アウトドアライフの記録

四季それぞれに あちこちの山に登ったり、桜や紅葉の写真、および南の島の記録を写真とともに整理して、ブログにまとめました。

高野三山女人道を歩く

2013-01-09 10:15:36 | 冬の山歩き
以前このブログで「世界遺産高野町石道」がゴルフ場の中を通って

歩かなければならない、和歌山県の無知無能ぶりを書いた。

世界遺産を歩きに来る外国の人に対して 全く日本人の恥である。

それにたいして、参詣道が比較的に保存されている「高野女人道」

の紹介をしよう。


弘法大師空海が 一人で創り上げた山上の祈りの場ー霊場高野山は

明治の初めまで女人禁制が続いていた。空海の母親と言えども 

例外ではなく ふもとの九度山町の慈尊院で住みながら空海が 

自分に会いに 月に九度下山してくるのを待たなければならなかった。

(それで九度山と言う名前が付けられたらしい)


一方 信仰心の厚い女性たちや、高野山で修行している修行僧の家族の

女性たちは、高野山の街中に入れないので、「高野七口」

と呼ばれる高野山の七つの入り口に建てられた「女人堂」に寝泊りして

高野山の街の周りの尾根道を歩き 弘法大師に祈り、かつ身内の無事と

修行の成就を祈念して 巡り歩いたと言われている。

(※ちなみに7つの入り口の女人堂は現在は、京、大坂から登ってくる

 不動坂口女人堂しか現存していない)


その祈りの尾根道が「高野女人道」で 「世界文化遺産ー紀伊山地の霊場と参詣道」

の一つとして 「大峰奥駈道」、「高野町石道」、「熊野古道」、「伊勢路」

などと共に世界遺産の参詣道の一つとも言われている。





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しかしこの道を全部通して歩く案内書はない。三山コースと女人道コースと

別々の案内がほとんどだ。転軸山と不動坂口女人堂の間の道が整備されて

いないのかもしれない。

以前、南海電鉄が駅で配布している案内書の「高野三山コース」を歩いた。
そのときの記録である。

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「中の橋駐車場」を起点にして三山を回り、再びゴールする。



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奥の院への車道と別れて、右のチェーのゲートを入る。



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しばらく進み、左のやまみちへ分岐する。

もっと立派な看板があると思っていたら手作り標識だった。






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しばらく歩くと「魔尼峠」だ。





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魔尼山山頂到着。

祠があり、女人たちが祈りを奉げた場所だ。



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しばらく下ったところに 地図では「黒河峠」のあたりに峠標識はなく

「東魔尼山」と石碑があった。



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楊柳山山頂到着。ここで昼食にする。






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楊柳山から 急な下り道を一気に降りると 子継峠に出た。





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子継峠から更に下る。



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更に下ると林道とクロスする。

転軸山入り口にも手作り案内標識があって助かる。





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転軸山山頂到着。ここにも立派な祠がある。

これで三山を巡り歩いたことになる。





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転軸山から下山すると、「石楠花園」に出た。

沢山の水鳥たちがいる。





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しばらく歩くと スキー場のようなところに出た。

このあたりから道路が分岐していて 案内もなく、よく分からなくなった。



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適当に道を歩いていると、「奥の院」へ出た。



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奥の院を歩き 弘法大師の眠る「御廟」へお参りして

駐車場へ帰着。








(※御廟周りは撮影禁止です)

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駐車場を歩き出したのが、11時前。帰着したのが午後4時過ぎ。

お昼休みを1時間とり、歩行時間は4時間半くらいでした。

案内書では約4時間。帰路の奥の院で道に迷ったのと、御廟に寄った

せいで少し時間がかかったのかもしれない。

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