ヨダログ

囲碁棋士 依田紀基のブログ

萩の山スキー場

2010-02-28 | 日記
昨日は息子たちと岩見沢の萩の山スキー場に行ってきた。

このスキー場は日本一ワイドらしい。

何事も基本が大事である。最初の二時間は岩見沢スキー連盟の先生に基本を教わった。

基礎を知らない我流だった僕は20級から15級くらいに上げたような気がする。

本当に先生達には親子3人親切に指導していただいた。

今日も息子たちは萩の山スキー場におじいちゃんが連れて行くことになっている。

僕はこれから依田杯である。

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これからスキーに行きます。

2010-02-27 | 日記
昨日から北海道岩見沢市の実家に二人の息子を連れて来ている。

明日、日曜日の「依田杯」に出るためである。

昨日、浅田真央選手が銀メダルが決まった後のインタビューをテレビで見ていたが、

悔しさで涙を流し、なにも飾りのない言葉で答える姿に、僕は感動で呼吸が止まりそうだった。

多くの人もそうであったろうと思う。

昨日は夜の8時くらいに岩見沢に着いた。

僕のほうは、浅田真央選手に比べるとかなり低次元の話である。

以前に僕が書いたブログで通知表に「2」がひとつあった話をしたら、棋院に

「その2とは何の教科なのか?」という質問が届いたらしいのでそれについてお答えしたい。


昨日母に言って、中学3年の時の通知表を見せてもらった。

中学3年の1学期の「社会」が「2」であった。

2学期と3学期は正真正銘、完全無欠のオール1であった。


今日はこれから岩見沢の萩の山スキー場に子供たちを連れて行くことになっている。

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美しい景色とは?

2010-02-26 | 日記
美しい景色とは何だろうか?

僕は現在のところ、水に光が反射することだと思っている。

美しい景色はたくさんあるが、全て大本の基本形はそれで、

それに色々とおまけを付けたものではないか?と僕は思っている。

いつ僕がそう思ったかと言えば去年の今頃、僕は山下君と棋聖戦の挑戦手合を戦ったが、

第六局目を打つ日の朝である。

六局目は熱海の後楽園ホテルで対局した。

自分の部屋から対局室に向かう途中のホテルの窓から、

太陽の光が海面に反射して黄金の道が出来ていたのである。神々しい景色だと思った。

太陽の光は天から降り注ぐ親の情のようなものだと思う。

そしてそれを反射させる水面は、人間一人ひとりの心だと思っている。

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天国と地獄

2010-02-25 | 日記
ここ最近、息子たちがお腹の調子が悪かった。僕もそれが移ったみたいである。

だから、昨日は焼酎のお湯割りを飲んで早く寝た。今日はほとんど治ったみたいである。

こういう時に思い出すことがある。

それは、一ヶ月足らずの間に地獄と天国の両方を見たことである。

僕が棋士になってから今までの勝負のなかで、

一番辛かった敗戦と一番嬉しかった勝利がこの一ヶ月足らずの中にある。

今から14年前、当時30歳の僕は、

国内棋戦では「十段」と「碁聖」の二冠を獲得していた。

エネルギーが満ち溢れるのを自分でも感じて、

誰と打っても全く負ける気がしなかった時である。

又、韓国に日本が押され始めたのもこのころであった。

僕は時間制の違いなどを言い訳にするのはプロとしては話にならないと思っている。

だから僕は、「棋道」のインタビューでも、

今まではともかくとして、これから自分が国際棋戦で勝つからそれでよかろう、というような意味のことを答えた憶えがある。

別に見栄を張っているわけではなく、本当にそう思っていたから言っていただけである。

僕は「応氏杯」と「三星杯」の二つの世界戦で決勝に進んだ。

相手はどちらも韓国の強豪棋士、劉昌赫さんである。

応氏杯が先に始まって、中国の西安市で決勝5番勝負の第一局目が10月4日に行われた。

一局目は僕のほぼ完勝であった。

僕は馬鹿だから、それですっかり調子に乗ってしまったのである。


それで、次の日の5日に第二局目の前日にも関わらず、

夕食に中国の白酒を飲んだ後に、西安の屋台村に繰り出した。

僕は縁日のような雰囲気が好きである。すっかり喜んでしまった。

ところが、西安の屋台は衛生的に良くないのである。

どんぶりだってどんな水で洗っているのかもわからない。

案内してくれた台湾人は大丈夫だったから、

日本人には水が合わないということなのだろう。

その日の夜は大変な目にあった。

あまりにも苦しいので、団長の加納先生の部屋に朝5時に電話した。

医者を呼んでもらって、注射を打ってもらって二局目を打った。

これでは負けるのが当然であろう。

大事な対局の前に、こういう馬鹿げたことをやる棋士は僕くらいだと思うが、

日本の選手諸君にも中国の屋台に行くなら対局が終わった後に行くことを勧める。

1勝1敗になったあと、3局目からは場所を変えて11月4日から北京で行われた。

第三局は完敗であった。

カド番になった第四局は必勝の碁を勝ちきることができずに、

優勝することは出来なかった。

負けるべくして負けたということだと思うが、このときは本当に辛かった。

何が辛いと思うかと言えば、

日本の多くの囲碁ファンをがっかりさせてしまったのが辛いと思った。

だから、日本に帰ってきても、外に出て囲碁ファンに会いたくないなあ、と思っていたが、

そういうわけにも行かず、外出したら、囲碁ファンが僕に声をかけてきた。

その人は僕に、「三星杯頑張って下さい」とだけ言った。

三星杯のことを知っているなら、応氏杯のことも知っているはずである。

それなのに一言も応氏杯のことを言わなかった。それが嬉しかった。

僕も応氏杯のことは忘れて、ファンの期待に応えるためにも未来の可能性に向かって歩かなくてはならない。

三星杯の決勝三番勝負は11月25日に韓国のソウル市の「新羅ホテル」で第一局目が始まった。

この碁は終盤まで僕が優勢だったが、ヨセでミスをして負けてしまった。

カド番の第2局は僕が捨石戦術に出て、序盤で優位に立った。

その後わけのわからない戦いになり危ない場面もあったが、なんとか勝った。

最終の第三局目は、やはり、僕が捨石戦術に出て序盤で優位に立って何とか逃げ切った。

この第三局目が今までの棋士人生の中で一番嬉しい勝利だったような気がする。

日本のファンの期待に何とか応えることが出来たと思ったからである。

僕もこれからも精進して、これと同等かそれ以上の喜びを得たいと思っている。

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負けてもしょうがねえ

2010-02-24 | 日記
僕の家内の姉はピアニストだが、

ピアニストは3代続かないと一流になるのは難しいという話を家内から聞いたことがある。

そういう意味からすると、碁界は逆で親子で一流棋士というのは、

400年のプロ制度の中でも数えるくらいしかいない。

その中でも、親子で第一人者になったのは、秀和、秀栄親子しかいないと思われる。

(道策、道知、両名人が親子だったという説もあるが、定かではない。)

大きな理由は親の七光りが全く関係のない、

結果がはっきり出る実力だけの世界だからだろう。

よく、「勝負の世界は厳しいので大変でしょう?」と人から言われることがあるが、

僕はそう感じていない。

僕がこの世界の一番好きなところは、人間の上下関係がないことである。

勿論、目上の人に対しては会えば、普通に礼を尽くすけれども、

仮にどんなにすごい人でも自分が会いたくない人なら会わなければ、それで済むのである。

(棋士は浮世離れしていて、純朴で良い人がほとんどだけど)

勿論命令されるということもない。

これが会社勤めをしていたらそういうわけにはいかないだろう。

ストレスの大半は人間関係だと言われる。だから僕はストレスはほとんどないと思う。


碁に負けるストレスさえ気にしなければ、こんなに良い世界はないと思っている。

秀行先生も、

「野球とかでミスをしたらチームのみんなに迷惑をかけるから大変だし、かわいそうだよ。

碁は全部自分でやっているんだから負けてもしょうがねえ」と言っていた。

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