沖縄復帰から40年
記念式典で式辞を述べる沖縄県の仲井真知事。
後は野田首相=沖縄県宜野湾市で
毎日新聞は
沖縄は15日、72年に日本に復帰して40年を迎えた。沖縄県宜野湾市内で政府と沖縄県が共催した復帰40周年記念式典で、野田佳彦首相は沖縄の基地負担軽減に取り組む決意を改めて述べた。沖縄県の仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事は沖縄の米軍基地問題を国全体で考えるよう改めて求めた。一方、戦後27年間の米国統治下で多くの人々が願った基地負担の大幅な軽減は今もかなっておらず、県内では40年前より規模は小さいものの、式典に抗議する集会やデモがあった。
と報じている。
沖縄が本土に復帰する前年か、或いは前々年に沖縄に行った。
アメリカ軍の統治下で、パウポートは必要としなかったが、渡航証明書の様なものを携行し、通貨は米ドルだった。
車はアメリカ式の右側通行で左ハンドル。
那覇市の至る所が米軍の基地で占められていた。
つてが有って、米軍のキャンプ一つに立ち入ることが出来た。
正に占領下であることを実感させられた。
嘉手納基地のフェンス越し、B-52戦略爆撃機がベトナム北爆に向かうのか、8基エンジンから黒煙を上げて飛び上がる様は正に怪鳥、不気味な姿であったことを今でも思い出す。
沖縄戦の終局の地、摩文仁の丘に立ち多くの慰霊碑をまえにし、戦争は二度と繰り返すべきではないと思った。
最大の犠牲者である沖縄の人達の苦労のほどは、とても理解の及ぶところでは無いと思えた。
基地問題は40年以上を経過しても、根本的な解決の道は見いだせないままだ。
昨年の大震災と原発事故は多くの問題を二の次にしてしまった感もある。
山積した難問にどう答えればいいのだろう。
記念式典で式辞を述べる沖縄県の仲井真知事。
後は野田首相=沖縄県宜野湾市で
毎日新聞は
沖縄は15日、72年に日本に復帰して40年を迎えた。沖縄県宜野湾市内で政府と沖縄県が共催した復帰40周年記念式典で、野田佳彦首相は沖縄の基地負担軽減に取り組む決意を改めて述べた。沖縄県の仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事は沖縄の米軍基地問題を国全体で考えるよう改めて求めた。一方、戦後27年間の米国統治下で多くの人々が願った基地負担の大幅な軽減は今もかなっておらず、県内では40年前より規模は小さいものの、式典に抗議する集会やデモがあった。
と報じている。
沖縄が本土に復帰する前年か、或いは前々年に沖縄に行った。
アメリカ軍の統治下で、パウポートは必要としなかったが、渡航証明書の様なものを携行し、通貨は米ドルだった。
車はアメリカ式の右側通行で左ハンドル。
那覇市の至る所が米軍の基地で占められていた。
つてが有って、米軍のキャンプ一つに立ち入ることが出来た。
正に占領下であることを実感させられた。
嘉手納基地のフェンス越し、B-52戦略爆撃機がベトナム北爆に向かうのか、8基エンジンから黒煙を上げて飛び上がる様は正に怪鳥、不気味な姿であったことを今でも思い出す。
沖縄戦の終局の地、摩文仁の丘に立ち多くの慰霊碑をまえにし、戦争は二度と繰り返すべきではないと思った。
最大の犠牲者である沖縄の人達の苦労のほどは、とても理解の及ぶところでは無いと思えた。
基地問題は40年以上を経過しても、根本的な解決の道は見いだせないままだ。
昨年の大震災と原発事故は多くの問題を二の次にしてしまった感もある。
山積した難問にどう答えればいいのだろう。