「鬼揃紅葉狩(おにぞろい もみじがり)」というのもあります。昭和に入ってからの新作です。
内容あまり変わらないので一緒に書きます。
大きな違いは、「鬼揃」のほうは更級姫の侍女たちもみんな鬼になって、鬼がたくさん出るという点です。サービス月間です。やった。
所作(踊りね)です。
能の「紅葉狩」がベースの、いわゆる「松葉目もの」です。
てことは明治以降の新作ですよ。
信州戸隠村に鬼が出るというので、
東国の荒武者、平惟茂(たいらのこれもち)が帝の命令で家来を引き連れて鬼退治に出かけます。
違った。ごめん。史実の惟茂のイメージだとこんなかんじですが、お芝居だと全然キャラが違います。
以下、ちゃんと書きます(最初から書け)。
優雅な大宮びと平惟茂(たいらの これもち)、秋の紅葉の美しさを楽しむために従者を連れて信州の山に出かけます。
紅葉を愛でていると美しい姫君が現れますよ。更科姫と名乗ります。
姫君と惟茂、優雅に酒を酌み交わしたり従者や姫君が舞を舞ったりします。
うとうとした惟茂、
するとお姫様は姿を消します
惟茂の夢の中にに山の神が現れて「あの女はじつは鬼だから気を付けろ」と教えます。
目を覚ました惟茂に本性を現した鬼が襲いかかりますが、山の神のおかげで不意打ちをくらわずにすんだ惟茂、
鬼とはげしく斬り結びます。
終わりです。決着はつきません。
前半のみどころはお姫様の舞と惟茂の優雅な感じ、
後半のみどころは殺陣仕立ての所作です。
あと、山の神の踊りはたいへんかっこいい振り付けなので有名です。
ていうか「鬼揃」は、この「山の神の踊り」が出ないことがあります。代わりに八幡様のお使いが数人出たりしますが(新しい作品なのでその都度変るかもしれません)、山の神のほうがうれしいです。
というかんじでストーリーはわりと単純です。セリフ聞き取れなくても楽しめますし、衣装や景色がきれいです。
後半の鬼が怖いのも迫力があっておもしろいと思います。
わかりやすく楽しめるかと思います。
「鬼揃」バージョンですと、侍女たちも鬼に変身し、鬼がたくさん出るのです。
あと「大薩摩(おおざつま)」というのが出ます。
「大薩摩」は浄瑠璃のひとつのジャンルですが、独特の演出様式を持ちます。かっこいいです。
お芝居のはじまりや場面転換の直後に使います。
まず、浅黄色の幕で舞台が隠されています。
幕の横からお弟子さん登場、小さい台を置いて去ります。
大薩摩の太夫さんと三味線の太夫さん登場、三味線の太夫さんが台に片足を乗せて姿勢を整え、三味線を構えます(座って弾くものだから立って弾くには台がいるの)。
唄の太夫さんは手に唄本を持っていますよ。
大薩摩はじまります。これは、今回だと惟茂が紅葉を見に来た、という説明と戸隠山の美しい情景の描写をしています。唄の文句聞き取れないのはあんたが悪い(暴言)。
途中の三味線の早弾きがかっこいいですよ。
唄が終わったら浅葱幕が振り落とされて、唄の文句の通りの絶景があらわれる、という楽しい趣向なのですが、唄の文句聞き取れないと(略)。
最近菊五郎さん演出の「児雷也」で、わざわざ大薩摩を使い、それはいいのですが、
はじめから太夫さんたちが舞台に出て準備していて、イキナリ唄い出す、という演出でした。
興ざめ。あれならやらなければいいと思いました。
台持ってきて準備するのを待つのがイヤだろうだろうだろ心遣いは、歌舞伎見るのまだるっこしくてイヤだろう、といってるのに近いと思いました。
ならもう、歌舞伎やらなきゃいいのに(そこまで言うのか)。
↓さて、ここからはお芝居に直接関係ねえトピックスなので、お芝居の内容が分かればいい方には必要ありませんよ。↓
平惟茂、舞台では紫地に花の丸の優雅な狩衣姿で、大宮人のみやびさを体現していますが、
史実ではぜんぜんこんなのじゃありません。
そもそも彼は都の人ではなく、東北でとても勢力のあった典型的な荒くれ坂東武者。
『今昔物語』に彼がやらかした壮絶なけんか(というか戦)の様子が出ています。
ご近所の豪族の沢股四郎と土地争いでモメていたのですが、ある日不意打ちで館に攻め込まれた惟茂、
なんとか裏の沼に隠れて難をのがれ、すぐさま怒り狂って反撃です。
もちろん優雅な狩衣姿なんかじゃなく、巨大な葦毛の馬に乗って、鹿の毛皮のすね当て(ていうかズボン)を履いて、大きな弓と矢と太刀を持った戦闘体制。
うしろに続くのは屈強の部下たち。『今昔』の他の話に描写があります。「大柄で太っていて髭の長い、50すぎの怖そうな男」とかそういうのがぞろぞろ。
沢股四郎、結局おうちに帰り付く前に、お昼ごろには追い付かれて首を斬られ、さらに彼の屋敷も焼かれて一族郎党の男は皆殺しになりました。
「維茂を打ち取った」と自慢する沢股四郎に、「彼の首を切り落として馬の鞍にぶらさげるまでは安心してはいけない」と言って全てが片付くまで門を開けなかった舅の橘好則の態度が、維茂の怖さをリアルに物語っていると思います。
というわけで、ワタクシに言わせれば、より鬼に近いのは鬼女より平維茂のほうです。
もちろん、『紅葉狩り』(というか実際は朝廷の命令で『鬼女狩り』に行ったわけだろうし)に行くときだって、こんな優雅な服装でこぎれいなお供を連れていたわけがなく、
↑のようないかめしい、というか荒々しいスタイルのご一行様だったでしょうね。ああ怖い。
さわらぬ神(鬼)に崇りなし。
この「紅葉狩」の主役は更級姫→鬼女ですが、まあ能でも鬼女が「シテ」でしすが。
江戸初期の芝居小屋の外観の絵で、看板に「平維茂千草の花見(たいらのこれもち ちぐさのはなみ)」と書いてあるのがあります。
おそらく維茂がお花見に行って鬼を退治するお芝居だろうと思います。
昔のお芝居では「維茂の鬼退治」のほうがメインで、「戸隠山の鬼女」はまあ、どこの山の鬼でもよかったのかもしれません。
=索引に戻る=
内容あまり変わらないので一緒に書きます。
大きな違いは、「鬼揃」のほうは更級姫の侍女たちもみんな鬼になって、鬼がたくさん出るという点です。サービス月間です。やった。
所作(踊りね)です。
能の「紅葉狩」がベースの、いわゆる「松葉目もの」です。
てことは明治以降の新作ですよ。
信州戸隠村に鬼が出るというので、
東国の荒武者、平惟茂(たいらのこれもち)が帝の命令で家来を引き連れて鬼退治に出かけます。
違った。ごめん。史実の惟茂のイメージだとこんなかんじですが、お芝居だと全然キャラが違います。
以下、ちゃんと書きます(最初から書け)。
優雅な大宮びと平惟茂(たいらの これもち)、秋の紅葉の美しさを楽しむために従者を連れて信州の山に出かけます。
紅葉を愛でていると美しい姫君が現れますよ。更科姫と名乗ります。
姫君と惟茂、優雅に酒を酌み交わしたり従者や姫君が舞を舞ったりします。
うとうとした惟茂、
するとお姫様は姿を消します
惟茂の夢の中にに山の神が現れて「あの女はじつは鬼だから気を付けろ」と教えます。
目を覚ました惟茂に本性を現した鬼が襲いかかりますが、山の神のおかげで不意打ちをくらわずにすんだ惟茂、
鬼とはげしく斬り結びます。
終わりです。決着はつきません。
前半のみどころはお姫様の舞と惟茂の優雅な感じ、
後半のみどころは殺陣仕立ての所作です。
あと、山の神の踊りはたいへんかっこいい振り付けなので有名です。
ていうか「鬼揃」は、この「山の神の踊り」が出ないことがあります。代わりに八幡様のお使いが数人出たりしますが(新しい作品なのでその都度変るかもしれません)、山の神のほうがうれしいです。
というかんじでストーリーはわりと単純です。セリフ聞き取れなくても楽しめますし、衣装や景色がきれいです。
後半の鬼が怖いのも迫力があっておもしろいと思います。
わかりやすく楽しめるかと思います。
「鬼揃」バージョンですと、侍女たちも鬼に変身し、鬼がたくさん出るのです。
あと「大薩摩(おおざつま)」というのが出ます。
「大薩摩」は浄瑠璃のひとつのジャンルですが、独特の演出様式を持ちます。かっこいいです。
お芝居のはじまりや場面転換の直後に使います。
まず、浅黄色の幕で舞台が隠されています。
幕の横からお弟子さん登場、小さい台を置いて去ります。
大薩摩の太夫さんと三味線の太夫さん登場、三味線の太夫さんが台に片足を乗せて姿勢を整え、三味線を構えます(座って弾くものだから立って弾くには台がいるの)。
唄の太夫さんは手に唄本を持っていますよ。
大薩摩はじまります。これは、今回だと惟茂が紅葉を見に来た、という説明と戸隠山の美しい情景の描写をしています。唄の文句聞き取れないのはあんたが悪い(暴言)。
途中の三味線の早弾きがかっこいいですよ。
唄が終わったら浅葱幕が振り落とされて、唄の文句の通りの絶景があらわれる、という楽しい趣向なのですが、唄の文句聞き取れないと(略)。
最近菊五郎さん演出の「児雷也」で、わざわざ大薩摩を使い、それはいいのですが、
はじめから太夫さんたちが舞台に出て準備していて、イキナリ唄い出す、という演出でした。
興ざめ。あれならやらなければいいと思いました。
台持ってきて準備するのを待つのがイヤだろうだろうだろ心遣いは、歌舞伎見るのまだるっこしくてイヤだろう、といってるのに近いと思いました。
ならもう、歌舞伎やらなきゃいいのに(そこまで言うのか)。
↓さて、ここからはお芝居に直接関係ねえトピックスなので、お芝居の内容が分かればいい方には必要ありませんよ。↓
平惟茂、舞台では紫地に花の丸の優雅な狩衣姿で、大宮人のみやびさを体現していますが、
史実ではぜんぜんこんなのじゃありません。
そもそも彼は都の人ではなく、東北でとても勢力のあった典型的な荒くれ坂東武者。
『今昔物語』に彼がやらかした壮絶なけんか(というか戦)の様子が出ています。
ご近所の豪族の沢股四郎と土地争いでモメていたのですが、ある日不意打ちで館に攻め込まれた惟茂、
なんとか裏の沼に隠れて難をのがれ、すぐさま怒り狂って反撃です。
もちろん優雅な狩衣姿なんかじゃなく、巨大な葦毛の馬に乗って、鹿の毛皮のすね当て(ていうかズボン)を履いて、大きな弓と矢と太刀を持った戦闘体制。
うしろに続くのは屈強の部下たち。『今昔』の他の話に描写があります。「大柄で太っていて髭の長い、50すぎの怖そうな男」とかそういうのがぞろぞろ。
沢股四郎、結局おうちに帰り付く前に、お昼ごろには追い付かれて首を斬られ、さらに彼の屋敷も焼かれて一族郎党の男は皆殺しになりました。
「維茂を打ち取った」と自慢する沢股四郎に、「彼の首を切り落として馬の鞍にぶらさげるまでは安心してはいけない」と言って全てが片付くまで門を開けなかった舅の橘好則の態度が、維茂の怖さをリアルに物語っていると思います。
というわけで、ワタクシに言わせれば、より鬼に近いのは鬼女より平維茂のほうです。
もちろん、『紅葉狩り』(というか実際は朝廷の命令で『鬼女狩り』に行ったわけだろうし)に行くときだって、こんな優雅な服装でこぎれいなお供を連れていたわけがなく、
↑のようないかめしい、というか荒々しいスタイルのご一行様だったでしょうね。ああ怖い。
さわらぬ神(鬼)に崇りなし。
この「紅葉狩」の主役は更級姫→鬼女ですが、まあ能でも鬼女が「シテ」でしすが。
江戸初期の芝居小屋の外観の絵で、看板に「平維茂千草の花見(たいらのこれもち ちぐさのはなみ)」と書いてあるのがあります。
おそらく維茂がお花見に行って鬼を退治するお芝居だろうと思います。
昔のお芝居では「維茂の鬼退治」のほうがメインで、「戸隠山の鬼女」はまあ、どこの山の鬼でもよかったのかもしれません。
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