「拉致」のお話。 先日、久しぶりに新潟市の新しい観光スポットとなっている「新潟日報メディアシップ」に立ち寄った。私は新潟市内の冬景色を展望するため、この建物の最上階である“20階”に上がった。ここからは360度、新潟市内が見渡せる絶好のスポットとなっている。天気が良ければ雪を被った白い山々や日本海に浮かぶ佐渡島が見えるはずである。しかしこの日は残念ながら小雨が降っていた関係上、遠くの景色まではハッキリと見ることができなかった。
この日は“20階”のフロアで「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」にあわせ、拉致問題を啓発する「パネル展」が開催されていた。パネルには拉致される前の家族一緒に楽しい日々を過ごされた写真が展示されていた。1977年に横田めぐみさんが、1978年には蓮池薫さんご夫妻と曽我ミヨシさん親子が新潟県内の海岸からそれぞれ拉致されるという事件が発生した。
特に新潟市立寄居中学校の横田めぐみさんが拉致された現場は我が家から自転車で15分程度のところにあり、以前、私はよくこの場所を通ったことがある。この拉致された3組のうち3人は日本に帰国することができたが、まだ帰国できない拉致被害者も多い。「パネル展」の会場には市民団体の≪救う会≫の「生きているのになぜ助けられない 政府は全力で今年中に すべての拉致被害者を救出せよ!」と書かれた旗が設置されていた。
拉致被害者のご家族の高齢化を思うにつけ、本当に1日も早く日本のご家族の元に戻ってきてほしいと願っている。
追伸 ⇒ 私のブログ「元黒龍江大学日本語教師」は最終回まであと≪3回≫となりました。
新潟市の新しい観光スポットとなっている「新潟日報メディアシップ」に立ち寄った。
「拉致」 この建物の最上階である20階からは360度、新潟市内が見渡せる絶好のスポットとなっている。(北側)
「拉致」 新潟市のシンボル「萬代橋」の先には日本海があり、その先に北朝鮮がある。 (西側)
「拉致」 (南側)
「拉致」 (東側)
「拉致」 会場に展示されていたパネル。
「拉致」
「拉致」
「拉致」 「救う会」が立てた旗。
「拉致」 展示会場と拉致被害者救出の署名活動をしている人々。(右奥)
「拉致」
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「拉致」
「拉致」
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「拉致」 パネルには拉致される前の家族一緒に楽しい日々を過ごされた写真が並んでいた。
「拉致」
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「拉致」
12月下旬の新潟市内は「クリスマス」の飾りから「正月」の飾りへ模様替えした。 (12月27日撮影)
12月下旬の新潟市内は「クリスマス」の飾りから「正月」の飾りへ模様替えした。 (12月27日撮影)
12月下旬の新潟市内は「クリスマス」の飾りから「正月」の飾りへ模様替えした。 (12月27日撮影)