いーちんたん

北京ときどき歴史随筆  翻訳者・東 紫苑(あずま しおん)のブログ

和[王申]少年物語25、雍正帝の思想教育

2016年12月13日 17時57分00秒 | 和珅少年物語
雍正帝が教育事業に力を入れたのには、理由がある。

この人はあまたいる皇子らの血みどろの戦いの末、瞬間的にライバルらを押さえ込んで無理やり即位した。
康熙帝の在世時代に後継者として認められていなかっただけに、
周りは不満の声が轟々とこだまする。

在世中の十三年間は、その反対勢力の根絶やしにかなりの時間と労力をかけざるを得なかった。
 
このため雍正帝は自分の権力を固める手段の一環として、
満州族の教育に力を入れる方針を打ち出したのである。

康熙末年、どの皇子が次の皇帝になるかをめぐり、
満州族全員がいずれかの皇子の支持派閥に属していたと言っても過言ではない。

即位したとは言っても雍正帝にとって、いわば周りはまだ敵だらけだったのである。
この事態を改善する対策の一つとして、若い世代への教育の強化が行われた。

まずは自分と地位を争った最も押さえ込みたい団体、皇族連中である。
皇族のための学校「宗学」は建国間もない順治年間にすでに設立されていたが、
康熙二十四年(一六八五)には廃校となる。

「宗室子弟の文学に優秀なる者ども、各府にて精進し、学習を続けるように」
という上諭が出された。

学校には来なくてもよいということである。

八旗官学も康熙末年に廃校になっており、
どうやら康煕帝は治世の後半、教育事業にはあまり関心がなかったことが伺える。

雍正二年(一七二四)、宗学が再び設立される上諭が出された。

「すべての王、貝勒(ベイレ)、貝子(ベイゼ)、公、将軍の子弟で、
 十八才以下の者、家で勉強している者以外は全員通学せよ」。

表向きは、皇族のために国家予算で無料で学校に通うことができ、手当てまで出るとは至れり尽くせりである。
手当ては、月に銀三両、米が三斗、筆三本、墨一つ、
冬には炭を支給し、旧暦の五月から七月までの二ヶ月間は、毎日氷を受け取ることができる。

が、実際のところは、忠誠心の強化が目的であったことは容易に想像がつく。
兄弟や内輪で争ってばかりいたのでは、どうやって国を保っていくのか。

皇族が一丸となって皇帝の指示のもとに働き、国を盛り立てていかねば、共倒れとなるではないか。
そんなことを知らず知らずのうちに思想として叩き込むような教育がなされただろう。

すでに成人している連中は仕方ないとして、
自我の形成期にある若い世代に徹底的に皇帝への忠誠心を教え込んでいく。

若者をあたらぶらぶらさせておいては、大人たちにけしかけれられて、
また反乱画策のための活動に加わるやもしれぬ。

しっかり学校に縛り付けておき、
暇をもてあましてろくでもないことに労力を注がないようにしなければならない。

教育の強化には、そんな積極的な意味があった。






 

北京動物園の正門。清代の建築「楽善園」の遺跡。



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