落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈>宮きよめ事件

2006-03-14 20:49:25 | 講釈
2006年 大斎節第3主日 (2006.3.19)
<講釈>宮きよめ事件   ヨハネ2:13-22
1. 宮きよめ事件
本日登場するイエスはイエスらしくない。群集の面前で暴れまわるイエスを弟子たちは押さえることもできず呆然と見ていた。イエスはたちまち群集に取り押さえられ、激しく糾弾された。イエスは叫ぶ。「わたしの父の家を商売の家としてはならない」。マルコによる福音書ではもっと激しい。「わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちは強盗の巣にしてしまった」(マルコ11:17)。弟子たちは、これをただ呆然と見ていた。
本日取り上げられているテキストは、この「宮きよめ」と呼ばれる事件を取り扱っている。この事件を「宮きよめ」と呼ぶのがふさわしいのかということについては後で論じる。まず、この事件については4つの福音書がすべて取り上げている(マタイ21:10-13、マルコ11:15-17、ルカ19:45-46)が、共観福音書とヨハネ福音書との間で大きな違いがあることについて、まず注目しておく。
2. マルコ福音書とヨハネ福音書
イエスの活動期間を一応3年間とすると、3つの福音書は共に終わりに近い部分、つまり十字架の出来事の直前に置かれているのに対して、ヨハネ福音書は初期、しかも「最初のしるし」(ヨハネ2:11)といわれている「カナの結婚式」の奇跡の直後に置かれている。これはイエスの活動そのものを理解する上で非常に重要なポイントとなる。共観福音書の方では、この事件がイエス殺害の直接の動機とされている(マルコ11:18,ルカ19:47)。それはそうだろう。彼らにとって神聖な場所での狼藉である。いわば、この事件がイエスと祭司長・律法学者たちとの決定的な対立となった。その意味ではイエスの活動は最初は牧歌的なムードの中で進められ、その活動の中でだんだんと体制を批判する傾向がエスカレートし、最終的には体制の牙城である神殿内での暴力的行動となり、体制からは殺害すべき相手とは考えられるに至った、とされる。それに対して、ヨハネはイエスと体制との対立は最初から決定的であった、とする。つまり、マルコの時代からマタイ・ルカの時代(50年から80年ぐらい)までのイエスの体制批判の理解に対してヨハネはこの事件を初期に位置づけることによって、新しい解釈を示している。
3. ヨハネの主張
本日はヨハネの主張をマルコと比較しながら、詳細に検討したい。まず、当然の前提として、ヨハネはマルコ福音書をしているが、マルコはヨハネ福音書を知らない。2つを比べて最もはっきりしている相違は、ヨハネ福音書の記事はマルコ福音書と比べてかなり長い。にもかかわらず、マルコ福音書にあってヨハネ福音書に無いものがかなりある。まず、事件そのものの記述において、マルコは「境内を通って物を運ぶことをお許しにならなかった」(マルコ11:16)という言葉が省略されている。神聖であるべき神殿が、日常生活の通路に利用されている。マルコはそこに当時のユダヤ教の世俗化を見ていうる。ヨハネはこのことをあまり重要だとは思わなかったのだろう。次はかなり重要である。「わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである」というイザヤ書56:7の引用を取り上げていない。第3に、「ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった」というエレミヤ記7:11の言葉も無視し、それら二つの預言者の言葉の代わりに「わたしの父の家を商売の家としてはならない」(ヨハネ2:16)というイエス自身の言葉で補っている。「わたしの父の家」という表現も興味を注がれるが、今回は素通りする。「強盗の巣」という表現と「商売の家」とでは迫力がかなり違う。神殿というものに対するスタンスの違いであり、時代の差とも言える。何しろ、マルコにとっては神殿は現実に目の前に現前しているのに対して、ヨハネにとっては過去のものである。
次ぎに、マルコ福音書になくてヨハネ福音書にあるものを検討したい。第1は、ヨハネはこの事件の時は、「ユダヤ人の過越祭」であったと記録している。わざわざ「ユダヤ人の」と断っているところを見ると、ヨハネ福音書の読者はユダヤ人以外であったことを推測させる。第2に、マルコはイエスが暴行をはたらいた相手は「売り買いしていた人々」、「両替人」と「鳩を売る者」とが上げられているのに対して「羊や牛」を追加し、両替人の「金をまき散らした」ことを記録している。さらに、イエスの暴行の道具として、縄で作った鞭についての記述もある。何か、イエスの乱暴の具体性を強調しているような感じもするが、逆にリアリティが失われているような、感じがしないでもない。現場で、縄で鞭を作ったのだろうか。羊や牛を追い出すのはそう簡単なことではなかっただろう。はたして、そこで本当に「羊や牛」まで売買していたのだろうか。
4. 詩編69:1-10を読む。
ヨハネの記述の最も重要な点は、詩編69編からの引用である。大立ち回りをしているイエスを見て、弟子たちは「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」という言葉を思い出したという。まるで、弟子たちは傍観者である。イエスと一緒に暴れていない。この時のイエスの気持ちと弟子たちの気持ちを理解するために、この詩編第69:1-10の言葉を読んで見たい。
神よ、わたしを救ってください。大水が喉元に達しました。わたしは深い沼にはまり込み、足がかりもありません。大水の深い底にまで沈み、奔流がわたしを押し流します。叫び続けて疲れ、喉は涸れ、わたしの神を待ち望むあまり、目は衰えてしまいました。理由もなくわたしを憎む者は、この頭の髪よりも数多く、いわれなくわたしに敵意を抱く者、滅ぼそうとする者は力を増して行きます。わたしは自分が奪わなかったものすら、償わねばなりません。
神よ、わたしの愚かさは、よくご存じです。罪過もあなたには隠れもないことです。万軍の主、わたしの神よ、あなたに望みをおく人々が、わたしを恥としませんように。イスラエルの神よ、あなたを求める人々が、わたしを屈辱としませんように。わたしはあなたゆえに嘲られ、顔は屈辱に覆われています。兄弟はわたしを失われた者とし、同じ母の子らはわたしを異邦人とします。あなたの神殿に対する熱情が、わたしを食い尽くしているので、あなたを嘲る者の嘲りが、わたしの上にふりかかっています。
この詩は一応「ダビデの詩」ということになっているが、それはどうでもいい。ただ、ここでは人々の糾弾の嵐の中で、打ちのめされた詩人の心境が生々しく述べられている。「理由もなくわたしを憎む者はこの頭の髪よりも数多く、いわれなくわたしに敵意を抱く者、滅ぼそうとする者は力を増していきます。わたしは自分が奪わなかったものすら償わねばなりません」(5節)。この糾弾により親や兄弟まで彼から離れる。問題はおそらく「神殿に関すること」であったようである。新共同訳では10節の言葉はこういう風に訳されている。「あなたの神殿に対する熱情が、わたしを食い尽くしているので、あなたを嘲る者の嘲りがわたしの上にふりかかっています。」
暴れるイエスを見ていた弟子たちはこの言葉を思い出していた。つまり、このことがここで現実に起こっている。当時の神殿の状況を「心ある人々」は嘆いていたことだろう。神殿は上から下まで腐敗しきっている。しかし、人々はそれをどうしても止めることができない。ただ嘆くだけである。もし誰かがこれをあからさまに批判すれば、その結末は明白であった。だからたとえ批判するとしても「もっと賢く振舞わねばならない」と人々は思っていた。しかし、イエスにはもうそれ以上「黙っていられない」気持ちであった。とうとう、それが爆発したのである。神殿で一日や二日暴れたって高が知れているし、そんなことで腐敗を一掃することなどできるはずがない。しかし、イエスはやってしまった。弟子たちの気持ち「とうとう先生はやってしまった。これが先生の命取りになる」と思ったに違いない。「食い尽くす」とは身を滅ぼすという意味である。
5. 事件の直後──「ユダヤ人たち」
マルコ福音書では、事件の結末として、群衆は皆その教えと行動に感動したことが述べられ、同時に「祭司長や律法学者たち」はイエス殺害を決意したことが述べられている。つまり、指導層の人々と民衆のでは異なった反応を示している。民衆はあくまでもイエスの味方である。それに対して、ヨハネでは民衆と指導その人々との区別は無視される。
まず、議論の中身に入る前に、この「ユダヤ人たち」という言い方について注目したい。この言い方はヨハネ特有のものである。マルコならば「祭司長や律法学者」時にはそれに加えて「長老たち」や「ファリサイ人」が付け加えられるが、要するにユダヤ人社会における指導層に属する人間たちが登場する場面で、ヨハネは「ユダヤ人たち」という。単純に考えて、これは要するにイエスを十字架刑にした連中を「ユダヤ人たち」と特定することができるようになった社会的状況を示している。つまり、教会の内部において「ユダヤ人キリスト者」と「異邦人キリスト者」との対立が薄れ、イエスに敵対した人たちを「ユダヤ人たち」と表現して差し支えなくなったということを意味する。それに加えて、ローマ帝国内においてイエスを処刑したのはローマ人であるということをできるだけ避けたということも考えられる。
6. 事件の直後──「しるし」
さて、その「ユダヤ人たち」はイエスに対して、こういう行動を取るからにはそれなりの「しるし」を示せと詰め寄る。普通の用語法ならば、ここでは「権威」が問題にされる場面であるが、ヨハネはそれを「しるしの要求」とする。実際、マルコ福音書では、この事件と関連して、祭司長、律法学者、長老たちから「イエスの権威」の問題が提起されている。この「しるし」という言葉はヨハネ福音書に特有の表現である。ヨハネはこの直前にカナの婚礼におけるイエスの奇跡を「最初のしるし」(2:11)と言う。そして、第二の「しるし」は役人の息子の癒しの場面で「二回目のしるし」(4:55)が出てくる。ヨハネにおいて「しるし」とは、イエスの超人的行為、つまり奇跡を意味する。ということは、つまり、この宮きよめの行為は奇跡行為ではないことを意味し、ヨハネ自身はこの行動を「しるし」とは呼ばない。しかし、「ユダヤ人たち」はイエスのこの行為を奇跡、この場合は「超人的的行為」とみなして、それが「神によるもの」なのか「悪霊によるもの」なのかを問う。それが「しるしを求める」行動である。
パウロは「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を探す」(1コリント1:22)と語る。ユダヤ人たちがイエスの行動について非常に気にした問題は、これが「神によるものなのか」、それとも「悪霊の頭(ベルゼブル)の力によるもの」(マルコ:22)なのか、と言うことであった。この問いに対して、イエスは議論そのものを「神殿論争」に引き込む。否、イエスではない。神殿論争に引き込んだのはヨハネである。むしろ、ヨハネはこの議論へと展開するために、「宮きよめ」の事件を語っているものと思われる。
7. 神殿論争
ユダヤ人のしるし要求に対して、「この神殿を壊してみよ。三日で立て直してみせる」と答える。これは、ユダヤ人たちにとっては大変な冒涜であることは間違いない。イエスの裁判記録を見ると、イエスが極刑を受けた理由は、結局「神殿批判」ということに尽きるようである。彼らにとって「神聖な場所」「聖域」である神殿内部でこれだけの狼藉を働いたのであるか、その結末は仕方がないであろうが、よく考えてみると神殿の神聖性を犯しているのは彼らの方である。むしろ、イエスは神殿が神聖な場所であることを主張しているのである。
そもかく、群集に取り押さえられたイエスは逃げ隠れしなかった。言うも言ったり。「こんな神殿なんか壊れたって、わたしなら3日で建て直して見せる」。こんなことが出きるはずがない。この神殿を建てるために国力をあげて46年かかっている。マルコもこの言葉を知っている。しかし、ここではマルコはこの言葉について記録していない。むしろ、イエスが最高法院で裁判を受けたときの敵側の証人の言葉として「わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば手で造られない別の神殿を建ててみせる」(マルコ14:58)という言葉が記録されている。この点で重要なことはマルコがこの事件の時にこの言葉を記録していないことではなく、ヨハネがこの事件の中でこの言葉を取り上げている点である。注意深く読めばすぐに気付くことであるが、正確には、「この神殿を壊してみよ」と言っておられるのであって、「わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し」とは言っておられない。つまり、最高法院での証言は偽証である、ということをヨハネは言いたいのだと思われる。ともかく、この論争によってイエスの運命は決まってしまった。マルコによる福音書では、祭司長や律法学者たちはこの日にイエスの死刑を決めてしまった。あとは時間の問題であった。
8. もう一つの「思い出し」
ところで、本日のテキストではもう一つの「思い出し」がある。はじめの「思い出し」と後の「思い出し」とは明かに響きあっている。はじめの「思い出し」では目の前で暴れまわり糾弾されているイエスを見て、詩人の言葉を思い出し、イエスという人物についての複雑な気持ちを表している。特に、「3日で神殿を建てる」という無茶な言葉は無茶な言葉として無視している。ここでは「結論」はない。
しかし、後の「思い出し」では、イエスの死後、復活という出来事を弟子たち自身が経験して後、厳密にいうと、教会というものが成立し、「教会はイエスの体である」という信仰に立って、イエスの、「あの時のあの言葉」を思い出している。「この神殿を壊してみよ、わたしは三日で立て直してみせる」という、あの「無茶な言葉」が本当であったということを告白している。イエスは「あの時の言葉」が原因となってローマの兵隊によって十字架刑により死刑とされた。イエスの身体は文字どおり破壊された。それと前後して、あの豪壮な神殿もローマの軍隊によって徹底的に破壊された。しかし、イエスはよみがえった。徹底的に壊滅されたイエスの弟子集団は、不思議な力に支えられ、復活し教会を生み出した。教会においてイエスは生きていた。そして、教会こそ「真の神殿」となった。ここで人々は神と出会い、神の言葉に耳を傾け、神を拝んだ。
イエスを糾弾し、処刑してしまったその出来事が、「真の神殿」を生み出した。弟子たちが「あの日、あの時のこと」を思い出したのは単に「思い出し」ではなく、「宮清め」という一見無謀とも思える、そしてそう思った出来事が、今現在「真の神殿」を生み出したということについての驚きである。ここに人間の思惑を超えた神の不思議な力が働いている。
9. 「宮きよめ」ということ
この事件を伝統的には「宮きよめ」と呼ぶ。それは正しい読み方なのだろうか。ヨハネ福音書には正真正銘の「宮きよめの祭」(ヨハネ11:22)が記録されている。新共同訳では「神殿奉献記念祭」と訳されているが、口語訳では「エルサレムでは宮きよめの祭が行われた。時は冬であった」とある。この祭についてはヨハネ福音書だけがたった一度だけ記述しているだけである。ここで用いられいる「きよめ」という言葉の原意は「新しくする」「捧げる」「再び始める」というような意味で、まさに新共同訳のように「神殿奉献記念祭」である。この祭は、アンテオコス・エピファネスが蹂躙した神殿の再建(紀元前168年)を記念する祭(1マカバイ4:36)で、エルサレムの市中を燭台で飾るところから、別名「光の祭」とも呼ばれた。
一応、この祭と「宮きよめ」事件とは関係がないが、この祭に引きずられて「宮きよめ」という言い方が定着したものと思われる。しかし、内容的には神殿粛正という「きよめ」のイメージよりも、「神殿崩壊と再建」というイメージの方が適当であろう。

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