アウトドアライフの記録

四季それぞれに あちこちの山に登ったり、桜や紅葉の写真、および南の島の記録を写真とともに整理して、ブログにまとめました。

「古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて」 大和編 その1 奈良県櫻井市、大神神社、宗像神社、檜原神社

2015-02-28 13:07:20 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 
2015年1月29日

自宅のある大阪府河内長野市を午前9時に出て、奈良県桜井市に10時に到着。
今日は 一日がかりで「古代出雲王朝ゆかりの地」を訪ね歩くつもりだ。
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この日訪ねる予定の地とそのゆかりの人物

宗像神社、大神神社、狭井神社、檜原神社

宗像三姉妹、八千矛王(大国主)、八重波津身副王(事代主)、豊来入姫(豊鍬入姫)
           ()内の名前は記紀により、書き換えられた名前         
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宗像神社
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高速道路「南阪奈道路、大和高田バイパス」を降りて国道165号線を走っていて
ふと横を見ると 最初の目的地の「宗像神社」だった。

登美山鎮座と書いてある。登美山とは 今の鳥見山のことだ。
この地に移住してきた東出雲王家向家の皇子「奇日方(クシヒカタ)」が登美家
または富家(とびけ)と呼ばれた。

地名になった「登美」が 今も残っているのを見て びっくり。今日の最初の発見だ。
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神社の駐車場に車を止めて、早速鳥居を潜る。
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宗像神社の拝殿。
宗像家は出雲王家第6代主王「大名持ち」の「臣津野(おみつぬ)」の皇子「吾田片隅(あたかたす)」
が豊の国(大分県)へ移住して始まった。

※臣津野王は出雲では「国引き王」として有名で、古代出雲王国を宇佐の国(大分)から越の国
(新潟)まで広げた王として有名だ。
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だから当然主祭神 は「吾田片隅」と思いきや なんと主祭神 は吾田片隅の娘の宗像三姉妹なのだ。

そして中央の大きな社が、末娘の市杵島姫だという。

渡来人徐福が石見の五十猛海岸に上陸し、息子「五十猛」を設けたあと一旦秦国へ帰国し
さらに大量の海童や技術者を連れて 二度目に北九州「浮杯の地」(佐賀)に再上陸した後、
和名を饒速日(にぎはやひ)と名乗る。

宗像家の姫君「市杵島姫(いちきしまひめ)」と結婚し、その息子「穂穂出見(ほほでみ)」が九州物部家を起こす。

つまり徐福(素戔嗚)の奥方が宗像三姉妹の末娘、市杵島姫なのだ。

左は長女田心姫(たごりひめ)この方は出雲王家第7代大名持ち「天の冬衣」に嫁がれた方だ。

右は多岐津姫(たぎつひめ)この方は第8代大名持ち「八千矛」に嫁がれた方だ。
そして多岐津姫は味鋤高彦(あじすきたかひこ)をお生みになる。

秦国からの渡来人徐福(記紀では素戔嗚と書かれた)や部下の穂日(今の出雲大社宮司の祖先)
や沢山の海童たちに幽閉されて殺害された八千矛王は記紀では「大国主命」と書かれた。

八千矛王は西出雲王家(神門臣家)の出身で、その皇子の味鋤高彦は大和葛城地方に移住して
鴨家と呼ばれた。

※古代出雲では神をカモと発音したので カモ家に鴨の字が当てられたという。

八千矛王とほぼ同時に 徐福、穂日らに幽閉殺害された副王の八重波津身(やえなみつみ)
は記紀では「事代主(ことしろぬし)」と書かれて、その皇子「奇日方(くしひかた)」は
一旦大和葛城地方に移住した後、更にこのあたりに移住して登美家と呼ばれた。

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この地域の地図を見てびっくりした。今日二つ目の大発見だ。

外山と書いて(とび)と発音するのだ。まさに登美家の地盤なのだ。

登美家は後に磯城家(しきけ)とも呼ばれた。

鳥見山も昔は登美山と言い、登美家が登美山山頂から三輪山を遥拝したという。

その遥拝場所は「登美の霊畤(とびのれいじ)」と呼ばれてパワースポットだったらしい。

それゆえこの神社は「登美山鎮座宗像神社」と書かれていたのである。

三輪山は古代出雲族が崇拝する 太陽の女神「大ヒルメムチ」を祭る神奈備山だ。
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次に大神神社へ
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大神神社前の大鳥居前駐車場に車を止めてここから歩いてあちこちへ行く。
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大神神社二の鳥居。ここからは長い参道を歩いていく。
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長い参道を歩いていく。静寂な雰囲気だ。
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拝殿の前の鳥居に着く。この鳥居は出雲王家の分家の諏訪家の諏訪大社御柱のような
二本の柱に注連縄を渡した鳥居で、古代出雲の鳥居様式といわれる。
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これが大神神社の祈りの言葉だそうだ。

大国主の命(記紀では大物主と書き換えられた、古代出雲第八代主王八千矛の命)の
荒御霊は近くの狭井神社に祭られている。
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境内の東側の入口にも 出雲式の鳥居がある。
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境内のご神木には 巳様(蛇神様)がお住みらしい。

蛇神とか竜蛇神信仰も 幸の神信仰とともに古代出雲族の信仰の一つだと伝わる。

松江市内の古い神社(阿太加夜神社など)には境内に竜蛇を藁で編んだ神様が祀ってある。

東出雲王家の分家鴨族の移住した京都北部の上賀茂神社境内の砂の三角錐も
トグロを撒いた巳様の姿だという。
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主祭神 のお二方は 古代出雲王家の主王(役職名は大名持ち)と副王(役職名は少彦)の
お二人だ。

秦国からの渡来人徐福(記紀では素戔嗚)や部下の穂日(今の出雲大社宮司の祖先)
や沢山の海童たちに 出雲市北部「稲目洞窟」に幽閉されて殺害された八千矛王は
出雲王第八代主王(大名持ち)であり、記紀では「大国主命」と書かれた。

記紀ではそのほか主王の役職名の「大名持ち」も「大己貴(おおなむち)」とか
「大汝(おおなんじ)」とかさまざまに書き換えられた。

八千矛王とほぼ同時に 徐福、穂日らに 米子市粟島志都の岩屋に幽閉殺害された副王の
(役職名少彦)八重波津身(やえなみつみ)は記紀では「事代主」と書かれた。

また少彦(すくなひこ)も 記紀では 少彦名とか 一言主とか書き換えられた。

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つまり三輪山をご神体とした「大三輪神社」は古代出雲王家第八代の主王、八千矛と副王八重波津身
のお二人を御祭りしているのである。

そして後世に 「大神神社」とかかれるようになるのである。

ここの神社の本殿は古代出雲形式の「三つ鳥居」になっているそうだが 見ることは出来なかった。
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広い境内の祈祷殿の前を通り、隣の狭井神社へ行く。
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狭井神社の入口、「山之辺の道」に面した鳥居は普通の鳥居だ。
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しかし奥へ入ると 出雲式の御柱様式の鳥居があった。
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境内にある狭井神社の説明書である。
もちろん八千矛の命と八重波津身の命を御祭りしているのだが、ここでまたまた新発見。

踏鞴五十鈴姫(たたらいすずひめ)をも、お祀りしているのである。
踏鞴とはもちろん古代出雲で行われた製鉄方法である。

この姫君は八重波津身(事代主)の姫で、この地に移住した登美家の祖である奇日方の妹姫で、初代大和大王「天の村雲」
(徐福の孫、五十猛の息子)に嫁がれた皇后なのである。

その隣の「セヤ五十鈴姫」と言うお方は 踏鞴五十鈴姫の妹姫の「五十鈴依り姫」のことなのか、
もっと後世の登美家の姫なのか調べてみます。
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狭井神社の境内には またまた新発見の神社があった。
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池のほとりにあったのは、「市杵島姫神社」である。
このお方は徐福のお后で、先ほどの「登美山坐宗像神社」や、京都の松尾大社、祇園さんと呼ばれる八坂神社にも祀られていて、
安芸の宮島の主祭神 でもある。

説明に寄ると元来この社は この地にはなく 後の世に 勧請されたということだ。
物部の子孫がやったことだろう。

この神社には本殿が無く、三輪山がご神体とされる。三輪山へはこの境内から登拝するのだが、
今日は時間がなく次回にしよう。
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檜原神社
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山之辺の道を進むと 檜原神社がある。この神社も狭井神社と同じく 大神神社の摂社である。
鳥居も出雲式の鳥居だ。
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この神社も本殿がなく、三輪山がご神体だとか。
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ここに来て初めて三つ鳥居を拝ませてもらう。

三つ鳥居は 古代出雲族の信仰の幸の神(さいのかみ)三神、クナト大神、奥方の佐井姫の命、
それに皇子神のサルタ彦大神の三神である。

※サルタ彦のサルタとは南部インドのドラビダ族の言葉で「鼻の大きい」と言う意味だそうで
つまりヒンドゥーの象神ことガネーシャ神のことなのだそうだ。
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神社の説明文には天照大神を祀ると書いてある。
佐井姫の命は 記紀によりアマテラスと書き換えられて太陽の女神とされた。
「大ヒルメムチ」のことである。
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この地から見る三輪山の姿である。
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境内左側の末社を見てまたまた新発見。
豊鍬入り姫を祭ると書いてあるではないか。びっくり驚きだ。
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持統女帝が命じ、藤原不比等が編纂させた記紀の 編集方針の第一は 「万世一系」である。

つまり自分たちは天上世界から降臨して 連綿と続く大王家だという作り話だ。

自分たちが渡来人の子孫だとか、出雲王朝やその後の王朝を次々と倒してきた
征服王朝だとは絶対に悟られてはいけないのである。

豊鍬入り姫とは 「豊来入姫」を記紀が書き換えたものであり、九州の物部家イニエ王(崇神)
と宇佐王国の「豊玉姫(トヨタマヒメ)」(魏書にヒミコと書かれた2番目の姫巫女で魏の役人から
「親魏和王の印鑑や襷、錦の旗」を直接受け取った唯一の姫巫女)の娘姫である。

物部家の第二次大和東征でイクメ大王(垂仁)とともに大和入りした姫であるが 記紀編纂者不比等は
彼女が豊王国から大和入りしたことを隠すため 豊来(とよき)ではなく、豊鍬(とよすき)と書き換えられたのである。

またトヨタマヒメ亡き後、魏の和国駐在武官「張政」よりヒミコの後継者として指名された
「トヨ」のことである。

もともと豊来入姫はこの檜原神社で「月読み(つくよみ)の神」を祭り「若ヒルメムチ」と呼ばれていた。

イクメ王の大和統一が進むに連れて、豊来入彦(兄)とともにイクメ王に邪魔にされ、
イクメ王の指示で出雲系「加茂田田彦」に追われ、丹波、伊根、さらに伊勢の椿大神社まで逃れたが
最後には イクメ王の放った刺客に殺されて、「ホケノ山古墳」に埋葬された悲劇の姫巫女である。

※イクメ大王(垂仁)の父はイニエ王(崇神)だが 母は豊玉姫トヨタマヒメではなく、薩摩の阿多津姫である。
阿多津姫は記紀では「此花咲くや姫」と書かれた。つまりイクメ大王と豊来入彦、豊来入姫は腹違いの兄妹である。

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この有名な姫巫女のお札を檜原神社で買い求めて 我が家の神棚にお祀りした。
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檜原神社の鳥居から西を見ると 持統女帝に殺された悲劇の「皇子大津の皇子」が葬られている
「二上山」が見える。この景色の夕日が 「大和夕日なんとか」で有名だと書いてあった。
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檜原神社の前に一軒の茶店があった。ちょうどお昼なので一休み。
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「檜原にゅう麺定食」を食べたがとてもおいしかった。おいしい具も彩りよく沢山入っていた。
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次は 大和歩きその2 ホケノ山古墳、箸墓古墳、「穴師に坐イタケ兵主神社」へ続く
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