花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

竪と横│小林太市郎著『藝術の理解のために』

2016-10-09 | アート・文化

(Leonardo’s anatomical drawings. Dover Publications Inc., New York, 2004)

「しかし人体の造形、いっそう適切に言えばその基本的構成のとりかたが、東洋と西洋ではけっして同じでない。すなわち西洋人はそれを横にとり、東洋人は竪にとる。さてそれを横にとると、人間の身体は横では左右均勢に構成されているから、ひいて均勢(シメトリー)ということが西洋的造形の根幹となる。人体の中央線の左右に、横にシメトリカルに両眼、両耳、両頬、両肩、両乳、両手、両足のあるそのシメトリーが、西洋人のあらゆる造形の基準になり、ひいてその空間構成の原理となる。しかるに人体を竪にみると、そこには均勢はなくて、かえって頭、腹、足といった位(くらい)がある。そうしてこの位、―――いっそう適切に言えば位どりということが、じつにあらゆる東洋的造形の基本となる。」
(『小林太市郎著作集1 藝術の理解のために』小林太市郎著, p331, 淡交社, 1973)

本書の構成は、《I藝術の理解のために》、《Ⅱつゆのあとさき、造形と色彩》、《Ⅲ信貴山縁起の分析》、《IV近代藝術の精神史的背景》の四部から成る。冒頭に挙げたのは、《造形と色彩》に含まれる「東洋的造形と西洋的造形」の一節である。この章で熱く語られるのは、謝赫の画の六法中の第五「経営置位(経営には位を置く、小林博士は経営位置ではなく経営置位こそ正しい字句を保存すると考える。)」である。「あらゆる位のうちの基本的な位は、要するに人体の頭、腹、足の三つの位を大きく展開した天地人の三位で、これがひいては東洋的な空間構成の原理となる。」のであり、さらに人体を竪に見た時の中央人位における性別、この男女の区別を一般化した陰陽が東洋的造形の副次的原理であり、天地人の三位に陰陽の両儀を拝するのが東洋古来の伝統的造形原理となると述べられている。そしてこの基本原理は華道において最も豊かな展開をとげたと論述は続く。


(郭熙筆、早春図 /『林泉高致』 張瓊元編, 黄山書社, 2016)

「あるいは花をいけるにしても、西洋の盛り花というものは、多くの花をみな平等に扱って花瓶の中へ横にならべるように盛るにすぎぬが、日本の華道ことに立花においては、花にそれぞれ高下・軽重・陰陽・吉凶の別があり、全体として竪の位に配当していけること言うまでもない。」(同, p333)
「今の日本文化の混乱は、その竪横をごっちゃにするところから来ている。たとえばいけ花をみても、現代では横の造形がしだいに重くなってくるのは当然である。しかし竪の造形と横の造形とが美しく対比して互いに生かされずに、かえって相殺して両損になっているばあいが多い。」(同, p334-335)

大和未生流もまた、頭(天)、腹(人)、足(地)の対応を基本とする東洋的造形の原則を第一義とするが、当流派には初代御家元が創案された「飾花」という挿法がある。これはまさに東洋(日本)の竪の造形と西洋の横の造形を美しく対比して互いに生かした生け花である。本年度の大和未生流いけばな展においても、御家元ご指導の下に社中が取り組んだ力作の数作品が出瓶された。御家元の御監修を経て復刻された『投入盛り 花の活け方』(初代須山法香齊著, 東洋圖書, 1926)追補には、飾花は元来「我が国に仏教伝来と共に伝わり花皿に花を浮かべて仏前に供養したのがその起こり」であると記載されている。生活の洋風化とともに洋室の棚や食卓などを飾る要請のもとに考案されたのが現在の「飾花」であり、西洋化の時流に流されず迎合せず、その混迷の河を涼しげに漕がんと創案なさったかるみの花なのである。

さて人体把握の相違に起因する「東洋文化は本質的に竪の文化、西洋文化は要するに横の文化」という小林博士の卓越した観点をお借りして、人体そのものを対象とする医学の領域を俯瞰してみたら、眼前にはどの様な光景が広がるのだろうか。西洋医学は局所的、科学的、論理的、演繹的であるに対し、東洋医学は全身的、哲学的、経験的、帰納的であるという認識がすでに一般的である。さらに西洋医学は横の医学、東洋医学は竪の医学であるのか。今更言うまでもないが、医学は私のホームグラウンドである。改めて後日腰を落ち着けて考えてみたい。

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