ノジさんの徒然日誌

……気の向くまま、思いつくままに……生涯青春、生涯学習、生涯現役……明るく、楽しく、元気よく……

テニス雑感

2016-11-12 | ■ 徒然日誌
●テニス雑感
 最近、戦後初のプロテニス選手・石黒修さん死去の報に接した―腎盂(じんう)がんのため、80歳。テニスに関わる多くの日本人は、この報道に悲しみを味わったのではないか。とくに自分のように70歳以上の、テニスに親しんだ同世代の人たちにとっては特別な思いがあるに違いない。
 
 思い起こせば半世紀以上前の大学入学まもない時のことだ。入学と同時にそれまで親しんできたテニスをしようとテニス部に入った。入学したのは国立大学だったが、石黒選手とは確か、甲子園球場に隣接するテニスコートで初めて拝見したように記憶している。当時は関西では甲南大学の全盛期で、石黒、宮城、後輩の渡辺康二といった日本トップクラスの選手が活躍していた。大学対抗戦だったかこれらの先輩後輩が一堂に会してプレイしていた。同世代の渡辺選手を応援しようと集まったのかもしれない。彼らと親しくことばを交わしていた姿がなぜか目に焼き付いている。
 
 中でも石黒選手は、当時からトップクラスだったので自分の仲間内で、「あれが石黒だと」そのプレイに注目していた。なぜ石黒選手だけが記憶に残っているのか。それはそのときの風貌、表情にあった。浅黒く、特に長いもみ上げ、エネルギッシュな風貌だった。それほど他の選手に比較して背は高くなかったが少し猫背で歩く姿に特徴があった。試合が終わってネットに集まり、相手選手と握手したときの光景だ。そのときの石黒選手がなぜ未だに鮮明に脳裏に残っているのかわからない。
 
 大学卒業後、社会人になってからはテニスは遠のき、組織の管理者になってからはお決まりのゴルフである。リタイア後もしばらくゴルフ仲間と楽しんだ。テニススクール通いは数年前に続けたが、現在再びテニスに関心を持ってスクールのコーチ、若い男女とともにプレイしている。年に2回、主として関西で企画されている、10数名の大学同期生のテニスの集いが一つの目標となっている。誰もが70歳半ばになっているが、いつまでも元気でプレイし、楽しく飲み、語り合いたいと願うばかりだ。
 
 石黒さんの死去の報に接して、改めて「テニス」についていろいろ思い浮かべた。

 
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