『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

読書感想10  分身

2012-04-21 23:10:27 | 小説(日本)

題名      :  分身

作者      :  東野圭吾

出版年月    :  1993年(平成5年)9月

出版社     :  集英社(集英社文庫)

定価      :  695円(税別)

あらすじ

 北海道育ちの大学生氏家鞠子と一歳年上の東京育ちの小林双葉はそれぞれ出生に秘密を抱えていた。

鞠子は両親が本当の両親なのかと疑いを抱き、特に母に愛されていないと悩んでいた。さらに中学生の時に母が一家心中を図り、鞠子と大学教授の父を残して焼死するという悲劇に見舞われた。若き日の父と顔をマジックで塗りつぶされた女性が一緒に写っている写真を母の持ち物から見つけ、その写真の女性こそ母の死の鍵を握るのではないか、そう思った鞠子は母親が死の直前に訪れた東京にやってきた。

双葉は看護婦の母親と二人暮らしだった。父親が誰かは知らず、出生に関して秘密があると思っていた。双葉が母親の反対を押し切って、バンドの仲間とテレビ局のオーディション番組に出たことでパンドラの箱が開いた。

鞠子は父の母校帝都大学で父が語ることのない過去を知る。ハイキングサークル、山歩会に参加していたことと、そこで愛する女性に出会ったこと。さらに母が最後に訪ねたのは山歩会の友人だったこと。そこで母はその女性の写真をすべて手に入れて処分したこと。また、父が旭川の北斗医科大学に帝都大学の久能教授と一緒に移り、発生工学の先駆的な研究をしていたこと。

そしてテレビに出演していた小林双葉と瓜二つだといろいろな人から言われ、小林双葉の存在を知る。

一方、双葉は母が轢き逃げされて亡くなってしまう。母のことを知りたいと言う思いから、北斗医科大学の藤村教授の招待で旭川に向かう。旭川で藤村教授は双葉の実父が母の上司だった久能教授だと語る。DNA鑑定のために双葉の体を検査させてほしいと言い、双葉も承諾する。しかし、食中毒の寿司をお土産にもらったことから、双葉は旭川から逃げ出す。

鞠子は父が愛した女性、高城晶子の写真を手に入れる。そこには鞠子が写っていた。

そっくりな三人。高城晶子と、氏家鞠子、小林双葉。この三人をつなぐ輪は高城晶子の冷凍保存された核移植胚だった。それをもとに二人の代理母の胎内で育てられ生まれたクローン人間、氏家鞠子と小林双葉。禁断の研究のただ二つの成功例。

自分のクローンの存在を知り拒否反応を示す高城晶子、人間クローンの成功を更なる研究の実験材料として利用しようとする藤村教授たち。娘の幸福のために葛藤する氏家鞠子の父。

二人のクローン人間は真実を知った時にどうするのだろうか。

感想

 クローンという言葉の響きに拒絶感を持つのは普通の感情だ。動物でさえクローン動物というといかがわしく偽物くさい感じが付きまとう。まして人間である。人間の手で生命を創り出すというのには抵抗がある。生命を作り出すのは神の領分である。

しかし、二人のクローン人間は生命を得た瞬間から一個の人間である。著者はそう言っているような気がする。冷凍保存されていた核移植胚を胎内で大事に育てた代理母の愛がある。そして生まれてから大事に育ててくれた両親の愛がある。独立した人格を持った人間なのに、単なる実験材料としてしか存在意義を認めない科学者たちの傲慢さと、純情可憐な二人が対照的である。もし、クローンが一人だったら真実の重さに絶望したかもしれないが、二人だったので双子の姉妹として生きてゆける。

近未来に起こることが想定される事態だが、我々と同じ人間として見る視点がなければ、クローン人間は創るべきではないだろう。そういう意味でこの小説はクローン人間という可能性に一石を投じた作品と言える。

わがまま評価(5点満点)

面白さ    ☆☆☆☆☆

爽やかさ   ☆☆☆

読みやすさ  ☆☆☆☆

人物造型   ☆☆☆☆

知識教育   ☆☆☆

荒唐無稽   ☆☆


そぞろ歩き韓国117  海東龍宮寺2

2012-04-21 16:25:11 | まち歩き

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崖を下りると海東龍宮寺が海に面して建っている。

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お寺の建物。

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ご本尊。

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学業成就の石仏たち。

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可愛い僧侶の人形たち。

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岩の上の石塔か石積みか?

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海に背を向ける黒い仏様。

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ただ今建設中。日本の大黒様のようなものか?

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龍宮寺の由来になっている龍を発見!

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お賽銭集めに活躍中、福を呼ぶ豚2匹。

※写真を大きくする場合は写真の上をクリックしてください。


翻訳 これはパイプではない   NO.3

2012-04-21 15:19:50 | 翻訳

 

[翻訳] これはパイプではない          NO.3<o:p></o:p>

 

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 突然出てきたメモに彼女はプッと笑った。一つの娯楽プログラムの「私のギャクは・・・」をパロディーにして書いてみたものだ。数日前にある女性雑誌から今回出版されたイミジの自伝的長編小説についてインタビューを申し込まれた。彼女は断った。ゴシップの種を探している女性雑誌は小説よりはイミジという女性作家の商業的な部分にだけ焦点を合わせるのだろう。彼女が頑強に断ると、雑誌社側では書面でインタビューを申し込んできて、作家写真は使わない代わりに本の写真を大きく載せようと提案してきた。<o:p></o:p>

 

 昨夜メールボックスを開けてみると、初めの質問が「先生の小説を一言で表現すると?だった。イミジはそれを見て一人でぶつぶつ言った。「まあ、それをどうやって一言で言うの? それじゃ私がとっくに降りているよ。こんなにいまだに書いているのかしら? そうしてメールボックスを閉めていたのだ。さて、私の小説は・・・? 彼女は眠りを誘うためにベッドテーブルにあったウィスキーの瓶を取り出しストレートで一杯一気に飲み干した。何か強いものが彼女の口の中に当った。バカデー151かウオッカのような毒酒、死薬のようなエスプレッソ・・・酒の勢いが回るやとても偽悪的な気分になってしまった。手帳に「私の小説は・・・」と記してしまい、酔った勢いに突然いたずらっ気が動いていたのだ。交通事故、浄化槽、訪問販売、どんどんとるよ、イカ、塩、花束、コーヒー、アパート、おかず、無理強い、気違い、サイダー・・・そうしてキイキイ・・・<o:p></o:p>

 

餓鬼道に落ちた亡者に相応しくない門のギシギシ鳴る音のように、わざと気分が悪い音を出して笑ったので、気分がひとしおよくなったのだ。<o:p></o:p>

 

 夫は作業室で寝ているのか朝まで戻ってこなかった。腹が立ってきた。しかしそれのどこが私の間違いなのか。夫の怒り、それは一顧の価値もないと彼女は断定してしまう。「私の小説は」に「私の夫は」を載せてみた。あああ・・・しかしそれを理解することはできるだろう。小説家の夫がどこに普通の人なのか。小説家の夫は男ではない。夫の訓戒が当てはまることもある。すべてのことが彼女の小説「凶作の地獄」のためだ。小説が復讐している。女性小説家のイミジは自分が作った「凶作の地獄」のために今や地獄の妙味をしっかりと見ている中身もわからない。<o:p></o:p>

 

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ある日力の強い怪物が・・・・<o:p></o:p>

 

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 イミジは一人で遅い朝食を食べマグカップにコーヒーを入れて居間に行く。携帯電話を押して今日のスケジュールを点検する。夕方7時にシンサ洞の定員限定の店でフロンティア・グループのメンバーとの約束が入っている。テーブルの上に朝刊新聞が置かれている。朝刊を持って平らに広く広げる。見出しだけうわの空で読みながら、新聞を通して彼女は自分の本の広告を見る。文化面の下5段目の広告だ。出版後すぐに順に出てくる広告だ。彼女の顔の写真が紙面の半分を占めている。彼女はその顔を見知らぬもののように眺める。広告のコピーは誇張が過ぎて、少しこっけいに思われたりする。紙面の上段一角にボタンぐらいのシモーヌ・ド・ボーボアールの顔がイミジの写真をあざ笑うように見下す。「女は作られるのではなく生まれる」ボーボアールの言葉をあべこべに裏返した広告コピー。そこに「韓国の女性作家が自伝小説で、このように大胆に自分のすべてを告白したことはなかった!」「初キス、初経験、大胆な行動を如実に見せてくれる彼女の率直さ!」こんな文句がずらっと並んでいる。<o:p></o:p>

 

 広告を見るたびにイミジは困惑する。まるで自分の小説が自由奔放で乱れた女性タレントの憤りの告白書のように誤って伝えられているようだ。不快感と怒りとわびしさと恥ずかしさが混じって、まるで変な食べ物を口にしたように嘔吐感があったりした。大衆は小説家イミジを「凶作の地獄」の中の女性主人公と同一視するのだろう。小説家には自伝小説というタイトルがこんなに恐ろしいものなのか? 隠れる場所がないということが過酷なことだということをイミジは悟る。初めに出版社から自伝小説というタイトルを使うと言われた時、イミジは単純に考えた。敢えて比率を計算してみたら大体51パーセント程度の自伝的な要素があると思った。自伝小説ではなくて、実は大体2パーセント程度は不足だ。いずれにしても約51パーセントにはならない。しかしその不足の2パーセントは恐ろしい威力を発揮した。<o:p></o:p>