ヨーガスクール・カイラス blog

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M――使徒にしてエヴァンジェリスト(9)

2017-06-14 17:12:56 | 聖者の生涯



第四章「インド人の見解――神へ明け渡すことがすべての善」(2)



 空は曇っている。およそ午後4時である。雲と一緒に風がすごい速さで吹いている。Mは小屋の外にあるジャンブ樹の下に戻ってきた。どのような感情が彼の心と存在を満たしているのかは、誰にもわからない。彼の顔は紅潮し、目は天の至福に満ちている。彼は空を凝視し続けている。しばらくしてから、彼は感情を抑えた静かな声で話す。

「空に浮かぶ雲を見ることで、私は古代のリシたちを思い出すのだよ。彼らは六つの季節すべて――夏、雨季、収穫期、秋、冬、そして春を経験しながら主を実感していた。それらすべての季節の描写がヴェーダの賛歌の中に表現されている。カタームリタ(シュリー・ラーマクリシュナの福音)にも、季節の描写が描かれている。行間を読むことで、いつ何を話していたのかを理解することができるのだよ。タクルはこのようにおっしゃった。

『若いころ、あるサードゥがドッキネッショルにやって来てね。空に雲を見るとすぐに踊り始めたのだよ。』

 川岸、海、広大な野原、それらすべてが神の存在の感覚を呼び起こす。だからわたしがダージリンから戻ってきたときに、タクルは『ヒマーラヤを見ると、お前は神の感覚を呼び起こされるかね?』という質問をされたのだよ。彼はそのほかの質問は一切されなかった。遠くのヒマーラヤを見て、わたしは涙を流したのだよ。そしてそのようにわたしは申し上げた。そのころわたしはその意味を知らなかった。――

『不動なるものの中では(わたし【至高者】は)ヒマーラヤである。』

――後に、わたしはこれを知ったのだ。だが、まだそれを知らなかった当初に、わたしは神の存在の感覚を呼び起こされたのだよ。タクルはよくこうおっしゃった。

『チリは知らずに食べたときでさえピリッとするものだよ。』

 おお! ミヒジャのような森や野原やそのような場所でリシたちは暮らしていたのだよ。ここは、孤独な野原、簡素な性質の小作人たち、森、空に浮かぶ雲、早朝の日の出、夕暮れの日没のすべてが、栄光に輝いて見える。ここにあるすべてが美しく、平穏で、自然なのだよ。人工的なものがない。街のように興奮させるものがない。政治もなく、社会を改善するという熱意もなく、騒音も慌ただしさもない。自然界の美の尽きることのない宝庫だけがある――純粋で穏やかな神の感覚の目覚めだ。そして夜空には、無数の星と白分の月光がちりばめられている。それらの贅沢品の喜びを、古代のリシたちは共に味わっていたのだよ。
 ごらん、立ち上る雲によってできた空のなんと美しいこと! そしてほら、虹だよ。なんと美しい! 実に美しい! 古のリシたちはこの美の宝庫に大いに喜び、すべてに神を感じていたのだよ。」
 
 Mは深い感情に浸りながら、さらに続けた。

「バーラタ(インド)にとってのヒンドゥーの生活の取柄は、絶えまない礼拝だ。芸術、文学、建築学、科学、哲学、教育、詩、絵画、歌、貿易、農業や医療が、この国ではすべて”彼”に捧げられている。この国のすべての美術は、まさに主の感覚を呼び起こすのだよ。最高の文学もまた主を中心に展開されている。ラーマーヤナやマハーバーラタは、まさに主のリーラーを歌っているのだよ。すべての美しい絵画は、まさに主の聖なるお遊びを描いている。良い音楽はすべて主を歌っている。すべてのインドの寺院――例えばマドゥラのミーナクシ寺院、コナラクの寺院、ブヴァネーシュワル、プリーなど、すべてが彼に捧げられている。ディルヴァラ、アジャンタ、エローラ、それらすべてが主のために存在している。この国における感覚はこれだけ――神へ明け渡すことがすべての善――なのだよ。
 この礼拝の態度は、他の国で実践するのはこの上なく難しい。特に現代においては、それを西洋で見出すことはほとんどできない。彼らは食べることと飲むことを”良き人生”――つまり人生の唯一の目的としている。彼らの一部には善良な人々もいるのだが、彼らは自国では場違いなのだよ。
 西洋民族の感覚は、『今がすべて』というものだ。しかし西洋諸国の善良な人々は、この国に目を注いでいる。『七つの海と十三の川』を渡って、彼らは神の感覚を味わうためにこの国にやってくるのだよ。非常に多くの西洋の男性と女性がベルル・マトにやって来た。実に彼らの多くは純粋な放棄の生活を送っているのだよ。彼らの一部はサードゥになっている。彼らはみな偉大な人たちだが、自分たちの母国には適していないよ。そこでは誰も彼らを理解することができないからね。
 おお、彼らが神の至福を楽しむためにこの国にやってくる際に直面する障害と困難は、何と多いことだろう! だが、この国の人々は、大気中にこの感覚を吸っているのだよ。わたしたちにとってこの態度はこの上なく自然なものだ。これはバーラタ独自のものなのだよ。これがヒンドゥー文明やアーリヤ文化の『神が最初、すべてはその後』という見解だ。もし神が悟れられていないなら、何も得るものはない。美しさ、能力、富、家族、若さは、神に捧げられたときにのみ価値のあるものだ。そうでなければ、彼らは無益に重荷を運んでるようなものだよ。胎児の時期から始まり死の瞬間まで、人生は途切れることのない礼拝なのだよ。」

 聖なる感情に満たされ、それらのMの言葉はマントラのように耳に入ってくる。幾人かは、まさにこのようにして、バーラタの民たちは古代バーラタのリシたちの口から溢れる偉大な言葉を聞いていたのだろうか、と思案を巡らせ始める。今再び、その同じ声の響きが、前に立つこの偉大な人物の口から鳴り響いているのだ。再び幾人かは、これは、少年時代から抱いてきたタポーヴァナの聖なる集いに参加したいという願いが叶ったのだろうかと、思いを巡らせている。古代のバーラタのリシが、この新しい肉体に宿ってわれわれの前に存在しているのだろうか?


ベンガル歴1329年 チャイトラ月2日
1923年3月16日 金曜日
黒分最終日
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