歌舞伎見物のお供

歌舞伎の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

『盛綱陣屋』もりつなじんや

2008年09月08日 | 歌舞伎
「近江源氏先陣館」おうみげんじ せんじんやかた 七段目。

戦の真っ最中の物語です。
鎌倉時代末期、政権を掌握していたのは北条氏ですが、跡継ぎ問題をめぐって京方、鎌倉方の二派に別れ、戦が起きます。
とはいえ、このお芝居は、この段しか出ませんので、歴史上の細かい設定とかはわからなくて大丈夫です。

基本設定は、
兄「佐々木盛綱(もりつな)」と弟「佐々木高綱(たかつな)」は、仲のいい兄弟だったが、
この戦では敵味方に分かれて戦っている。
これだけです。 ドラマだ。 
でも兄弟の仲が悪いわけではないです。単に仕える主君が違うから戦っているだけです。

主人公「盛綱」は「北条時政」の側に付いています。こっちがが人数も多く、優勢です。
しかし、(盛綱もいい武将ですが)弟の高綱は名高い知将で、変幻自在の作戦を立てます。北条方にとっては非常にジャマな存在です。

さて、今回の戦闘で、にっくき高綱の息子、小四郎が生け捕りにされます。喜ぶ北条時政。
生け捕ったのは盛綱の息子の小三郎で、ふたりのやりとりや、小三郎の母の早瀬さん、両方の祖母、微妙さんが心情を語る場面が本当は冒頭にチラっと付くのですが、現行上演カットです。

今は、「和田兵衛秀盛(わだべえ ひでもり)」の登場シーンからはじまります。
敵の高綱がわの武将で、音に聞こえた剛胆な男、高綱の使者としてやって来たのです。
そのへん出だしの浄瑠璃で説明しているのですが、これが聞き取れない場合、何の準備もなく見ているとイキナリ出るこの人が何者だかわからなくなります。
高綱側の使者として「小四郎を返せ」と言いに来たのです。
盛綱に断られると、「大将の北条に交渉する」と言って単身北条の陣屋へ向かいます。
一見ただの無謀なおっさんですが、じつは全てが計画で、後半に大活躍します。 なのに「あれ誰?」状態なままだとお芝居がわかりにくくなってしまいます。 ↑みたいなひとです、覚えておいてください。
衣装は主人公の盛綱より派手ですから活躍を見逃してはなりません。

細かい見どころとしては、和田兵衛が北条の陣屋に行くとき、盛綱、兵隊を付けて「御守いたせ」とか言います。
もちろん「守る」のではなく、「見張って、何かあったら殺せ」という事です。事実上捕虜として大将のところに護送されるのですが、
和田兵衛は動じずに「おお、ご酒はそれがし大好物じゃ」と「御守」を「御酒」にわざとひっかけて返し、ゆうゆうと花道を引っ込みます。
聞かせどころですが、意味わからないと「え?」となります。聞き取って楽しんでください。かっこいいです。

盛綱と、母親(小四郎の祖母)、微妙さんとの会話になります。
北条時政が小四郎を生かしておくのは、息子をダシに、ジャマな敵将の高綱を寝返らせるためです。
さしもの高綱も、子供への愛には迷うかもしれない。
それは武将として恥だから、兄として弟の名誉は守ってやりたい。家の名誉もありますし。
なので、小四郎くんに切腹するように言ってくれと、微妙さんに頼むのです。
たいへんつらい頼みですが、高綱の言うことはもっともなので引き受ける微妙、武士としてりっぱに生きることはつらいなあとふたりでため息をつきます。

ふたりが退場したところで、門の外から矢文が打ち込まれます。 捕まった小四郎くんの母、篝火(かがりび)さんが小四郎を心配してやって来たのです。陣羽織着ています。
手紙には歌が。

名にしおへば 逢坂山の さねかずら
人に知られで くるよしもがな

藤原定方です。 詳しい意味割愛、「なんとかいとしいあの方に逢いたいものだ、方法はないかな」くらいの内容です。
小四郎くんに逢いたい母親の篝火さんの気持ちを表しています。
歌舞伎(てか浄瑠璃)に出てくる和歌は八大集ならどれ使ってもいい事になっているらしく、金葉集とか千載集とかの、「…知らねえよ!!」な歌が平気で出てきますが、
これは百人一首に入っているので難易度低めです。

見つけたのは、盛綱の奥方、小三郎くんの母親の早瀬さん。これも歌を返します。

これやこの ゆくも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関

蝉丸
この歌くらい覚えておけ、「勧進帳」の長唄にも入ってるし。「逢坂の関は知る人知らない人、いろいろな人が別れては逢う場所ですよ」くらいの意味です。
小四郎に逢える日も来るかもしれません(小四郎は生きてますよ)、オタオタせずに一度帰りなさいと暗に言っています。

この母親の手紙に気付いたのが小四郎くんです。母親に会いたくなります。
祖母の微妙さんが出てきていろいろ諭して切腹を勧めますが、母親に会いたい小四郎くんは嫌がって逃げまわります。あきれる微妙さん。

ここで突然戦の鐘の音が聞こえます。というか舞台の外で鐘と太鼓が「ドンジャン」鳴ったら、それは戦闘開始をあらわす演出です。覚えておこう。
息子を思う高綱が、無謀にも盛綱の陣地に攻めて来たのです。
さわぎにまぎれて篝火さんが入ってきますが、これは後半に向けての段取りなので、ここは小姑同士のにらみ合いを絵的に楽しめばいいです。

戦の様子は「ご注進」の侍が知らせます。ふたり来ます。
これは、歌舞伎の定番の「ご注進」の役柄なので、三味線のリズムに乗って振り付きで語る、独特の形式美を楽しんでください。 セリフは、たぶん聞き取れないと思いますので内容書くと、
大きくはしょって、
「がんばったけど多勢に無勢、佐々木高綱は討死にして首を落とされました」です(はしょりすぎ)。

聞いて喜ぶ北条時政。早速、首実検になります。
戦場では死体がゴロゴロしていますから、取った首が間違いなく本人のものか、顔を知る人が見て確認するのが「首実験」です。
ここでは、当然兄の盛綱が「実験」します。

と、ここでイキナリまた使者がやってきて、時政の陣屋に閉じ込めておいたはずの、さきほどの和田兵衛秀盛が「隠し火矢(小型の火縄銃=ピストルですよ)」で天井を打ち抜いて脱出、さらに陣屋にあった源氏の白旗を盗んで逃げたと知らせます。
ここはセリフだけで説明されてわかりにくいです。後半への伏線なのですが、まあ聞き流しておいていいです。大正の高綱が死んだので時政もたいして気にしていません。

首実検
首桶が開くと同時に、小四郎くんが飛び出して来ますよ。そして「父上、跡から追いつきまする」と言って自分も切腹します。
驚く周囲のひとびと。
さっきまで嫌がってたじゃんとの突っ込みに、 死ぬのが嫌だったのは父上に会いたかったから。父上が死んだなら自分も死ぬ、と言って、キリリキリリと刀引き回して、死んでしまいます。痛々しい。
驚きながら首実検、
高綱の首を見ながら盛綱、いろいろ考えます。 そしてはっと気付きます、悩みます、
考えた末、決心して、「高綱の首に相違ない」と主君の北条の前で言い切ります。
もちろんにせ首ですよ。

ニセ首を本物らしく思わせるため、そして、首実検する盛綱に「本物だ」と言わせるために、高綱はわざと息子の小四郎を捕虜にして陣屋に送り込み、ニセ首の前で切腹させたのです。
それに気付いた盛綱が悩みながら「本物だ」と言うまでの心情を、表情だけで見るものに伝える、「腹芸」が、この作品の見どころです。
十五代目羽左衛門は5分くらいかけたそうですが、ナスシストだった羽左衛門らしいエピソードです。やりすぎです!!

喜んで帰る時政、褒美として高綱に自分の鎧を与えます。大きな鎧櫃(よろいびつ 鎧を入れる箱)に入っていますよ。

時政が帰ったので、盛綱は篝火を呼びますよ。「高綱の計略、しおおせたり、最期の対面許す許す」。
武将としての顔から、肉親、身内の心情を思いやる顔にガラっと変わる場面です。押さえに押さえた、周囲の人々の感情があふれ出る場面でもあります。
でも武将としての重厚さもなくしてはならないので、役者さんの位取りやスケールの大きさが試されるところでもあります。

母親や祖母の嘆きのシーンがひと通りあります。セリフじゃ浄瑠璃が聞き取れないと長く感じるかもしれませんが、子供のセリフがあるので、ほかのお芝居よりは見やすいかと思います。子供かわいいし。

主君の時政にウソ言ったおわびに、切腹しようとする盛綱。
ここで、さっき逃げた和田兵衛登場です。
盛綱とにらみあいますが、和田兵衛が手に持った火筒で撃ったのは、時政の恩賞の鎧櫃、
中から時政の間者(スパイ)が転がり出ますよ。
疑い深い時政は盛綱を信用しておらず、鎧櫃の中に人をしのばせていたのです。

ここでオマエが腹切ったら、「さっきのはウソでした」と言ってるのと同じだからやめとけ、と諭す和田兵衛。
そのうち本物の高綱が出てくるから、そのとき腹を切ればいい、それまでは小四郎の供養をしてくれと言います。

帰る和田兵衛、盛綱とはまた戦場で会おう、と言い合い、「さらばさらば」で幕になります。



セリフが半分くらい聞き取れれば、だいたいのお話の流れは見ていればつかめると思います。
子供が出るのでかわいいし、子役のセリフは聞き取りやすいですからその点も楽ですね。
後半出てくる首は当然ニセ首ですが(おやくそく)、それに関するトリックも、「熊谷」よりはるかに分かりやすいので、あまり混乱はないかと。

基本的に、子供ががんばって、オトナはそれに応えるお芝居です。子役はかわいいですからあまり考えずに「うんうん」と見てください。

こういう戦の途中の「陣屋」が舞台のお芝居はいくつかあります。
有名なのがこの「盛綱陣屋」と、あと「熊谷陣屋」。
武将同士が、顔色ひとつ変えずに命のやりとりのカケヒキをしているところがかっこいいのです。
というかんじで楽しんでください。


鎌倉末期のこの戦は、歴史の中ではそんなに重要な戦ではありませんが、
もともと身内だった人たちが敵味方で争う構図がお芝居向きというのもあって、歌舞伎の題材にはよく取り上げられています。
あと、この戦が多く取り上げられる大きな理由は、
北条時政を家康になぞらえ、源頼家を豊臣秀頼に模すことで、「大阪夏の陣」のメタファーとして作劇できるという点にあります。
江戸時代は家康が出てくるお芝居は作っちゃいけなかったので、江戸期の庶民(とくに上方のひとびと)にとってまだ記憶に生々しく、思い入れも大きい、大阪の戦というできごとを、直接お芝居にする事ができなかったのです。
なので「鎌倉の戦」に模してそのドラマを描いたのです。
この「近江源氏」も、今出るこの「盛綱陣屋」ではあまり意識されませんが、前後の段にはいろいろと「大阪夏の陣」を意識させる部分がありますよ。

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