて好きなタイトルです。
見るには分かりやすい内容だと思います。
というわけでとくに説明はナシ。キャラクターもわかりやすいです。
河竹黙阿弥の傑作、とくに見どころ解説もいらないでしょう。よくできた舞台です。
と思ったけど一応基本設定だけ書きます。セリフで状況説明しているので聞き取れないと困るかもしれないし。
舞台になるのは白子屋という材木問屋さんです。
昔は儲かっていたのですが、ご主人が死んでしまって残った奥さんが店を切り盛りするようになってから、だんだん具合がよくなくなってきました。
やはり荒くれた男の人足とか使うので女主人だとナメられてしまうのです。
というわけでだんだん受注が減り、在庫を減らすと今度はたまの受注にも対応できない、というわけでどんどん下り坂、借金だらけですよ。
たくさんいた手代(従業員ね)もやめてしまって、今は忠七という若者ひとりだけです。
白子屋にはお熊というひとり娘がいます。美人娘の名前にお熊はちょっと合いませんが、
そもそもこのお芝居は、歌舞伎ではもう出ない「恋娘昔八丈」という有名な(だった)心中もののオマージュで、
その主人公がお駒、お店が白木屋と言います。名前はそこからもじっているので少し変なのです。
↑おいといて、
美人娘にお金持ちから縁談です。お約束の展開です。イヤがるお熊。
お熊ちゃんは手代の忠七くんと出来ちゃっているのです。お約束です。
でも「家のために、死んだお父さんのために」と母親に説き伏せられて泣く泣く縁談を承知するお熊。
これを「回り髪結い」の新三が聞いています。
あとは見てりゃわかります。
現行上演最後のシーンの新三の変化がわかりにくいかもしれません。
新三はこの一件を機に髪結いをやめて、今は侠客としてちょっとした「カオ」です。なので髪型や服装もちょっと違います。
セリフで「むじんのかね」と言っているのは「無尽講」という私設宝くじみたいなのの積立金です。
そこに、例の一件以来逆に評判を落として落ち目になった弥多五郎が襲いかかるわけです。
普通「いじめられ役」で、気が弱くておとなしいだけの手代やお嬢さんが、なかなか「はねっかえり」なのが、このお芝居の特徴です。
お嬢さんは、まあつまり「いたずらもの」だし、手代忠七は、忠義もので仕事もできる、真面目な若者ですが、
新三にそそのかされてお嬢さんを連れて逃げる決心をする場面で、手を後ろに回してちょっと反り返って立って、決まります。
これは帯を結び直す動きなのですが、上方の二枚目の役者さんがよくやる決めポーズです。
女性で言えばおくれ毛をなでつける感じでしょうか、色っぽいキザな動きなのです。
真面目一辺倒なはずの手代が、こんな動きをするあたり、忠七は、ただの悪いやつにだまされる被害者でなく、なかなか「腹のある」しっかりした「男」なのです。
全段通すと後半は忠七とお嬢さんのものがたりなので、それなりに意志の強いキャラクターに描いてあるのもうなずけますね。
一応最後まで出すと、
新三は弥多五郎源七に殺されます。源七は捕まります。
お熊はやっぱり結婚イヤなので死のうとして、止めに入った相手を殺してしまいます。
お熊と忠七が心中しようとしたりいろいろあって、トド、大岡越前守(明治時代の作品なので実名で登場)のお裁きで万事丸くおさまってめでたしめでたし。
ここまで出ることはまずなく、弥多五郎源七が新三に斬りかかって、立ち回りの最中で見得をきって、そこで幕です。
新三は人気キャラクターなので死ぬシーンを出しても誰もよろこばないので、出さないのです。
他にも、かっこいいさばき役の侠客のはずの「弥太五郎源七(やたごろう げんしち)」が、かっこ悪く新三にやりこめられたり、
笑える三枚目のはずの家主の長兵衛が新三をいいようにあしらったりと、ビミョウにセオリーをはずしているのがこの舞台のおもしろさです。
そもそも安手の悪役のはずの新三が、主人公でむちゃくちゃかっこいい、というあたりからセオリーはずしてますよ。
とはいえ役のよしあしは役者さん次第ですから、ご覧になる「新三」がかっこいいかについては、責任持ちません。スカだったらあきらめていいのに当たるまで何度か見てください(おい)。
以下語句説明↓
・「回り髪結い」についてざっと。
まあ、持ち店がなくて、道具を持って流して歩く髪結いのことですが、一応「ナワバリ」はそれぞれ決まっており、これは「権利」として売買されました。
一般に、ヒトを何人か使っているような家ではその地域の「回り髪結い」と月極で契約して、自分や従業員の髪を結わせたのです。外の店に行かせるより効率いいから。
回り髪結いは、ナワバリ内の何件もの店と契約して、定期的に店を回りました。当然裏事情に詳しくなります。
だいたいがカタギっぽくない連中ですから、トラブルの種になっても不思議はなかったのです。
新三がセリフで「アゴが二つあるシマを捨ててかかっての(かどわかしの)仕事だ」と言います。
契約している店の中で、たまにごはんを出してくれる店があるのです。これを「アゴ」と呼びます。
髪を結う仕事がなくても毎日出してもらえます。
当然ですが、「アゴ付き」の店があるかどうかで売買されるナワバリのお値段は変わりました。
「アゴが2つある」、ごはんを食べさせてくれる店が2軒もあるシマです。すばらしい。好条件ですよ。一生食うだけなら困りませんよ、
それを捨ててかかってお嬢さんをかどわかして身代金を取ろうというのです。安い値段じゃイヤなのは理解できます。
・出てくる「家主長兵衛」ですが、
ゴウツクばりのタヌキ親父で、新三を痛快にやりこめる場面で有名ですが、
この「家主」というのは、誤解されがちなのですが、いわゆる「大家さん」ではありません。
不動産の所有者である「大家さん」は別にいて、「家主」は「大家さん」に雇われています。
長屋の管理と家賃の取り立てをした、アパートの管理会社を個人でやってるようなヒト。
殆どの場合、複数の長屋の「家主」をまとめてこなして、報酬で生活していました。
家賃の取り立てのほか、住民間のトラブルを裁いたり、ドブ板の修理をしたり、あと、長屋内の共同トイレの中身、これは近郊の農家が肥料として買いに来るのですが、この代金は「家主」の取り分でした。そのかわり、お掃除は家主さんの仕事。
と、ようするに賃貸不動産の管理上の「汚れ仕事(いろんな意味で)」を一手に請け負っていたおかたです。
「家主長兵衛」が「大家さん」だと、土地持ちの安定した社会人の印象ですが、
「職業管理人」、けっこう裏街道っぽいニオイもしますし、身分も不安定な、ある意味新三とたいして変わらない、安っぽい、危なっかしいかたなのです。
そこを押さえて新三とのやりとりを見ると、また、ちょっと違ったイメージが沸いてくるかもしれません。
以下余談↓
ヤクザさんの弥多五郎源八と、家主長兵衛は、明治初期の初演では同じ役者さんが早変わりでやりました。
源七が引っ込んだあと、新三と勝奴とが納戸の鍵をめぐってうだうだ言い争いますが、これが長兵衛に早変わりするための「間」です。
だから今は必要ないのですが、面白い場面なので残っております。
初演で両方演ったのは中村仲蔵。
以来 この2役を変われる役者さんはあまり出ていないようです。
手代忠七を長兵衛を変わったりはあるんですが。
団十郎さんが、長兵衛と弥太五郎、両方なさったことあるんですよね。
ぜひ、一度、2役変わってやってみせていただきたいものです。
この舞台の最近の最大の問題点は、後半の新三の長屋の場面、ほととぎすが鳴いて初夏の季節感が味わえる有名な出だしなのですが、
この「ホトトギス」の笛が毎回ヘタなのです。ホトトギスに聞こえません。
と、数年前の上演のとき葉書出して文句行ったのですが、「あれは俺がやってるんじゃない」という怒りと反論のお電話を、道具方のかたからありがたくも直々にいただきました。三階さんがなさってるんだそうで、ワタクシそんなことどっちでもいいんですが。
で、ホトトギスの声は改善されるんでしょうか?
誰がやってんでもいいからマトモな声で鳴けホトトギス、でなきゃ殺してしまえ、違った、「新三」なんて出すな。
ようするに、ホトトギスは山の鳥です。家のそばでは鳴かないのです。
ずっと、木の上の方で鳴くのです。
新三の長屋は深川の、かなり貧困な地帯です。家に大きい庭なんかありませんが、でもあのへんは深川八幡とか永大寺の広大な庭とかちょっと東に行くと妙見様とか大きい神社仏閣が多いので、その境内にホトトギスがいるのです。
それが、人家の中に点在するお寺さんの杉の木なんかを伝って飛びながら、ずっと上の方でふっと鳴く、
鳴きつるかたを眺むれば、・・・もういない。でも声はする。夏だなあ。そんなかんじです。
軒先のスズメや、枝先のウグイスみたいな調子でケキョケキョ鳴いてもダメなんです。
というような事をもう一度手紙で申し上げたのですが歌舞伎座に、数年前。
鳴くんでしょうかホトトギス、歌舞伎座の対応はまあどうでもよくて、ホトトギスがちゃんと鳴けばそれでいいんですが(不安)。
=索引に戻る=











ただ今 拝読させていただきました。
とても わかりやすく 楽しく
歌舞伎が とても身近に感じました。
歌舞伎の解説書としては最高です。
実は今月 十六日に・・・
菊五郎様の髪結新三 左團次様の家主長平衛
を博多座で拝見いたしました。
とても すばらしかったです。
それからぁぁ・・・
京鹿子娘道成寺での坂田藤十郎様には
心底 感動いたしました。
会場に投げられた喜寿の記念の「てぬぐい」
が愚僧の下(もと)に来たことは とても
有難い記念となりました。
映画「人情紙風船」を見て・・・・
いつか「歌舞伎」の「髪結新三」を
見てみたいと思っておりました。
夢がかなって ホント しあわせ者です。
貴方様の益々の御活躍を期待いたしております。
合唱おじさん