そうだBL読もう

BL作品の感想などを気の向くままに綴ります。

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JUNEに惹かれていた理由に関する雑記

2016-10-31 | 雑記
というわけで、今回はBLではなくJUNEの話をしようと思います。
なぜ今さらJUNEなのかというと、JUNEパロの同人誌を出そうと思って最近JUNEものを読み返していたのが理由1。そして、ちょうどいいタイミングで知り合いの方にフジミやタクミくんなど初期ルビー文庫を大量にお借りできることになったのが理由2。そして、最近自分のことを客観的に捉えられるようになって、昔JUNEに惹かれていた理由に気付き始めたのが理由3。きわめて個人的な理由で、今、危険な愛に目覚めてしまったのでした。
時代の流れに逆行している狂い咲き感が自分でも面白いけれど、JUNEは仇花こそが本質みたいなところがあるので気にしてはいけない…


私が本格的にJUNEにはまっていたのは高校1年~大学2年頃でした。(もう3年も前か…)
時間にして5年ほど――それが長いか短いかはさて置き、その時期はJUNE小説以外の本が読めませんでした。それまではラノベと漫画とたま~に一般文芸を読んでいたのですが、ひたすらJUNE。“はまる”という生易しい言葉では足りないほどの執念で読んでいました。
栗本薫先生、江森備先生、野村史子先生、榊原姿保美先生、須和雪里先生、吉原理恵子先生。
読んだ冊数自体はそれほど多くないけれど(取りこぼしも多い)、手に入れた本はお守りのように毎日持ち歩いて学校の屋上で読んでいました。

当時はなぜこんなにJUNEに惹かれるのかわからなかった。
栗本先生はよく「なぜJUNEに惹かれるのか考えろ」とおっしゃっていました。でも、彼女が提示した答えである「長女である」とか「家長制度の犠牲者」「女性として生まれたことへの抑圧」「少年への変身願望」といったJUNE少女の条件に、私は一切当てはまらなかった。
男の子も女の子も平等に「さん付け」で呼ばれ、赤色と青色で男女を区別するのも注意せよ、男なんだから~女なんだから~は激励でも禁止、と言われるような時代に生まれたのでね…。その上中学までは女子校育ちだったし、男性からの抑圧なんて感じたこともなかった。次女だし。

何故なんだろう、という疑問がずっとありました。
やっと見つけた楽園だと思ったのに、微妙な齟齬がある。こんなにも気持ちは近いのに、JUNE少女たちの結束の中に入っていけない。読めば読むほど自分のために用意された場所ではないと思い知らされる。
惹かれる理由がわからない、というのはすさまじい孤独でした。今でも思い出すと泣きたくなるぐらいしんどかったです。

大学生になってからもなぜJUNEに惹かれるのか?という探求は続きました。
その中でBLとJUNEの特集雑誌を読み、「JUNEはバッドエンドばかりで萌えなかったし、それらの作品を好むのは抑圧を抱えている人間と決めつけられる風潮が嫌だった。男同士にときめくのは普通の感情だし、今は自分の萌えに基づいて作品を描いたり読んだりできるようになって嬉しい」というコメントにものすごい衝撃を受けました。
私はJUNEを読む時、別にバッドエンドに萌えていたわけではないんです。男同士に萌えていたわけでもない。ただ、どうしても「男同士で、バッドエンドでなければならなかった」。

JUNE少女の理論からもBL腐女子の理論からも弾かれてさすがに途方に暮れ、それ以上は考えるのをやめました。
そのうちBL作品も読むようになり、他の趣味は理由を問われないのに腐女子だけが執拗に他人から“生態解剖”される風潮に嫌気がさして、その手の話題からは遠ざかりました。でも、なぜJUNEなのか…という疑問は喉に刺さった小骨のようにずっと心に引っかかっていました。

就職し、一人暮らしができるようになり、最近になってようやくわかってきたことがあります。
昔、確かに自分は抑圧されていました。でも、それは男女の性差によるものではなかった上に、あまりにさりげなく、自然に存在していたので私は気付きませんでした。
私は昔、友達がたくさんいました。自分は人付き合いが下手だということに気付いていなかったからです。
私は長いこと、他者と自己の境界が曖昧で、周囲から望まれた姿で振る舞い続けていました。演じるという意識もなく。優等生としてかわいがられ、常にそつなく物事をこなしながら、たまに感情が爆発するとコントロールがきかなくなってどうしようもない失敗を犯しました。それを個性だと思っていました。

ようやく生きるのが楽しくなったのは高校生になってからです。JUNEを読み始めてからも自分が抑圧されていることには気づかなかったけれど、「こうやって自分の言葉をしゃべればいいんだ」という大きな発見をしました。JUNEを繰り返し読み、彼らの台詞を、生き方を、身体に馴染ませていくことで私は言葉を話せるようになりました。
JUNEの主人公は反逆者です。彼らは誰にも理解されない愛に殉じて、それを幸福とする価値観の中に生きている。その強さこそが私を惹きつけました。
だから他人の祝福はいらなかった。バッドエンドでなければならなかった。他人を敵に回して、自分の愛と肉体と命を自分のためだけに使う贅沢こそが私の読みたい物語でした。それは単なるフィクションではなく、生き方と幸福の指標でした。当時はきっとBLでは駄目だったと思います。リテラシーが身についていなかったから、恋愛だけの小説では読み解けなかった。命をかけるほどの愛でないと意味が分からなかった。
何が大切なのか。何がつらいのか。どうしようもない感情をどうするか。自分をどのようにすくい上げてやればいいのか。それまでは考えたこともなかった。

私の中でJUNEは最後まで恋愛小説足り得ませんでした。二人の物語ではなく、個人の物語としてしか読むことができなかったのです。私は恋愛小説というジャンルを正しく(正しさがあるとすれば)楽しむことは一生できないかもしれないな、と思います。どうしても思考回路に欠陥があって、恋愛にベクトルが向いてくれないのです。
今はBL小説も読みますが、やはり恋愛というよりは生き方を見てしまいます。(だからいつもファンレターや感想が重苦しくなってしまうんだな…、ようやく気付いた)
私にとって、小説は教科書みたいなもので、知りたいという欲求に突き動かされて読まずにはいられないものです。JUNEからは言葉の話し方と怒りの感情と生き方を、BLからは赦しと思いやりと永続的な幸福について学びました。

そのようにしか作品を読み解けないことについて、申し訳ないような気持ちもありますが…、こんな楽しみ方があってもいいよな、と今は思います。多分色んなことを見落としてしまっているけれど、自分なりに一番大切なメッセージを受け取っているから。

これからも私は重苦しいファンレターを書き、BLを読み、たまにJUNEに戻っていくと思います。ちょっと思考回路は偏った人間ですが、これからも仲良くお付き合いいただけると嬉しく思います。
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