ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

うつくしき野生

2008-11-27 18:12:05 | 日記・エッセイ・コラム

山陰から松葉蟹の大きいのが送られてきたので
高原山に住んでいる知人宅(
猫たちの移住先)へおすそ分け。

辺りがうす暗くなりかけた日暮れどき
山道から小径へ入ったところで
巨大な塊りがフロントガラスを横切った。

鹿だ!
みごとな角をした牡鹿である。

あっと叫んだまま驚きが固まってしまったぼくを
林の中からじっと見つめている。
夕闇に、すっくと立つその姿の神々しさに
忽ち村野四郎の詩の一編が脳裏をよぎった。

         鹿
    鹿は 森のはずれの
    夕日の中に じっと立っていた
    彼は知っていた
    小さい額が狙われていることを
    けれども 彼に
    どうすることが出来ただろう
    彼は すんなり立って
    村の方を見ていた
    生きる時間が黄金のように光る
    彼の棲家である
    大きい森の夜を背景にして

なんと! 時間帯もロケーションも
村野のこの作品とそっくりではないか。
違いは、ぼくが銃で狙っていないことだけであって
こんな風に同じ体験に出会えるなんて感動ものである。

興奮気味のぼくに、山の住人は
一昨日、上の方に雪が降りつもったので
餌を求めて中腹まで下りて来たのだろうと 穏やかに笑っていた。

帰りがけ、軒に吊るしてある干し大根を2本所望する。
---------ピクルスにしようと思う。

     
 燃ゆるものの終り馨し夕焚き火


憂うることの多かりし

2008-11-26 09:53:18 | 日記・エッセイ・コラム

きのうは憂国忌であった。

1970年11月25日、
三島由紀夫と楯の会メンバーが
市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部を占拠し
昭和維新の必要性を訴えたが
自衛隊の支持を得られずその場で割腹自決した。

  「われわれ楯の会は自衛隊によって育てられ
   いわば、自衛隊はわれわれの父であり、兄でもある。
   その恩義に報いるにこのような忘恩的行為に
   出たのは何故であるか・・・・・・・・云々」
長い檄文をテレビで聞いていて
当時28歳のぼくには今、何が起きているのか解からなかった。

戦後の日本人の精神の在り方,
武士道の美学を
命を賭して訴えたのである。
そのあとを追うように二年後、ガス自殺した川端康成にも
少なからず影響を与えたものと思う。

あれから時代が経つほどに
その憂いが現実となってひしひし身に迫ってくる。

知行合一を旨としてその美学に殉じた
ラストサムライ、三島由紀夫・・・・・・
せめて彼の好きだったワーグナーなどかけてあげようか。

     
憂国忌のひと日ぼんやり過ぎにけり


ありがとう、いのち

2008-11-21 17:51:41 | 日記・エッセイ・コラム

郡山市からの切り絵のグループが帰ったあとは
まったく予定のない日なので
「鶏手羽と里芋の煮込み・ベンベ風」を作る。
明らかに我流の創作料理でレシピもなく
ひらめくままの一発勝負もの。
ところがこれが旨い!

〈旨いものが食いたい〉
この思いこそ料理の原点であり
その欲求が強いほど感性も腕も向上するというもの。

食べることに鈍感ではいけない。
美味しいもの珍しいものを食べた時の感動は
沢山の想像力が掻き立てられて
人生をより
豊かなものにしてくれる。
小説家、音楽家など多くの芸術家が
食べることに関心をもっているのもよく頷ける。

〈旨いものが食いたい〉------
なにも贅沢をしようということではない。
僅かな創意と工夫さえあれば一個のイワシ缶が
ステキな一品料理に変身する。
缶詰から直接突ついて食べればエサであるが
器に盛り付け南天の葉っぱでも飾ったら
それはもう立派なアラカルトになるのである。

そしてなによりも大切なことは食材たちへの感謝である。
無神経に只、切り刻まれ食われるのでは
いのちを持っていた彼らも悲しむにちがいない。
手羽先には元気に駈け回っていた時のいのちがあり
里芋には根を張り葉を繁らせていた時のいのちがある。
美味しくなーれ、美味しくなーれと念じて調理すれば
それらのいのちが反応して本当に美味しくなってくれるから不思議。

    
 寒き世へようこそいのち卵割る


昨日今日そして明日は

2008-11-17 17:21:53 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日、青年会議所(JC)OB会創立20周年記念大会に参加した。
会員総数120名の内、やく50名が出席した。
JCは40歳定年であるから既に還暦を越えた会員も多く
たとえ50名であってもよく集まったと思う。
記念講演は某証券会社の課長による
「経済の動向」について話を聞いたが
そのあとの懇親会の方がたいへん賑やかであった。
ぼくにさんざん説教されたと、30年も昔のことを言ってくる奴もいて
恨みなのか感謝なのかよく判らないが
其々の輝かしい青年時代の想い出を語り合い
3時間があっという間に流れた。

昨日、美術館の用件で古河市に出かけた。
室町時代以来の城下町として栄えたところ。
ちょうど昼どきに着いてしまったので
近くのレストランでランチをご馳走になる。
永井路子文学記念館のとなりのイタリアン
城跡の閑静な場所にもかかわらず
店は満席でしばらく待たされることになる。
本来ぼくは待たされることが好きではないのに
相手方の豊富な話題につい魅せられ
空腹のことも忘れていた。
30分してようやく《カジキマグロのソティー・バルサミコソース》に
ありつくことができた。
人気の店らしくなかなか上手く調理されていた。
食後は渡良瀬遊水地を案内してもらう。
滔々と、まるで海のような遊水地・・・・・
「あそこに谷中村が沈んでいるの」
実際その現場に立ってみると
豊かさであるはずの文明に
実は深い闇の部分が潜んでいるという怖さが
ひしひしと身に迫ってくる。

今日、那須への買い物の途中で車のエンジントラブル。
様子が危ないので知り合いのハム屋の前に停めJAFを呼んだが
今の機械はコンピューター制御、現場では直せないということ。
そのままクレーン車に曳かれて40キロの道を帰還。
昨日の高速道路上でなくてよかった!
これもまた誰かが守ってくれたに違いない。

    
 バックミラーの人やはらかし冬の雨


こころ解き放たれて

2008-11-12 15:43:24 | 日記・エッセイ・コラム

那珂川町に在る「もうひとつの美術館」を見学した。
知的障害者の作品を展示し、8年前に開館
現在NPO法人が運営にあたっている。

この町には「広重美術館」という立派な施設の美術館があって
どうしてもそちらの方が主流になってしまうが
廃校となった小学校舎(
大正時代に建築)をそのまま利用したもので
なかなか趣のある美術館である。
----むかし、職員室の前の廊下に立たされたことが想い出され
    懐かしさと恥ずかしさが仄々とこみあげてくる。

こだわりのない自由奔放なアート。

魚や鳥のように自在に飛び跳ねている彼らの心に比べて
ぼくらの心は、なんと窮屈なことよ。
知識や常識や先入観の、なんと不自由なことよ。

運営に情熱を傾けている女性館長から
活動資金などの厳しさについて聞かされたが
こういうところにこそ
町や県のしっかりした補助があって然るべきだと思う。

非売品でなかったら購入してみたいと思わせるほどの
海外からの作品もいくつかあって----------
グッズのバンダナを2枚買う。
今日はとくに寒い日であったが
彼らの躍動するアートの原色につつまれ
こころなしか身体の芯が熱くなるのを覚えた。

    
 八乙女の髪きりきりと冬支度