ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

聖霊降臨後 第24主日(特定25)

2008年10月26日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書22:34-46>

神を愛することと人を愛することは十字架の縦横の棒に例えられます。
その交差する所に主イエスさまが磔になって、
私たちに神の愛を示してくださいました。
当時ユダヤの民はメシアはダビデの子孫から生まれると考えられていましたが、
イエスはその血筋でありつつそのことを超越した救い主として
すべての人に神の愛を示したことが今日の福音書のテーマです。
私たちも十字架を見上げてイエスを自分の救い主とする信仰の告白が
できますように。

司祭 ヨハネ小野寺達

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聖霊降臨後 第23主日(特定24)

2008年10月19日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書 22:15-22>

正当な論争に勝ち目がないファリサイ派の人たちは
イエスがどう応えても揚げ足をとる質問をしました。
その質問が「皇帝に税を納めるのは是か非か」ということです。
イエスは「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」と答えました。
これは単に難局をかわしたということではなく、
質問者に対する「それではあなたは誰のものなのか」
という厳しい問いが含まれています。
私たちは自分自身を誰にお返しすべき存在なのでしょう。
私たちは額に十字架の銘を刻まれていることを覚えましょう。

司祭 ヨハネ小野寺達

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聖霊降臨後 第22主日(特定23)

2008年10月13日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書 22:1-9>

今日の福音書の箇所は、
マタイによる福音書が編集された時代(紀元70年代)の様子が反映しています。
イエスを救い主とする信仰は、
イエスを拒否したユダヤ人からその外へと広がり始めます。
神の愛とその証しであるイエスの招きは、すべての人に与えられているのですが、
その招きに応えてふさわしく生きていこうとする人は、
さほど多くなかった当時の様子をかいま見ることができます。
さて、私たちは神の招きにふさわしい「礼服」お身に付けているでしょうか。

司祭 ヨハネ小野寺達

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聖霊降臨後 第21主日(特定22)

2008年10月13日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書 21:33-43>

今日の福音書は、福音記者マタイの旧約から新約への歴史理解が現れています。
神の御心から離れた世界を告発し糾弾するために
たくさんの預言者が現れましたが、
イスラエルの民は聞き入れず、拒み、彼らを迫害しました。
神は、とうとう御子イエスをこの世界に遣わしますが、
イスラエルの民はこれをも拒み、御子を十字架の上に捨て去りました。
しかし、神はこの御子を土台としてそこに神の御心を示す教会を小館になったのです。
今日の福音書には、マタイのこのような歴史理解とイエスに対する信仰告白が表現されています。
主なる神の大きなお働きの中に私たちも加えていただきましょう。

司祭 ヨハネ小野寺達

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