ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

聖霊降臨後 第20主日(特定21)

2008年09月28日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書 21:28-32>

今日の福音書の例えで兄息子は、
父親から頼まれたぶどう園の働きを一度は拒みました。
しかし、弟息子は父の依頼を受けて承諾の返事をしながら
実際は、ぶどう園へ行きませんでした。
ここでの「考え直して」とは「心を入れ替えて」と言うほどの意味を持っています。
当時、罪人呼ばわりされていた人がイエスと出会い、
「考え直して」天の国の招きを受け入れました。
私たちもぶどう園の働きへと招かれています。
そして、ぶどう園の働きとは、自分本来の姿に立ち戻ることです。

司祭 ヨハネ 小野寺達

→説教はこちら

聖霊降臨後 第19主日(特定20)

2008年09月21日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書 20:1-16>

今日の福音書は、人の尊さは働きの量や質によらず
存在そのものの尊さにあることを教えているのではないでしょうか。
自分を優れた者として、その基準で弱い者や劣っているものを
蔑んだり排除しようとするのか、
本来招かれる値打ちもないことを認識して、
招かれていることを感謝するのかによって、
今日の福音書理解は変わってきます。
夕方5時近くまで雇ってくださるお方を広場で待ち続ける信仰こそ
主人(神)の前では尊いのかもしれません。

司祭 ヨハネ 小野寺達

→説教はこちら

聖霊降臨後 第18主日(特定19)

2008年09月14日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書 18:21-35>

今日の福音書でイエスは完全な赦しについて教えています。
旧約律法を乗り越えて行き着くところは
イエスを通して示された完全な赦しなのです。
「赦し」は、罪を水に流して無かったことにすることではありません。
十字架の上に死んで甦ったイエスの体には傷跡が残っていますが、
この傷跡は、私たちの「水に流せない」罪の印であると同時に
完全な赦しの印です。
私たちは、イエスを通して自分の罪が赦された自覚が
神への感謝と応答になっていくのです。

司祭 ヨハネ 小野寺 達

→説教はこちら

聖霊降臨後 第17主日(特定18)

2008年09月07日 | ショートメッセージ
<マタイによる福音書18:15-20>

イスラエルの民の中で隔絶した遠いことろにおられるお方と理解された神は、
二人また三人がイエスの名によって集まるところにいてくださると
イエスは教えてくださいました。
そして、すべての人をその交わりの中に招き入れることを
イエスは願っておられます。
そうであれば、罪を犯す者を「異邦人か徴税人と見なす」ということも
交わりから追放するということではなく、
イエスの名によって生きる交わりへと導くべき対象であると考えられます。

司祭 ヨハネ 小野寺達

→説教はこちら