第1回 空海御母堂の眠る慈尊院から丹生都比売神社へ その1 2014年9月11日
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「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界文化遺産に登録されてから 今年で10年になる。
それを機に 今年は 「熊野参詣道小辺路」と「熊野参詣道中辺路」を歩いた。
今度は約10年ぶりに同じく世界遺産の「高野山町石道」を再び歩いてみようと思った。
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その1 慈尊院から町石道展望台へ
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ピンクのラインが予定のコース。九度山町内の町営無料駐車場から歩き出した。
なお近くには道の駅九度山もあり、そこでも駐車できる。
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川沿いのきれいな駐車場。南海電鉄九度山駅から歩いて5分くらいだ。
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歩き出してしばらくすると古い町並みに入る。この街は真田幸村ゆかりの街で町中に「真田六文銭」の旗が立っている。
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レトロなお面を飾った不思議な家もある。
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この橋は「慈尊院橋」でこの向こうが世界遺産慈尊院だ。
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山門には大きく「世界遺産」とかかげてある。
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ここは空海の御母堂が、住んでいた場所だそうだ。
空海が開いた高野山は女人禁制とした為、御母堂は息子空海に会いにいけず、ここで空海が山から下りてくるのを待ち続けたという。
あるときあまりの会いたさに 高野山への山道を歩いて会いに行こうとして途中で連れ戻されたという。
空海はそれを聞いて「そんなに私に会いたいのなら、私は必ず月に九度、山から降りてきてお会いします」と言ったのが「九度山」の地名の始まりだとか。
御母堂は今もここに眠る。
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有吉佐和子の小説「紀ノ川」で有名になった「乳型」の奉納。
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沢山の「おっぱい」が奉納されている。
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慈尊院の境内奥に石段があり、ここを上ると丹生官省符神社がある。
石段途中の右に見えている石柱が町石だ。
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「百八十町」と読める。これはここから高野山壇上伽藍までの距離だ。180町ある事を示す。約18キロの道のりだ。
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古く大きな神門のような 拝殿のような建物だ。賽銭箱が正面に置いてあるから通り抜けは出来ない。
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拝殿から本殿を望む。神社の看板で主祭神 を見ると 四柱ありこれから行こうとしている 丹生都比売神社と全く同じだ。
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神社の横手から町石道へ出たら、「百七十九町」の町石がある。
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柿畑の中を登っていく。勾配はかなり急だ。
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ややこしい分岐があった。左の道に町石があるので そちらへ進むと少し登ったら行き止まりだった。
10年前に歩いたときの記憶は無くなっていた。
よく見ると右手に看板があり、右の道へ進むように書いてあった。
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その2 「展望台から丹生都比売神社」へ続く
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「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界文化遺産に登録されてから 今年で10年になる。
それを機に 今年は 「熊野参詣道小辺路」と「熊野参詣道中辺路」を歩いた。
今度は約10年ぶりに同じく世界遺産の「高野山町石道」を再び歩いてみようと思った。
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その1 慈尊院から町石道展望台へ
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ピンクのラインが予定のコース。九度山町内の町営無料駐車場から歩き出した。
なお近くには道の駅九度山もあり、そこでも駐車できる。
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川沿いのきれいな駐車場。南海電鉄九度山駅から歩いて5分くらいだ。
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歩き出してしばらくすると古い町並みに入る。この街は真田幸村ゆかりの街で町中に「真田六文銭」の旗が立っている。
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レトロなお面を飾った不思議な家もある。
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この橋は「慈尊院橋」でこの向こうが世界遺産慈尊院だ。
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山門には大きく「世界遺産」とかかげてある。
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ここは空海の御母堂が、住んでいた場所だそうだ。
空海が開いた高野山は女人禁制とした為、御母堂は息子空海に会いにいけず、ここで空海が山から下りてくるのを待ち続けたという。
あるときあまりの会いたさに 高野山への山道を歩いて会いに行こうとして途中で連れ戻されたという。
空海はそれを聞いて「そんなに私に会いたいのなら、私は必ず月に九度、山から降りてきてお会いします」と言ったのが「九度山」の地名の始まりだとか。
御母堂は今もここに眠る。
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有吉佐和子の小説「紀ノ川」で有名になった「乳型」の奉納。
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沢山の「おっぱい」が奉納されている。
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慈尊院の境内奥に石段があり、ここを上ると丹生官省符神社がある。
石段途中の右に見えている石柱が町石だ。
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「百八十町」と読める。これはここから高野山壇上伽藍までの距離だ。180町ある事を示す。約18キロの道のりだ。
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古く大きな神門のような 拝殿のような建物だ。賽銭箱が正面に置いてあるから通り抜けは出来ない。
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拝殿から本殿を望む。神社の看板で主祭神 を見ると 四柱ありこれから行こうとしている 丹生都比売神社と全く同じだ。
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神社の横手から町石道へ出たら、「百七十九町」の町石がある。
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柿畑の中を登っていく。勾配はかなり急だ。
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ややこしい分岐があった。左の道に町石があるので そちらへ進むと少し登ったら行き止まりだった。
10年前に歩いたときの記憶は無くなっていた。
よく見ると右手に看板があり、右の道へ進むように書いてあった。
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その2 「展望台から丹生都比売神社」へ続く
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