歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「天満宮菜種御供」てんまんぐう なたねのごくう(時平の七笑)

2014年02月04日 | 歌舞伎
「時平の七笑」(しへいの ななわらい)の別称でも知られています。

タイトルどおり、藤原時平(ふじわらの ときひら)が出る、
つまり菅原道真(すがわらの みちざね)も出る、平安時代の政変を題材にした作品です。
江戸時代の作品なので、一応長いのですが、
今はこの「七笑い」の場面しか出ません。

全部出した場合のおおまかな設定や流れは、
名作「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅ てならいかがみ)とほぼ同じです。
このお芝居は今はこの一場面しか出ません。

背景設定がわからないと理解しにくいと思うので書きます。

後醍醐天皇の時代(西暦1000年前後)、
左大臣の「藤原時平(ふじわらの ときひら)」は野心家であったため、右大臣の「菅原道真(すがわらの みちざね)」が目障りだったらしく
醍醐帝にいろいろ讒言して罪を着せます。
道真は九州の大宰府に左遷という名の島流しになりました。
道真は都の庭の梅をなつかしんで歌を詠んだり漢詩を作ったりしましたが、
ついに時平を恨んで死んで雷神になり、時平を殺します。

だいたいそんなかんじの伝承があり、これをもとにお芝居がつくられています。
ほぼ史実に即していますが、実際は時平はここまで悪人ではなかったようです。



では、この「七笑」の流れを書きます。
いまは細かい部分をカットすると思うので、ひと幕の短いお芝居になります。

大内裏の広間が舞台です。
二重(にじゅう)という一段高いセットの上に部屋が作られます。
貴族たちが何人かいます。

悪いほうが
「頭の定岡(とうの さだおか)」、「左中弁希世(さちゅうべん まれよ)」「藤原宿祢(ふじわらの すくね)」「三好清貫(みよし きよつら)」
と、一応名前並べましたが、特に把握する必要はありません。
悪い側の貴族のみなさん、ということです。

悪いほうの家来が「春籐玄藩(しゅんどう げんば)」です。赤い顔の怖いひとです。
いいほうの家来が「判官代輝国(はんがんだい てるくに)」です。白い顔のオトコマエです。
この赤い顔の家来(悪)と白い顔の家来(善)というのは歌舞伎の定番です。

道真がいかに悪いやつか、みんなで話しています。
娘の「紅梅姫(こうばいひめ)」に、天皇の弟の「斎世(ときよ)親王を誘惑させ、
最後は現天皇を殺して親王を帝位につけて、自分が実権をにぎろうという壮大な陰謀、
を、
たくらんでいることにされています。
また、寺子屋を開いて庶民に学問を教えているのも、庶民を洗脳していることにされています。

そんなところに道真が呼ばれてやってきます。
あとは、

・上記のようないいがかりをつけられる
・道真は否定
・いいほうの家来の判官代輝国が加勢
・唐からの使者の「天蘭敬(てんらんけい)」が呼び出され、道真との密約を明かす。
道真は日本を唐の領土にしようとしていたのだ!!
・否定する道真
・しかし帝は宣命(せんみょう)を出します。悪人の「左中弁希世(さちゅうべん まれよ)」が読みます。
・大宰府に流罪が決まります。
・悪役の親玉の定岡が、道真の烏帽子を叩き落したりしていじめる定番の場面があります。

というようにだいたい「菅原伝授」と同じような内容をセリフだけでさくっとやります。

ここに、時平が登場します。
「藤原時平(ふじわらの ときひら)」は歴史の時間にも習った名前かと思いますが、
お芝居では「しへい」と音読みで発音していますので気をつけてください。

・時平は「道真がそんな悪事をたくらむわけがない」と力説します。
が、もう遅いです。太宰府送りは決定事項です。
・時平は道真の味方の立場を貫き、なぐさめたりします。
・左中弁希世は、もとは道真の弟子だったのが裏切ったのですが、時平がこの人の装束を剥ぎ取って追い払ったりします。
・道真は、時平のはからいで、寺子屋の弟子の子供たちに送られて退場します。
しかし、現行上演、この子役の弟子たちが、完全に江戸時代の風俗なので、
ちょっと平安風の雰囲気に合わないのが苦しいところです。みんな標準語だし。京都じゃないのですか。

道真は退場し、他の貴族たちも目的を果たして退場します。時平だけが舞台に残ります。

ところで、
この舞台は、見ていておそらく、多少の違和感があるであろうと思います。
なにかこう、臨場感がないというか。
なぜかというと、舞台の少し奥のほうにセットが設置され、その上でみなさんがお芝居をしているからです。
ここで、この広間がずいっと前方に押し出されて来ます。
テレビや映画で言うとズームアップです。
この演出のために、前半部分の効果を多少ギセイにしていると言っても過言ではありません。

もちろん、今までの善人ぽい言動は演技で、
全ての黒幕は時平です。
道真はすっかりだまされたままで流されていきました。

うまくやったわい、というわけで、愉快でたまらない時平は笑い始めます。
舞台の一番前で、一人で、不気味に延々と笑います。
ここで7種類に笑い方をするのでこのお芝居は「時平の七笑(しへいの ななわらい)」と呼ばれるのです。

現行上演はここまでしか出ません。
単純な内容な上に、前半は特に大きな動きもない、セリフだけの舞台です。
お芝居としての面白みという点では少々物足りないかもしれません。

時平役の役者さんの格だけで見せるお芝居、と理解しております。



以下、内容とはあまり関係ありません。タイトルについてです。

本外題の「天満宮菜種御供(てんまんぐう なたねのごくう)」ですが、
もともとは、このあとの段で、道真の弟子の「武部源蔵(たけべ げんぞう)」が
道真が大事にしていた松の木に菜種を供える場面から取られています。

これとはべつに、この武部源蔵が道真の子供の「秀才(しゅうさい)」さまをかくまっていて、
お金がないので秀才さまに食べさせる食べ物がなくておかゆに菜種を入れて出すというエピソードもあるはずなのですが、
ちょっと正確なところがわかりません申し訳ありません。

今も2月25日の道真の命日には、道真を祭る神社である全国の天満宮で「菜種御供」が行われます。
今はこれは道真への慰霊のためと説明されていますが、
もっと古くは道真とは関係のない収穫祭の一種であった可能性も高かろうと思うのですが、
いまのところ資料がありません。

お芝居の中では、武部源蔵が道真の松に菜種を供えたのが、この風習の始まりというようになっています。
当時の浄瑠璃は、わりと作品中のちょっとしたエピソードを
「このようにしてこの土地の名前がついた」系の由来話に持っていくのが好きなのです。
これもそのひとつでしょう。

さらに一応書きますと、
なぜ松の木に菜種を供えたかといいますと、
もともと「松に粟飯を供える」という故事があるのです。
その粟飯の代わりに菜種を、という流れになっています。

昔、天智天皇のころ、大己貴神(おおなむちのかみ)という神様を日吉神社に勧請したとき、
神様をお送りしたものが、神社近くの唐崎の松の下で粟飯をお供えした。
という故事があります。
今も日吉大社のお祭りで「粟津の御供」というのがあります。
これがベースであろうと思います。

このへん行くとお芝居とは完全に無関係ですが、
一応タイトルの意味に関する部分なのでムダに書いてみました。



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※参考「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅ てならいかがみ)


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1 コメント

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Unknown (gao)
2022-08-11 13:19:32
先頭の
後醍醐→醍醐
に変更されたい。

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