風の記憶 


風のように吹きすぎてゆく日常と記憶を、
言葉に残せるものなら残したい。

…………ささやかな試みのブログです。

夏の手紙

2017年08月05日 | 「新エッセイ集2017」

きょうも早朝からセミが鳴いている。
セミは、ある気温以上になると鳴き始めるという。セミが鳴いているということは、気温がぐんぐん上昇していることでもある。夏の太陽も顔を出して、きょうの近畿地方は35度をこえる予報が出ている。

セミのことを手紙に書いた。
セミのことばかりを書いた。好きだということを書けなかったので、その想いの量だけ、とにかくセミのことをいっぱい書いた。
ぼくは若かった。
はじめにマツゼミのことを書いた。
梅雨の晴れ間などに松の木で鳴いている。一般的にはハルゼミと呼ばれ、いちばん最初に現れるセミだ。姿は見たことがない。鳴き声だけはよく聞いた。
次に現れるのはニイニイゼミだった。
ジージーと鳴いている。体は小さくて翅に縞模様があった。地味な存在だった。
そうして夏は広がっていく。

アブラゼミやミンミンゼミのことはいろいろと書いた。
どんなことを書いたかは忘れてしまったけれど、書くことがいっぱいあった。翅が茶色なのがアブラゼミで、透明なのがミンミンゼミ。どちらかというと、アブラゼミの方が身近かにいて、すばしっこいミンミンゼミは遠い存在だった。
好きです、と書きたかった。でも、どうしても書けなかった。
セミが好きです、と書いた。「セミ」が「キミ」にみえてどきどきした。
クマゼミ(ワシワシゼミと呼んでいた)のことは、せわしない鳴き声以外は印象が薄い。九州でもまだ珍しいセミだった。
もっと他のセミも、たくさんいたような気がする。いなかったかもしれない。きっと幻想のセミがいっぱいいたのだろう。

やっぱり書こうと思った。
好きです、と書いた。好きです、という文字をはじめて見たような気がした。その文字は、好きですという文字ではないような気がした。あわてて消した。
盆風が立ちはじめる頃、ツクツクボーシが夏の終わりを告げるように鳴き始める。何かが終わる予感がした。夏休みが終わるという、楽しいことが終わってしまう淋しさの予感がした。
ツクツクボーシは、「つくづく惜しい。つくづく一生」と鳴くと言われた。
朝夕に鳴くヒグラシも、夏の風景が澄みわたっていくような、遠くへ何かを運び去っていくような心細さがあった。

その頃はいろいろなセミの声によって、季節の推移が細かく彩られていたのだった。
あの夏は、セミのことをもっと色々と知っていたし、知ろうとしていた。いまはもう、そんな熱い想いでセミの風景を眺めることもできないだろう。
セミのことが詳しいんですね……
それが彼女からの返信だった。他にどんなことが書いてあったか覚えていない。記憶に残るほどのことは書かれてなかったのだろう。
その夏、彼女に伝わったのは、セミのことだけだった。


『コラム』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 花のなまえ | トップ | 遠くの花火、近くの花火 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

「新エッセイ集2017」」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL