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庶民派昆虫学的回想録「シンギュラリティー」

2016-11-12 07:45:17 | Weblog
将来的には、AI昆虫とかも登場するんだろうか?
するだろうな。

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中国~龍泉寺

建立千年を超す北京の有名なお寺だそうだ。
ここになんと「AI僧侶」なる者がおわすらしい。

身長60cmのロボット僧侶で名前は「賢二さん」とのこと。

高僧たちの膨大な説法に関するデータを蓄積、解析し訪れた人々の悩みや問いかけにお応えするそうな。
この賢二先生が導入、というか配属されてからたくさんの人が寺と仏教に注目してくれるようになったそうな。

このAI僧侶の開発に携わった僧侶曰く、
「宗教とAIは矛盾しない」と。

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昔から、科学と宗教は紙一重などと言われてきた。

僕は、恥ずかしながら宗教のことはあんまりよくわからない(^^;)
(科学のことだって、わからないが(^^;))

けれど、過去に何度か本やら資料やら読んで空想というか回想したときに、
それを感じたことがある。

たとえば、私は臆病なくせに恐いモノ見たさで、ホラー映画とか心霊写真集とか見てしまう。
小学生のころは、それらをみたばかっかりに一人でトイレに行けなくなったりした。アホだね。

で、考えたのは
「死んだらどうなるんだろう?」
という単純な疑問。

本当に死後の世界はあるのか?
死んで焼かれて灰になって、はいそれまでよなのか?

そして、最近考えてるのは、
例え死んで焼かれたとしても、我々の体の素粒子や、電子などはこの世に物質として残るはずという空想。

物質なんだから、絶対に「無」にはならんだろう。という考え。

AIのことはよくわからんが、過日の半導体テクノロジーの進化の話題にも触れたけど、
ハイテク機器の中に、我々の体に内蔵される電子などは入り込むというか、作用するというか、
なんさま、何等か繋がることができるんではなかろうかと。

そんな途方もないことを考えると、
「科学と宗教は紙一重」
どころか、
「万物はすべて物理学で処理することも可能」
という、新たなキーワードを庶民派昆虫学的回想者としては考えてしまうのである。

なので、
こんなことを考え出すと、先日のぼやき
「AIは人知を超える」
という意味が、益々わからなくなってくるのだ。(^^;)

2045年、そのとき僕は78歳。
病気や事故、事件に遭わない限りまだ生きてるかな?

それまでに、なんらか自分の中である程度納得いく答えを見つけてから、死ねればいいなーと思う。

ちなみに、
AIが作曲した音楽なんぞ、俺は「クソ」と思う。(^^)
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